タイトル未定2026/06/18 18:24
商売祈願
ろくろが順調に回転していた。貫入の白い土が規則正しく流れていた。親指と人差し指に入れる力の強弱によって、描かれる流線型が濃く浮き出たり、薄く沈んだりした。
水の加減もちょうど良かった。それを後押しするかのように、空気の乾きも最適だった。
もしかしたら、今までで一番いい出来になるかもしれない、私は、そう思った。
その時、
「とうのさーん」
という呼び声がした。つ、ついに来た。慶子が来たのだ。
私は、指の集中が途切れ、掴んでいた茶碗の縁がへこんでしまった。
そして、泥だらけの手を拭きもせずに、席を立ち、入口の方に目をやった。
受付の前に、彼女が立っていた。横顔しか見えなかったが、見覚えのある背格好だった。髪がやや茶色味がかっているように見えたが、光の影響かと思った。
先生から土を受け取ると、彼女は一瞬こちらの方を振り向いた。しかし、伏し目がちだったので、真正面の顔を捉えることができなかった。だが、右手で左側の髪をなでる仕草が、あの時の慶子に間違いなかった。
あいにくこちら側のろくろは満席だったので、係員に誘導され、背を向けながら、反対側の方に行ってしまった。
私は、いきなり話しかけることを躊躇した。彼女は、心を無にして、これからろくろを回すのだ。私の一方的な事情と感情で、それを遮ることはできない……
ほんの数秒間の中腰を経て、私は、椅子に腰を下ろした。目の前では、片側がへこんだ茶碗が規則正しく回転していた。
また、やり直しだ。
くるくる回り続けているその物体を頭から抑え込んだ。そして、しばし黙想せざるを得なかった。
昨年の六月、私は、三十年以上勤めて来たあるメーカーから子会社に飛ばされて来た。本社のある丸の内から神田にである。江戸時代であれば、江戸城門前の大名屋敷から、旗本屋敷に落ちて来たようなものである。
その子会社は、親会社の不動産の管理のような業務を担っていた。わかりやすく言うと、親会社が面倒くさがってやらない雑用的な仕事を下請けとして受けていたのだ。
親会社にいた時は、そうした下請け業務をしていた連中を蔑視し続けて来た。しかし、皮肉なことにそこに左遷され、今度はそういう業務を担う立場になってしまった。ただ、さすがに、親会社では一定の地位に就いていたので、子会社では一から現場に出る訳ではなく、社員を管理する立場であった。かなり小さな会社ではあったが、一応取締役の任にあった。親会社も都落ちをさせるに当たって、最低限の配慮からか役員の立場で送り込んでくれた。親会社から見たら、米粒のように小さな子会社であったから、私が取締役だろうが部長だろうが課長だろうがグループ全体の体制には全く影響がなかった。露ほども、微塵も影響ないというのはこのことだった。
正月休みが終わって、仕事始めの日の翌日は神田明神に集合だった。役員や部長クラスの幹部が勢ぞろいして、会社の売り上げアップを祈願する習わしになっていたのだ。
神頼みをしたって、結果は同じだろう、ばかばかしい、と思いながらも、役員という立場上、それに付き合わざるを得なかった。
親会社時代、上層部が商売繁盛を神社に祈願していたということは聞いたことがなかった。ただ、ここは神田にある小さな会社である、行事の全てはアナログに進行して行くのであった。
自営業者ではあるまいし、私は、商売繁盛の祈願などをしたことがなかった。したがって、その願いをかなえることを主たる目的とする神田明神などには行ったこともなかった。長年千代田区に勤務していたにもかかわらずだ。
秋葉原駅で下車した。北風の強い寒い日であった。マフラーを口元まで届くように巻き、コートのポケットに手を突っ込んだまま、山手線の内側方面を歩いた。
飲食店の案内板に、うなぎ屋の明神下という店名が目に入った。この店は、ある取引先の部長がとても贔屓にしていたので、何度も席を共にしていた。あの頃は、良かった、ふとそう思った。
神田明神に到着した。ずいぶんとこじんまりとした神社だな、というのが第一印象だった。集合時間より早目に着いたので、神社の境内を散策した。
謂れや解説文を読むと、商売繁盛の神だけではないことがわかった。千代田区に本社を置く企業がこぞって参拝に来るので、てっきり金儲け祈願専用のものであると信じていたが、縁結びや厄除けもあることを知り、思い違いをしていたことがわかった。
江戸の総鎮守か、なるほどな。
確かに商売繁盛だけでは人は集められない。武士の多かった江戸時代なら尚更だ。
本殿の裏にまわると、銭形平次の碑があることに驚かされた。あれは、架空の人物ではなかったのか。石碑を読むと、平次親分が神田明神下の台所町というところに住んでいて、明神界隈の出来事を舞台にしていたとのことだった。隣に並んでいた子分である八五郎の小さな碑が笑いを誘っていた。
いつの間にか本殿に向かって、長蛇の列ができていた。参拝の時間に合わせて幹部社員が集まって来た。予約をしていたのにもかかわらず、我々も列に並ばされた。社長が代表して、祈願内容を記したタスキのようなものをかけていた。座敷に入り、頭を垂れた。
『商売繁盛・社運隆昌祈願』という願いであった。
参拝が終了した。てっきりこれで帰るのかと思っていたら、総務担当の部長がそれでは次に参りましょうと歩き出した。もう一つ別の神社に行くらしい。
お茶の水の駅を見ながら、聖橋を渡った。
いつの間にか北風が止んでいた。雲が切れ、快晴の空から冬の陽光が差し込んで来た。
着いたのは太田姫稲荷という小さな神社だった。室町時代に太田道灌の娘が天然痘になり、京都にある一口稲荷という神社に快復を祈願し治癒したので、それを歓請して江戸城内に築いたものを、徳川家康が城外鬼門に当たる神田駿河台に遷座したとの謂れだった。
ビジネスとはあまり関係はないなと思えたが、会社のある神田小川町は、この神社の氏子の地域になっていたので、ここも参拝しておかなければならないとのことだった。
賽銭を投げ入れ、手を打った。
これで、新年恒例の祈願は終了となった。
会社の方向へ進んだ。何人かの者は連れ立って、昼食をとろうと飲食店に入って行った。社員諸氏の後塵を拝していた私は、靖国通りに出ると、会社のある左方向ではなく、右折しながら神保町方面に進んだ。左折して行く社長に誘われて、いっしょに昼飯を食べるのが嫌だったからだ。
靖国神社での初詣の帰りに流れて来る者も少なくないのか、神保町の街はそこそこに賑わっていた。私は、昼食をとろうと、三省堂の前の信号を渡って、そのまますずらん通りに入った。
新年早々でもあるし、多少奮発しても良いかなと思い、老舗中華の揚子江菜館に入った。まだ、十二時前ということもあり、並ばずに着席することができた。ここは、冷やし中華発祥の店と言われていたので、夏場ならそれを食するところであったが、今回は、池波正太郎がお気に入りだったという上海炒麺を頼んだ。
焼きそばを食べ終わるまでそれほどの時間はかからなかった。
店を出た。
時間が止まったような小道に入った。ラドリオとミロンガという老舗喫茶店の看板が目に入り、ラドリオに入った。ウインナーコーヒー発祥の店であったが、さすがにそれはたのまなかった。中華を食べたせいか、冷たいコーヒーを飲みたかった。
店にあるスポーツ紙を読み終え、席を立った。
社に戻ろうと神保町を歩いた。いつもなら、素通りする古本屋街だったが、今日は何もやることがなかったので、その中の一軒に立ち寄った。
古書の臭いがした。何とも言えない臭いだ。黄金色のメガネから上目づかいにこちらを見ている勘定場のおやじと目が合った。
難しい蔵書が並んでいた。何か特定のジャンルの物を買おうと思っていた訳ではなかったので、つまらない店に入ってしまったなと思いながらも店内をふらついた。
奥に進んで行くと、辞典のコーナーがあった。そこには色々な辞書があった。
『いろごと辞典』『怪異事典』『ファンタジー事典』『妄想国語辞典』『昭和のくらし辞典』『妖怪辞典』『名古屋弁辞典』『タクシー業界用語辞典』『官能小説「絶頂」表現用語用例辞典』
眺めているだけでも退屈しなかった。
『数学辞典』『法律用語辞典』など、当然、真面目な辞典も並んでいた。その中で、本棚の下の隅に『社会学小事典』があった。有斐閣双書の小事典シリーズのものだ。
ああ、懐かしいなあ……
思わず取り出して手に取った。大学時代に使っていたものと同じだったからだ。
こんな古い本が売れるのだろうか……
パラパラとめくった。ゲマインシャフトやゲゼルシャフト、カリスマ的支配やドヤ街まで載っている。
こんなに難しいことを勉強していたのだろうか、全く記憶がなかった。
最後のページをめくり終え、奥付まで見て、ケースにしまおうとした時、あ、こ、これは……
奥付の右下の隅に、『KO』と記されてあった。それは間違いなく私が書いた私のイニシャルであった。
これは俺の字だ。だが、なぜ、ここにあるのか……
咄嗟に、店の従業員に尋ねようと勘定場に向かった。
だが、先ほど座っていたおやじはおらず、若い学生のような者に代わっていた。
「あのー、この本、誰が持ち込みましたか?」
私の顔を見ると、店員は、
「それは、個人情報になるので、教えられません」
と、つれない返事だった。
どう見ても私を訝しがっている。しかし、それにはめげずに、続けた。
「この本、元々私のものなんですが、誰が持ち込んだのか知りたくて……」
さすがに、本来の持ち主であると言えば、少しは親切に教えてくれるだろうと思った。だが、その期待は裏切られた。
「そういう風に言う人、多いんですよ」
と、にべもない応えだった。
「え、そうなんですか……」
自分の本が売りに出されていて、問い合せる者がそんなに多いのだろうか。にわかには信じがたかったが、今はそんなことよりこの本の出品者が知りたかった。
その時、年老いた客が商品を会計に持ち込んだので、店員は、このやり取りは終わりにしてくれ、と言わんばかりの態度をとった。
仕方なく、元の本棚まで戻ると、その『社会学小事典』をもう一度パラパラとめくった。
なぜ、ここにあるのだろうか……私には記憶がない。誰かが持ち込んだに違いない。ということは、私が、その誰かにこの本を譲ったか、貸したか、そうとしか考えられなかった。
そのいきさつを頭の中で検証したが思い出せなかった。もう四十年近くも前のことになるからだ。
結局、それをケースに収め、陳列棚に戻した。
再び、神保町界隈を歩いた。
それにしても、どうしても思い出せない。
靖国通りの歩道を小川町方面に歩きながら、記憶を遡ろうとしたが、なかなかうまくいかなかった。
途中、以前万年筆を購入した金ペン堂が見えて来た。その店の手前にエンジ色をしたプレートのような物が貼られていた。よく見ると、名所旧跡の標しだった。そこには、次のように書かれていた。
―ここに住んだ俳人高浜虚子は、松山で発行された「ホトトギス」を引き継ぎ、俳句雑誌として再出発させた―
それを見た瞬間、思い出した。古本屋に持ち込んだ人物が特定できたのだ。
急いで先ほどの古本屋に戻って、『社会学小事典』を買った。と言うより買い戻した。
今度は、勘定場に、初めに座っていたおやじがいた。そして、また、上目づかいのおやじと目が合った。
私は、黙ったまま会計を済ませて店を出た。
その日の夜、新年会と称した宴席の後、帰路に着いた。
空席の目立つ地下鉄に乗り、座席に腰を下ろした。そして、レジ袋に入っていた『社会学小事典』を開いた。
古本屋で、これを手にした時、なぜこの本があるのかわからなかった。大学時代の書物など、もう何十年も開いていないガラス戸付きの本棚の中に入れたままだから、この本だけがそこに収納されていないということ自体、この四十年近く気にも留めていなかった。
私自身が古本屋に売ったのなら、さすがに覚えていた。そうでなければ、誰かに、あげたか、貸したかしかありえなかった。先ほど目にした高浜虚子で、はたと気付いた。それは、大学時代につき合っていた高垣慶子に貸したものだった。
今、どこで、何をしているのだろうか。元気にしているのだろうか。そう思うと、無性に気になった。そして、会いたくなった。慶子にとっては迷惑かもしれないが、とにかく会いたい衝動を抑えられなかった。
地下鉄に揺られ、酔いも手伝ってか、私はいつの間にか眠りに入っていった。
花見
あれは、大学二年の春だった。
その年は、寒く、三月になっても寒の戻りが続いていた。三十一日になって、ようやく桜の開花宣言がなされたが、四月に入ってからも冷たい春雨の日が続き、十日過ぎになってようやく花が満開となった。
その時、新学期が始まっていた。
その日、一時限目に、日本の俳句という一般教養の講義を受けていた。窓の外には、満開の染井吉野が揺らめいていた。
『咲き満ちてこぼるる花もなかりけり 高浜虚子』
桜が満開で、散り落ちる花がない。見方を変えれば、物事の絶頂期を迎えているということを桜の力を借りて表現している。
という歌の意味を聴いたところで講義が終わった。
当時、よくつるんでいた磯貝毅志が隣に座っていたが、
「これから、花見に行かないか」
と、高浜虚子に影響されてか、桜を見に行こうと言い出した。
ちょうど、今週、来週と選択科目は、試聴を兼ねた暫定授業を行っていて、出欠を取らなかったので、この後の授業も出席しなくても問題はなかった。
私は、花見もいいかな、と思った。
私の賛意を確認すると、磯貝は、ちょうど後ろに座っていた女性の二人連れにも、声をかけた。真後ろにいた堀池千鶴子は彼の出身校である秋田の高校の後輩だった。彼は、一浪していたので、後輩と同級生になっていた。
「え、お花見、高浜虚子に影響されたんじゃないの」
と、千鶴子が微笑んだ。
「まあな」
「そうね、去年、東京に来た時は、忙しくて、ゆっくりお花見なんかできなかったから、改めて東京の名所に行くのもいいわね」
「私も同じ」
その隣にいた水野よしえが賛同した。
「このあとの授業、来週試聴してもいいしね」
千鶴子は、もう立ち上がろうとしていた。
私たち四人は、地下鉄東西線九段下駅で降り、靖国神社に入った。
「ここが有名な靖国神社ね」
巨大な鳥居を見て、千鶴子が、大げさに驚いてみせた。
「それにしても大きな鳥居、私の地元にはないわ」
今度は、よしえが嘆息した。よしえの出身は、長崎だった。
境内には何本もの桜があった。どれもこれも満開だった。
屋台が出ていた。女性陣がたこ焼きを食べたいと言うので、四人でそれを頬張った。
本殿で参拝を済ませた。千鶴子が神社の中に併設されている遊就館に入りたいと言い出した。私はあまり興味がなかったが、三人に付き合った。
遊就館は、西南戦争や、日清、日露、そして、大東亜戦争など、戦争にまつわるものの展示が中心だった。千鶴子が、大東亜戦争のコーナーで、展示に見入っていた。祖父がシベリアに抑留され、その地で亡くなっているとのことだった。
遊就館を後にした私たちは、靖国神社を出て、他の人が歩いて行く方向に進んで行った。すると、千鳥ヶ淵に到着した。ここも桜は満開だった。
左の奥の方に、堀の水面ぎりぎりまでせり出している枝が見えた。珍しい桜の枝の伸び方だった。水上では水色や黄色のボートが行き交っていた。
早咲きの桜なのか、木によっては、するり、するりと散り始めているものもあった。
「日当たりの加減によって、花の成長に差が出るみたいよ」
千鶴子が解説してくれた。
桜が咲きそろう緑道は、広くはなかった。また、にぎやかではあったが、決して通りにくいというほどでもなかった。
私たちは、満開の桜を一本一本丹念に見つめ歩いた。
磯貝がカメラを持って来れば良かったと言ったが、そもそも今日花見をする予定などなかったのであるから、カメラなんて持って来る人がいるはずがない、と言われていた。
「それもそうだよな」
と言いながら磯貝が進行のペースを速めた。
何本かの桜を通り過ぎると、ボート乗り場があった。よしえと千鶴子がボートに乗りたいと言い出し、私たちも賛同した。坂道を乗り場の方へと下った。
平日のせいか意外に並んでいる人が少なかった。私たちの前に十人ぐらい列をなしていたが、ボートが立て続けに戻って来るので、ほどなく順番が回って来そうだった。
私は、ボートに乗るのは初めてだった。いや、もしかしたら、幼少の頃に乗せられていたかもしれないが、こうして大人になって、ボートを漕ぐという行為は初めてだった。だから、うまく漕げるかどうか不安だった。だが、そんなことを考えている間もなく、順番が回って来た。
ボートは二人用だったので、二組に分かれて乗ることになった。同じ高校の先輩後輩の関係である磯貝と千鶴子が先に乗り込もうとしたので、必然的に私はよしえと乗ることになった。
ボートに乗ろうとした時、後ろの席の下の縁に張り付いたように白いパスケースのような物が見えたが、座席の前に立った瞬間、安定感のなさからか、揺れ出したので、慌てた私たちは急いで腰を下ろした。
よしえと目が合った。互いにほっとしたような表情を浮かべた。
私は、オールを掴んだ。
その時、よしえの肩越しに、磯貝たちが出ていくのが見えた。彼の漕ぎ方を見て、ボートの進行方向は、自分の後ろの方だということがわかった。つまり背を向けて、漕ぐのだ。
最初のひと漕ぎ、ふた漕ぎとも、水面をかすって、オールをうまく水に侵入させられなかった。幸いにもよしえは千鶴子の方を見て手を振っていたので、格好の悪いところを見られずに済んだ。
三回目に水を深く抉ることができた。すると、思いのほかボートが進んだ。
そうか、こうやって、やればいいのか。
すぐに漕ぎ方を会得した。コツを覚えると、あとは結構スムーズに流れて行った。
向こう側に、幹から枝が水面に向かって伸びている木があった。先ほど上から見下ろした木だ。その木は早咲きなのか花びらがだいぶ散っていた。木の真下には落ちた桜が、花筏となって浮いていた。
磯貝がその花筏の中に、割り込むかのように侵入して行った。私もその後を追い、オールで花びらをかき乱した。
「まあ、」
よしえが小さな歓声を上げながら、水面に浮いている花びらをすくった。
すると、目の前に桜の花が現れた。
「わあ、こんなに近くまで来られるのね」
よしえが小枝を掴みながら、顔にぶつかるのを避けた。
私たちは、花や枝がからだに接触してもおかしくないくらいに接近していた。
私は、船の向きを変え、横に突き出した。すると、今度は順番が逆転して、磯貝たちより先になった。
花筏から離れ、直進して首都高速の下をくぐった。そこには別段何もなかったので、適当な所でUターンをして、元の乗り場まで戻った。
立ち上がろうとした時、ボートの縁にあった物に気がついた。そういえば、乗った時に視界に入っていたが、ボートを漕ぐことに夢中になり、すっかり忘れていた。
拾い上げてみると、定期入れだった。それを持ったまま、船を降りた。
中を開いてみると、今月から半年間有効の買ったばかりの定期券が差し込まれていた。おまけに、片側には学生証も入っていた。落とし主は、すぐそばにある大妻高校の三年生だった。学生証にはふっくらとした顔立ちの写真が貼られていた。
「何か拾ったの?」
ボートを降りた千鶴子がのぞき込んで来た。
「学生証の落とし物、ボートに落ちていた。定期もあって、買ったばかりのようだ」
「それなら、あの係の人に渡しておいたら」
ボートの従業員を指さしながら、よしえが言った。
すると、磯貝が、
「そこに交番があるから、そこに届けた方がいい。落とし主は、ボートに落としたという確信があれば別だが、それ以外の場所で落としたと思っていたら、交番に届け出るはずだから」
と、提言して来た。
「う~ん、そうね、確かに、ボートの従業員も、結局は、交番に届けるんじゃないの。それなら、初めから交番に届けておいたら」
千鶴子が強く助言をするので、結局四人で交番に届けることにした。
すぐ近くに交番、千鳥ヶ淵派出所があった。
私は、警察官にそれを渡し、簡単な聴取を受け、書類に記入して、そこを後にした。落とし主が来たらすぐに渡してくださいと言っておいた。学生証の写真を見て、この女子高生は好きなタイプではなかったので、関わりたくはなかった。
「それにしても、あの女子高生、もう少し痩せていたら、俺の好みだったのになあ」
磯貝が言った。
「それは、俺の言いたいセリフだよ」
と言って、同調した。あれが好きなタイプだと思われても困るからだ。
「まあ、二人とも……」
千鶴子が呆れていた。だが、そんな風に言いながらも、私たちに同感のようだった。女性陣も写真を見ていたからだ。
今日は、花見の最後にいいことをしたのかも、とよしえが言ったことに同調して、私たちは解散した。
帰宅後風呂に入り、寛いでいたら、警視庁麹町警察署から電話がかかって来た。一瞬警視庁とか警察署と聞いて、ドキッとしたが、先ほどの交番が麹町署千鳥ヶ淵派出所という名称だった。
「……という訳で、小木曽さんのハンコがいるんですよ」
届け出を受け付けた警察官の声だった。
私は、落とし主に渡してもらえば気が済むので、そうしてくれと主張したのだが、私のハンコがないと渡せない規則なので、どうしても来てくれということだった。私はしぶしぶ了承した。
翌日の夕方、派出所に行った。嫌々の参上だった。
ところが、物事は嫌々の時の方が予期せぬ展開を示すことがあった。
そこには、セーラー服を着た女子高生が二人いた。
「ありがとうございます。よろしかったら、お茶でもいかがですか」
ふっくらとした顔立ちの大妻高校三年生の落とし主に言われた。私は、この子だけなら、誘いを断るところであった。けれども、後ろに付き添いの友人がいて、彼女がものすごくきれいで、好みのタイプだった。私は、喫茶店に行くことに同意した。
よくよく考えてみれば、落とし主の子も、定期券を大学生に拾われて、それを受け取りに行くのに、一人では不安だったのか、友だちを連れて来ていたのかもしれない。
私たちは、喫茶店を探したが、なかなか見つからなかった。そして、結局、靖国神社の境内にある茶店に入った。
「これ、ほんのお礼です」
落とし主が白い封筒を差し出して来た。中には礼金が入っているものと思われた。購入したばかりの定期代だけでも数万円はしたであろうから、中にはその一割程度として数千円が入っているものと思われた。
私は、女子高生から礼をもらうのが恥ずかしく辞退したが、親に言われて、もらって来たからというので、それを受け取った。
その日は、前日よりも風が強かった。それも強風だった。桜の花がかなり舞っていた。落とし主は、強風に煽られる髪を何度も抑えつけていたが、友だちの方は右手で左側の髪を撫でながら軽く押さえるだけだった。その仕草がやけにセクシーに見えた。それもそのはずである、都心の高校生であれば、日本で最も洗練されている女子高生であるからだ。
大妻高校は千代田区三番町にあった。私は、その所在地を知らなかったので、彼女たちに聞いて、その立地の良さに驚いた。
最初は、学校が日本テレビの近くにあるので、よく芸能人に逢うなどという砕けた話をした。特に、学校に隣接しているマンションに西城秀樹とジュディ・オングが住んでいて、生徒が校舎の窓から『ひでき~』と言って、手を振ると、西城秀樹も手を振り返してくれるなどという話で盛り上がった。
そこで、彼女たち自身のことについて、話を向けた。
「付属高校だとそのまま上の大学へ行くんでしょ」
この頃の年の差は、大人になってからよりもはるかに大きな隔たりがあった。ましてや大学生と高校生との違いである。そこには、日本の世間が認めた大人と子供の境界線があると言っても過言ではなかった。
私は、初対面の相手ではあったが、あえて丁寧語を使わなかった。妹たちに話しかけるというような感じの方が、堅苦しい言葉より話しやすいと思ったからだ。
「たいていの子たちは、そのまま、上の大学か短大に行きます」
やはり、そうか、と思った。
「だけど、私たちは、外の大学を受験しようかと思っているんです」
今度は友だちの方が答えた。
「付属なのに、上に行かないの。それはもったいないんじゃないの」
と言いながらも、私の大学にも、他の女子大学の付属高校出身の者が少なくないことを思い出した。
「勉強したいものがあって、それが上の大学の学部にはないんです」
と、落とし主が言うので、
「何が勉強したいの?」
と尋ねた。
「私は、フランス文学をやりたいのですが、上の大学には、日本文学と英文学しかないので、それで、他を受けようかと……」
付属の女子高に入ってしまえば、専攻など適当に選んで、エスカレータ式に短大に上がって、後は縁故で一流企業に就職をして、数年経って結婚して辞める、というのが定番と考えていたので、この付属校生たちの生き方は意外だった。
「二人とも仏文なの?」
「いえ、私は、歴史です」
友だちが答えた。
「歴史を女の子が好きって、珍しいんじゃないの。何時代が好きなの。江戸時代とか」
浅はかな私は、歴史好きは男で、それも戦国時代や江戸時代に人気があると決めつけていた。
「私がやりたいのは、東洋史とか西洋史なんです」
そうか、そういうのもあった。社会科に関しては、受験で政治経済や倫理社会を選択していたので、歴史には興味がなかった。歴史と言えば日本史のことぐらいしか浮かばず、世界史があることすら忘れていた。
「その中でも、何をやりたいの? フランス革命とか」
宝塚歌劇団で、フランス革命時代を舞台にした『ベルサイユのばら』が流行っていたので、流行に敏感な女子高生だから、大方そんなところかなと思った。
ところが、想定外の答えが返って来た。
「私が専攻したいのは、アッシリアなんです」
「アッシリア? なんだっけ、それ?」
アッシリアと聞いて、チンプンカンプンだった。大学生なので、馬鹿にされてはまずいとは思いながらも、あまりにも聞いたことがなかったので、素直に尋ねてしまった。
「わかりやすく言いますと、古代メソポタミア文明の中の一つの時代のことです。紀元前二千年ぐらいから始まっています」
「……」
その歴史の話にはついていけそうになかった。
私の表情を見てか、落とし主が言った。
「困るのは、付属校なので受験対策をやらないことなんです」
「それじゃあ、予備校には行ってるの?」
「はい、二人で駿台に行ってます」
やはり、学校の授業だけでは不完全なのか、駿台予備校に通っているようだ。確かに付属高校では、大学入試の対策などを行わないので、それなりに苦労が多いと思われた。しかし、それ以上に、他の人がみな付属の大学に行くのに、それに逆行する生活スタイルをとること自体が大変だ、と二人が異口同音に主張していたのが印象的だった。大半を占める受験をしない生徒の生活の流れに逆らうのが、難儀だと言っていたのだ。
ところで、私は、落とし主の友だちの方を気に入っていたが、そもそも知り合うきっかけとなったのは落とし主の方だったので、彼女を飛び越して友だちの連絡先を聞くことはできなかった。というよりも聞き出す勇気がなかった。
喫茶店を出て、二人との別れ際、「来年の受験、頑張って」とだけ伝えるのが精いっぱいだった。情けないことに、友だちの名前さえ聞いていなかった。
その後、しばらくの間、桜の舞う強い風を受けながら、右手で左側の髪を撫でていた大人びた彼女の表情が脳裏から離れなかった。
しかし、季節が夏、秋へと変わり、冬になり、クリスマスの頃にはその子の幻影は消えていた。
再会
年が明け、長い春休みが終わって、新学期となった。
私は、三年になり、所属していた軟式野球のサークルの部長兼主将になっていた。このサークルは、就職活動のため四年生は一線を退くという慣例を踏襲していたので、幹部のお鉢が回って来たのだった。この点は正規の体育会と違うところであった。
この春は、桜の開花が昨年より早く、四月の上旬のこの時季になると、散り始めていた。
私のサークルは、毎年決まって、入学式の翌日に、キャンパス内に長いテーブルを置いて、新入部員の勧誘を行うことになっていた。もちろん、大学当局の許可をもらってのことだが。それは、二年生が中心となってやっていた。
主将になっていた私は、新入部員の加入状況が気になっていた。一年生部員の優劣が二年後三年後、ひいては将来の浮沈に関わる重大な要素になるからだ。
ところで、大学の軟式野球のサークルのあり方というのは難しいものだった。勝利至上主義ならぎすぎすしてしまうし、野球を楽しめればいいとなると、ストライクも入らないのにピッチャーをやりたがる者が続出する、というような状況になってしまうのだった。いずれにしても、本格的ではないにしろ、そこそこの技術が伴っている者でなければ、試合には出せなかった。
たいていの場合、プレイの上手なやつは練習をさぼりがちで、下手なやつほど練習に参加した。ところが、試合となると負ける訳にはいかないので、練習を怠けていても上手な選手を起用する。すると、サークル内には不協和音が漂って来る。という状態の繰り返しだった。
これはどこのサークルも同じような状況だと、一つ上の先輩たちから聞かされ、引き継がされていた。しかし、三年になって、他のチームの首脳陣と接していると、他はかなり勝利を意識してチームを運営していることがわかった。
どうやら、楽しくなければ野球じゃないなどと能天気なことを言っているのはうちのサークルの先輩たちだけのようであった。それが証拠に、昨年の成績は所属している二つのリーグで、六チーム中五位と最下位であった。
だから、今年は、高校で野球部に入っていた者を取りたいと副将以下の幹部が言っていたのも、満更うなずけない訳ではなかった。
それでも、私は、楽しく練習をやりながら上手くなっていくような選手を入部させたかった。まあ、それが一番難易度の高いことではあったが。
いずれにしても、新入生の入部状況が気になっていたので、授業もそこそこに勧誘しているサークルの出張所をのぞきに行った。
ちょうどゆるやかなスロープを上り切ったところにテーブルが設えてあった。横には、桜の木があった。
「まだ、二名かあ……」
桜の花びらが落ちていた名簿をめくると、二名しか記入していなかった。
「午前中に二名ですから、出足は好調だと思いますが……」
会計係を担当させている二年生が言った。
「どうです、このポスター、なかなかいいでしょ」
勧誘用のポスターの作成を担当している二年生から、出来立ての今年度のポスターを受け取った。
『汗をかいたらビールがうまい
練習・コンパは一心同体
軟式野球同好会〇〇〇〇〇』
「確かにまとまりはいいけど、これじゃ、酒に弱いやつが入って来なくなっちゃうかもしれないぞ」
率直にそう思った。
「そうですかあ……」
「おまえたちみたいな、アル中ばかり集まっても困るよなあ……」
サークルには、東北や四国、九州などの地方出身者が多く、異常に酒好きが多いのも頭痛のタネだった。練習の後には必ずアルコールを飲まなければ気が済まない大酒飲みの集合体になっていたのだ。その意味では、このポスターのキャッチコピーは、サークルの状況をうまく言い表してもいた。
「これ、中大に行った高校の先輩で、ぴあの創設のメンバーにいた人に考えてもらったんですが……」
「なるほど、道理で語呂がいいと思った……今更、作り直す訳にもいかないしなあ、これでいくしかないだろ」
と言いながら、そのポスターを二年生に返す時、突然、風が吹いた。ものすごい勢いで、桜吹雪が舞った。その時、向こう側で、見覚えのある姿が目に入った。
風に吹かれて、右手で左側の髪を押さえる仕草だ。
どこかで、見たような……
すると、相手の方が気づいた。あ、という驚きの口を小さく開け、首をかしげていた。
すぐに思い出した。彼女は、去年、出逢った定期券の落とし主の友だちだった。
彼女はあの時のセーラー服から脱却して、少し大人っぽくなっていた。
さらに、強風が吹き続けた。すると、彼女の手元にあったイチゴが転がって来た。本来イチゴは逆三角すいのような形をしているが、それはいくぶん丸みを帯びていて、転がり易かったのか、私の足元で止まった。
私は、前に進んでそれを拾い上げると、歩を進め、彼女に手渡した。
「お久しぶりです」
「うちの大学に入ったんだ」
あれから定期券の落とし主とも連絡がなく、ましてやここにいる友だちとの音信などあろうはずもなかった。
在校生は、浪人の比率が七、八割に達していたので、現役で入って来るというのは極めて優秀であった。
「学部は?」
「文学部です」
「それじゃあ同じだね。学科はどこに行きたいの?」
文学部は二年から学科に分かれることになっていた。たいていは、希望通りに進めたが、英文学科、社会学科、心理学科は人気が高く、定員を超えると、一年時の成績順で決められることになっていた。
「東洋史です」
「ああ、そうだったね」
去年、その話をして、チンプンカンプンだったのを思い出した。
「確か、アッシリ、とか、なんとか……」
「アッシリアです。メソポタミアの」
と言いながら彼女が笑った。
私は、思わず頭をかいてしまった。
視線を逸らせると、そばにある机に、フルーツ研究会というチラシが貼ってあった。
「フルーツ研究会? そんなサークル、あるの?」
無届けのものも含めると、サークルの数は千を超えると言われていたが、珍しいものもあるものだと思った。
「まだ、入ると決めた訳ではないんですが……」
どうやら、彼女は、フルーツ研究会から勧誘を受けているらしい。
「うちのサークルで、マネージャーをやってもらえませんか?」
いきなり後ろから声がかかった。振り向くと、会計係の後輩だった。性格が図々しく、こういう時、役に立った。だからこそ、勧誘係に抜擢したのだ。
さりとて、彼女が軟式野球のマネージャーなんかになる訳がないと思った。
ところが、予想に反した回答が返って来た。
「マネージャーは、どんなことをすればいいんですか?」
入る意思のない者は初めから聞く耳を持たず、当然質問などして来なかった。だから、その反応は意外だった。
「それじゃあ、こちらへ」
と言いながら、会計係が、彼女と、ちょうどいっしょに連れ立っていた彼女の友人とを『汗をかいたら ビールがうまい』の方に誘導した。
私は、突然の彼女との再会と、彼女の意外な反応に驚き、彼女の後ろに従わざるを得なかった。
ひと通り、説明が終わると、
「それでは入ります」
と、彼女たちはあっさり、入部を表明した。
「え、本当に入るの?」
私は、思わず、口走った。
「はい」
彼女たちは、すぐに入部書類を記入してしまった。書面には、千代田区三番町在住の高垣慶子と記されていた。
「わがサークル久しぶりのマネージャーの誕生です」
会計係が宣言した。
「小木曽先輩のお知り合いです」
「よろしくお願いします」
周囲にいたメンバーがみな拍手をして、歓迎した。
すると、彼女は私の方に歩み寄り、
「よろしくお願いします。小木曽キャプテン」
と、小さくお辞儀をした。
「よ、よろしく……」
数年前に、双子の歌手であるザ・リリーズの『好きよキャプテン』という歌が流行っていたのを思い出した。それを意識して、女性からキャプテンと言われると、照れ臭くならざるを得なかった。
その後、彼女たちは、学生事務所と生協に用事があると言い、その場を去った。
私は、閉口したまま、彼女たちを見送っていた。
入会はしたものの一時の出来心で、サークルにはやって来ないのではないかと危惧をしていが、それは杞憂に終わった。ただ、同時に入会した友だちは入らずに、もっと野球好きの別なクラスメイトに入れ替わっていた。
嫌になって、辞めてしまっては元も子もなかったので、嫌がるようなことをさせないようにした。選手のユニホームを洗濯したり、用器具の手配をしたり、いわゆる雑用をこなす役目を負わせなかった。そうすれば、辞めないでいてくれるのではないか、というのが大方のメンバーの意見だったからだ。私はその方針を採用した。
彼女たちに課していたのは、ほぼ隔週で行われる試合に来て、スコアをつけることだった。だからスコアの付け方だけは覚えてもらうことになった。最初の友だちと入れ替わりに入った野球好きの子がつけ方を知っていたので、慶子はその子からつけ方を学んでいた。
スコアの記入のみを役割として頼んでいたが、試合には手作りの弁当を作って来てくれた。中身は、おにぎりや巻き寿司の他に、鶏のから揚げや炒めたウインナー、だし巻き卵などが入っていた。試合の当日、自宅のキッチンで、もう一人のマネージャーといっしょに作っていると言っていた。いつも十五、六人分を作るので、費用もかさむと思い、部費から支給すると言っても受け取らなかった。
私は、慶子に好意を寄せていたが、主将という立場上、動きにくかった。ただ、私が躊躇をしている間に、誰か他の男と付き合い始めてしまうのではないかと気が気でならなかった。何せ出逢いは多方面に用意されていたからだ。サークルだけでなく、語学のクラスでは慶子に目を付けている者がいない訳がなかった。次にアルバイト先、彼女は市ヶ谷のパン屋で働いているとのことだった。
ただ、最悪のケースはサークルのメンバーと付き合うことであった。メンバー間で、マネージャーの話題になることがしばしばあったが、意見を聞いていると、ほぼ全員から好かれており、中には付き合いたいと公然と口にする者までいた。
そのような状況であったから、私はいつも他のメンバーの動きを追っていた。つまり、監視していたのだ。時には、試合の進行よりも慶子の動向の方が気になってしまうことさえあった。
二か月以上が過ぎ、六月末となった。じめじめとした梅雨の季節になっていた。
その日、私は、生協で本を物色していた。
専攻していた社会学の関係の本の前にいたが、ふと、三つ先のコーナーにある歴史学の表示が目に入った。
歴史学かあ……
そういえば、慶子が専攻したがっているアッシリアというのは、どのようなものなのか。詳しくはわからなかったので、改めて書物で覗いてみようと思った。
歴史学関係の書棚の前に立ってみたが、アッシリアという文字を本のタイトルに入れている物は見当たらなかった。
仕方なく歴史学の辞典を手にした。そして、アッシリアという言葉を引いた。
アッシリアは、古代メソポタミア文明の中のある時期を指していて、その時の国家がアッシリア帝国と書かれていた。
はっきり言って、私には興味がなかった。
「こんなものが好きなのか……」
と、ひとり言を言いながら、辞書を書棚に戻した時、
―ポン―
と肩を叩かれた。
「先輩、こんにちは」
振り向くと、慶子だった。ニコニコしながら、首をかしげている。ピンクのシャツに白いスカートをはいている。
「歴史学にも興味、おありなんですか?」
彼女が、私が手にしていた本を見ていたかどうかはわからなかったが、歴史書の前に立っていれば、そう思うのは当然であった。
「……うん、ちょっとね」
私は、曖昧な返事をした。まさか慶子が専攻しようとしているアッシリアのことを調べていたとは言えなかった。
「もし、歴史、お詳しいなら、色々と教えてもらえますか?」
屈託のない笑顔がそこにあった。
「歴史かあ……」
歴史になんか全く興味はない、と、この場では、口が裂けても言えなかった。だから、
「社会学なら、教えられるんだけどなあ……」
と言うのがやっとだった。
「社会学って、私、よくわからないんです。教えてもらえますか?」
「……ああ、いいよ」
それなら、彼女との会話が続く。私はそれが嬉しかった。
その時、偶然私も慶子も授業が終了していて、後は帰宅をするだけになっていたので、喫茶店に行くことになった。
サークルのメンバーには見られたくはなかったが、慶子は堂々と歩いていた。まるで、二人でいるところを目撃されても平気であると言わんばかりにである。それは、きっと、他に信頼し合っている恋人がいるから、私とはただの先輩後輩の関係よ、と余裕を持って振る舞っているのではないかとも勝手に推察した。
喫茶店では、社会学の説明をした。高校の教科書で言えば、倫理社会の社会の部分と思えば良いということ。一橋大学や立教大学は社会学部というのがあるが、たいていの大学は、文学部に属しているということ。社会科学の一部門であるから、文学をやろうと志している者とは方向性が違うこと。人間社会全般と関わっているからなんでも社会学になってしまうこと。たとえば麻雀社会学とか恋愛社会学というようにである。
専攻の学問のことになると、不思議なくらい言葉が次から次へと湧いて出た。
慶子は、聞き役になっていた。
「社会学って、とっても範囲が広そうですが、その中でも卒論では、何を取り上げるおつもりですか?」
それは良い質問であった。
「都市社会学だよ」
「都市?」
「そう、都市、都市問題という感じかな」
「いいですね、ちゃんと決まっているものがあって……」
「え? 高垣だって、その、アッシリアというのをやりたいんじゃないの?」
先ほど、辞書で調べて来たばかりだったので、きちんとアッシリアという文言を覚えていた。
「それが、アッシリアをやっていた教授が退官してしまって、今年からその講座、なくなってしまったようなんです……」
「そうなの? それは、困ったねえ」
教授がいなくなると、その専攻はなくなってしまうのだろうか?
「次に入ってきた先生は、古代史は古代史でもアッシリアとは時代が違うところを専門としているようなんです……この際、隣接している西洋史に行こうかと迷っています」
なるほど、アッシリアだけというのでは、あまりにも範囲が狭過ぎるのかもしれない。
一瞬、私が考え込んでいると、慶子が話を変えて来た。
「先輩、これから、お時間、ありますか?」
「え? 別に忙しくはないけど……」
もう日が暮れようとしているのに、慶子は何を言い出すのであろうか。
「今から、美術展に行きませんか? 私、見たいものがあるんです」
「美術展っていったって、もう夜になっちゃうよ。これからじゃ、間に合わないよ」
突拍子もない提案に、慶子は世間知らずなのかなと思った。
「ダイ・ジョウ・ブ」
慶子がふざけながらつぶやいた。
「国立近代美術館は、金曜日の夜は八時まで開いているんですよ」
「え? そうなの?」
「美術館ナイター、っていう感じですね」
私にわかりやすく説明したいのか、和製英語である野球用語のナイターを文字っている。この当たりが慶子の頭の良いところだった。
そして、私たちは、東西線に乗り、竹橋駅で下車した。
六月の夏至直後だけあって、あたりはまだ明るかった。
夜間営業を知っているのか、中には、ぽつぽつと来館者がいたが、ほとんどの者たちが男女二人組であった。慶子はいつもこうして、他の男と来ているのだろうか、私は、余計な推測をした。
展示されている作品は、横山大観、菱田春草、川合玉堂など、明治以降のそうそうたる画家たちで占められていた。
慶子は、川合玉堂の『行く春』に見入っていた。
横に四メートルほど広がった絵だった。桜が散り行く渓谷を表していた。左半分に桜が描かれ、右に流れていく川面に、桜が、小雪のように舞っていた。
私は、慶子の右側に立った。
「きれいね」
と言いながら慶子が右に首をかしげた。ちょうど髪が私の左肩に触れた。私は、ドキドキした。これほどまでに高鳴る胸の鼓動は生まれて初めてであった。
しかし、先輩である私は、その動揺を悟られまいと必死だった。
「だけど、なんか、寂しそう」
その絵を見て、寂しそう、と言った慶子の言葉が印象的であった。
私たちは、その翌週には日比谷に映画を見に行き、翌々週には帝国ホテルの周りを一周しに行った。なんでも慶子の母方の祖母が福島県の白河藩の末裔らしく、その上屋敷の跡に建てられた帝国ホテルを検分しておきたいというなんとも歴史好きな慶子らしい所望であった。
そのようにして、私たちは付き合い始めていった。
学年が二学年離れていたせいか、受講科目はもちろん、授業時間や教室も重なることがなく、不思議なくらいキャンパス内では慶子に出逢わなかった。それから卒業まで、初めに生協の書籍売り場で逢ったのが、結果的には最初で最後の学内での慶子との偶然の出逢いであった。
二人でいるところを目撃されない以上、私たちの付き合いがサークルのメンバーにばれることはなかった。慶子は他の人にわかってもいいとの考えであったが、私が、主将という立場上、あえて公言することはないと主張したので、彼女もその意をくんでいた。特に、慶子に好意を寄せている部員もいたので、余計な波風は立てたくなかった。
ところで、野球の方は、慶子たちマネージャーのスコアリングにもかかわらず、春夏の大会では、三勝七敗と負け越していた。
しかし、秋口から入った私のゼミの同期が、高校時代野球部で投手をやっており、その剛速球と縦に落ちるカーブを生かし、相手チームを抑えたので、後半は逆に七勝三敗と勝ち越し、年間トータルでは十勝十敗のイーブンにし、所属していた二つのリーグでは三位と四位に浮上していた。
しかも、最終戦では、ノーヒットノーランを達成し、私は主将として、有終の美を飾ることができた。
晩秋のちょうどその頃は、慶子たち一年生が、二年時から所属する学科の希望届を出す時期であった。
その日、慶子から電話がかかって来た。
「私、こう君と同じ社会学科にしたの」
慶子は、私が年上であるのにもかかわらず、私の衡平という名前の一部を君付けして呼んでいたが、私にはそれが心地良かった。
「え? 西洋史じゃなかったの?」
アッシリアの専門教員がいなくても似たような時代をやっている教授が西洋史にいたので、てっきり西洋史に行くものと思っていた。大学の専攻ほど、いや、学問の専攻ほど、興味関心のあるもの、好きなものを専攻しないと、つまらないものになってしまう。就職率が良いことだけを考えて法学部に入ったものの、全く法律に興味がなく、苦痛でたまらない、などという話は枚挙に暇がなかったからだ。だから、慶子も本当に社会学に興味がないと、勉強が続けられなくなるのではないかと思い、心配だった。それになによりも、恋人である私と同じものにしたいからと専攻を選ばれては、私にも責任があった。
だが、感の良い慶子はその当たりのことにも気を回して、
「大丈夫よ。こう君から色々と社会学の中身のこと聞いていて、興味がわいたの。私、数理社会学をやろうかと思って……」
と、具体的な分野まで指定して来た。これは本気なようだ。
「こう君、いらない本、貸してね。財政的にも助かるから……」
いつものように慶子は屈託がなかった。いや、いつも以上にはしゃいでいるようにも思えた。
「しょうがないなあ……」
と言いながら、慶子に頼られる私も満更ではなかった。
「それじゃあ、とりあえず小事典、貸してあげるよ」
「わあ、これで一冊、節約できたわ」
慶子の声は弾んでいた。
この時まで私は、慶子が女子学生の比率の高い西洋史学科を希望していたので、他の男と知り合う確率が低くなるだろうと安心していたが、社会学科はほとんどが男子学生だったので、その時、何か嫌な予感がした。だから、まだ、学科申し込みの変更は可能であるから、好きな歴史をやるようにと強く勧めることも考えた。だが、慶子に限って私を裏切るようなことはないだろうと思い、そうすることを踏みとどまった。
しかし、予感は的中し、この時の学科の変更が、その後の私たちの将来の行く末を決定付けてしまった。
翌年、私たちは、それぞれに進級し、四年、二年となった。慶子は、志望者が定員をオーバーしていた社会学科に外れることなく無事に入った。
一方、サークルの方は、今年も積極的な勧誘が功を奏し、なんと三人の女子マネージャーが誕生していた。それには、慶子たち先輩の女子マネージャーからの誘いが、入部への抵抗感をなくすことに、一役買っていた。
さらに、マネージャーの存在が一般選手の加入増加にも貢献した。今までは男所帯で、誘いを連呼していたが、そこに慶子たち女性の声も加わったので、サークル全体の雰囲気が華やいだものとなり、男性も引き寄せられたのである。
所詮、人の世はこんなものだ。
三階の教室の窓から、勧誘の状況を見降ろしながら、私は、そう思った。
あっという間に月日が過ぎ去り、就職活動の季節になった。私は、丸の内に本社のあるメーカーに内定した。
そして、ある日、サークルが試合を行っていたので、それを見に行った。就職活動で、もう四か月ほど試合を見ていなかった。
ゲームは同点で盛り上がっていた。
慶子は立ち上がって、応援していた。おとなしく、たどたどしく、ベンチに座って、スコアをつけていた去年とは大きな違いがあった。
ああ、人って、変わって行くんだなあ……
はしゃいでいる慶子を見て、しみじみと実感した。
試合は、サヨナラスクイズで点を入れた私たちのチームが勝った。だから、夜は祝杯を挙げるために、居酒屋へ直行だった。いまだに、私たちが付き合っていることがばれていなかったので、いつものように慶子は私より遠目の席に座った。
二人で食事をしている時にはほとんど酒を飲まない慶子ではあったが、今日はずいぶんと飲酒が進んでいた。
ちゃんと帰れるのかな? と、心配しながら私はその場を後にした。
翌年、私は社会人となり、配属先は、富山支店に決まった。
「ずいぶん遠くに行っちゃうのね」
それが、慶子の第一声だった。私たちの交際も三年目に突入していた。
「仕方ないよ、新人の振り出しは地方からだからさ」
それにしても富山は遠かった。新幹線もない時代で、特急のはくさん号で六時間はかかった。当然東京との日帰りは無理であった。
入社した直後、私は、ご多分に漏れず疲弊した。慣れない仕事に疲れ果てていた。
一方、三年生になった慶子はなんと部長に就任していた。去年までは、主将が部長を兼務して大変だったので、選手として試合には出ない慶子たちの存在を利用して、主将と部長を分けたのであった。プロ野球でいえば、選手とフロントとが別なようにである。
慶子は、リーグに所属している他大学のチームとの交渉や調整などを一手に引き受けていた。
そんな二年後輩の連中を、要領のいいやつらだと思った。現況を説明する慶子からの長距離電話を聞いて、いつもそう思った。
私は、毎日の疲れのあまり電話でのやり取りが沈みがちになっていたが、逆に慶子の声は弾んでいた。
一年が過ぎ、慶子は四年生になった。
「後輩に譲らなきゃ」
と言いながらも結構サークルに関与しているようであった。
その頃、慶子が、松任谷由実のコンサートに行きたいと言うので、私は、大学の同期でマスコミに就職した者に頼んで、チケットを入手した。
それを聴きに行くという目的もあったので、私は、ゴールデンウィークに帰京した。久しぶりの東京であった。
富山を七時四十四分に乗って、上野に着いたのは、二時だった。六時間以上電車に揺られての移送に背中と腰が痛くてたまらなかった。
ユーミンのコンサート会場は、北の丸公園内にある日本武道館だった。物凄い人込みで、入口に立つ慶子を見つけるのもやっとであった。
手ずるで入手した割には、そのチケットは前の方の席ではなかった。
「ずいぶん後ろねえ……」
席に着くなりの慶子の第一声であった。
入手困難のプラチナチケットをゲットできただけでもありがたいというのに、もう少し素直に喜べよ、と思った。
会場は、大歓声に包まれていたが、歌声や歓声が恒常的なBGM代わりになったのか、私はうつらうつらと居眠りをしてしまった。日々の仕事に疲れ切っていたのだ。
「寝ちゃってたでしょ」
慶子は、私の疲れを労わるどころか、私を非難していた。
その年は、今度は四年生になっていた慶子の就職活動の番だった。
四年制大学の女子を採用する企業が少なかったが、慶子は縁故で竹橋にある住友商事に内定した。本人が言うには、叔父がミラノの支店長をしていたので、面接では、ミラノの高垣支店長は叔父さんですか、と聞かれたとのことだった。本人の関知しないところで、親と親戚が手を回していたのに違いなかった。
住友商事は、四年生女子を大量採用していたが、それは男性社員の花嫁候補としてのもので、戦力になるとは考えてはいなかった。それが証拠に社内結婚はもちろん、社外の者と結婚しても、退社しなければならない不文律があった。それは、適齢期以降の女性に適用されていたので、それに該当した者の中には結婚と偽って、辞めていく者もいた。要するに、未婚でも、年を取ったら辞めざるを得なかったのだ。
そんな会社であったから、慶子も腰かけと考えての就職であった。
慶子が社会人となって竹橋に通うようになった年の暮れ、私も翌年の春にようやく東京本社に異動する告知を受けた。
「やっと、帰れる……」
三年目になり、支店の仕事にもやっと慣れて来た頃ではあったが、やはり東京には帰りたかった。
その年の師走の三十日に帰京した。
その日の夜、慶子と銀座で食事をした。夏休みに会って以来半年ぶりだった。慶子は、初めての本格的なボーナスで手に入れたというムートンの毛皮のコートを着ていた。口紅も桃色からピンクへと、以前よりも濃くなったような気がした。学生時代とは見違えるほど華美な雰囲気を漂わせていた。変わったな、と、私は思った。
いつものように、食事をして、有楽町の駅前を歩いた。電気ビルの前に差し掛かった時、慶子が、
「まだ、話したいことがあるんだけど……」
と、駅に向かって歩き続けている私の腕を引っ張った。
まだ、話し足りないことでもあるのかなと思いながらも、振り向くと慶子の顔色が変わっていた。
「何?」
「……」
慶子は話しにくそうな顔をしている。
そして、顔面が蒼白になっていく慶子を見て、ただ事ではないと察した私は、ちょうど近くにあった有楽稲荷神社の鳥居のそばに慶子を引き寄せた。
「しばらく、離れていて欲しいの」
「え? どういうこと?」
それは、突然の別れの宣告であった。
ようやく、東京に戻って、慶子のそばにいられるという矢先である。私は、納得がいかなかったが、慶子には新しい恋人ができたとのことであった。サークルの連中かと詮索したが、そうではなかった。それは、社会学科のゼミの同期で、数か月前に開かれた同窓会で再会してからの始まりのようであった。
やはり、女子の多い西洋史学科に入っていれば良かったのに、と一瞬脳裏をかすめたが、後の祭りだった。
古い恋は新しい恋に勝てない、その時、そう思った。
陶芸教室
その日、昼食をとるため、神保町界隈を歩いていた。交差点で信号待ちをしていると、向こうからどこかで見かけた人がやって来た。私が怪訝そうな顔をしていると、古本屋の者だと名乗った。あの上目づかいのおやじだった。だが、今は普通の視線を向けて来ていた。
「お客さん、この前、買われたあの辞書の入手先を熱心にうちのバイトに尋ねていたそうですよね」
「は、はい、それが何か?」
「それ、先月、うちのかみさんが買い取ったらしいんですよ」
「え、……」
突然、情報の伝達を受け、瞬間的に、それなら慶子の近況がわかるかもしれない、と思った。
「とにかく、かみさんの話を聞いてみてくださいよ」
おやじがそう言うので、古本屋を訪ねた。
勘定場にはこの前とは違うバイトと思われる学生が座っていて、かみさんは奥の座敷にいた。その座敷に上がれと言うので、遠慮なく上がり、勧められるままに炬燵に足を通した。電気型ではあったが、珍しい掘り炬燵であった。
「あなたが物凄い形相をして、辞書の出所を尋ねて来たって、うちのバイトが言うもんだからね、私なりに思い出してみたのさ……」
かみさんは、ひと呼吸置きながら、茶をすすった。私には、おやじが茶を入れてくれた。
「顔はよく見てなかったんだけどね、女の人でね……カバンの中から本を取り出す時に、最初にお茶碗を取り出すものだから、うちは、古本屋だから、瀬戸物は買い取ってませんよって言ったら、近くの陶芸教室で作ったものだって言ってたわ……」
それだけでも十分にヒントになった。
私は、古本屋を辞した。
スマホで陶芸教室を検索したら、何か所か現れたが、すぐ近くにあるのは一か所だけだった。古本屋からすぐ近くにあったので歩いて行ってみた。
その教室の前に立った。
果たして、慶子はここに通っているのだろうか……。ただ、本屋のかみさんに、慶子がこの近くの陶芸教室の帰りだと言っていたのだから間違いはないはずだった。
だけど、慶子が入会をしていることをこの教室の関係者は教えてくれるだろうか。個人情報を簡単には明かさないはずだ。
それに、結婚後の名字を語っていたら、慶子という名前だけでは厳密には特定できない。家に帰って、サークルの卒業生名簿を見て、名字を確認してみよう。この日は、教室のパンフレットを取って、退去した。
卒業生名簿には、慶子の結婚後の名字は当野と記載されていた。ずいぶん珍しい名字だった。
私は、数年に一度OB会に顔を出していたが、慶子はいっさい現れなかった。あんなに積極的にサークル活動をしていたのにである。他のメンバーは口々に、彼女がなぜ出席しないのかが解せないと言っていた。おそらく私との再会を嫌がってのことだろうと、私は勝手に思っていた。
陶芸教室には、ちょうど良い具合に、一日体験教室というのがあった。私は、それに入った。
最初に名前と連絡先を記入した。どこかに、慶子の足跡や痕跡がないかと探索したが、何もなかった。この体験の一日に慶子と偶然出逢うことを期待したが、その日、遂に、慶子は現れなかった。
校長や講師、あるいはここに参集している人たちに片っ端から慶子の存在を尋ねる訳にもいかず、悩んだ末、結局、正式に入会することにした。
子会社に出向して来てからあり余るほどの暇があったし、まあ、人生のこの当たりで、ろくろを回してみるのも良いかな、と思ったからだ。
とりあえず平日の夜のクラスを申し込んだ。幸いなことに、曜日や時間は臨機応変に振り替えることができた。
体験教室に入ったのが火曜日だったので、違う水曜日を選んだ。
そして、正式入会後の第一日目を迎えた。前回同様に、土をこねることから始まった。焼き物の基本となる作業で、菊練りと言い、手のひらでこねながら、菊の花びらのような紋様を作り上げていく手法だった。これは、そばを打つ時にこねるやり方と同じで、富山の支店時代に老舗のそば屋で、そのやり方を教わった記憶があった。
しかし、土は簡単ではなかった。何度やってもうまくこねられなかった。あまりにも下手だったので、先生が見かねてこねてくれた。
こうして、土のこね方を習いながらも、後から入室して来る生徒の存在が気になってばかりいた。
この日、私より遅れて来た者は三人で慶子はいなかった。もちろん、先客にもその姿はなかった。
作り上げたのは、へんてこな湯飲み茶碗であった。壊してしまいたいくらいであった。
こうして、二回目のレッスンが終了した。
「小木曽さん、再来月に作品展がありますから、その時までには、何か一つ作り上げてくださいね」
校長なのか経営者なのか、この教室を仕切っている人に、そう言われた。
「作品展というのは何ですか?」
作品展と言われても何のことかさっぱりわからなかった。もっともこの陶芸教室のホームページには詳細が記されていたような気がしたが、入会した動機が動機だけに、そんな説明はきちんと読んでいなかった。
「一番出来が良い物、ご自分のお気に入りの作品を一つ選んでください。教室内に一堂に並べて展示をします。その時はご家族の方など、参観にいらしてもかまいません。ただ、お教室は通常通り開かれておりますので、小さなお子様などお連れする場合は、注意をしてください。これは年に一度行っています。それがたまたま再来月です」
「それまでにできるでしょうか?」
私は、焼き物がどのくらいのサイクルで出来上がる物なのかわからなかった。
「だいじょうぶですよ。十分に間に合いますよ」
「そうですか。それでは頑張ります」
一応、そう答えたが、作品展などどうでも良かった。ここでは、慶子に会えるかが重要なのだ。そもそもそのために入会したのだから。
振替制度を利用して、その翌週は、月曜日に出席した。
生徒が入って来るたびにチェックしていたが、この日も慶子は来なかった。
翌週は木曜日と金曜日の都合が悪く、そのまた翌週の金曜日に参加した。これで四つの曜日をクリアしたがいずれも外れであった。最後に残った木曜日は二週続けて都合が悪く、次に行ったのは、三週間後になってしまった。
その週の木曜日、今までよりも早く着いた。昼の講座の人たちが後片付けしていた。
もしかしたら……
慶子が夜の教室に来ていると決めつけていたが、昼間の時間帯に来ているのかもしれなかった。専業主婦ならそうするはずだ。なぜ、そんなことに気が付かなかったのか。今の時代、女性はみな働いていると決めつけていたせいだ。
また、その時、
「来週は、残業続きだから、土曜日に来ます」
と言っている生徒がいた。
土、日ということもあるのか……考えてみれば当たり前だ。忙しいサラリーマンなら平日は来られない。専業主婦だって、土、日の方が来易い人もいる。そもそも役員になって暇になったから私はこうして平日の夜に来られるのだ……これじゃあ、これからは、土、日の昼夜と平日の昼の分もチェックしなければならない……
この日も成果がなかった。
翌週、初めて土曜日の午前の時間帯に参加した。だが、土曜日も時間が三回に分かれていたので、土曜日そのものを制覇するには、あと午後と夜の二つの部に参加しなければならなかった。それは、月曜日から金曜日も同じであった。
この陶芸教室は、平日と土曜日が午前、午後、夜の三回、日曜日が午前と午後の二回、一週間に二十回の講座に分かれていた。だから、その全てに出席しなければ慶子には会えないということであった。
しかし、よくよく考えてみると、こうして、全ての回をチェックしても、それは、慶子が特定の曜日の特定の時間帯に、判で押したように出席しているというのが前提であった。振り替えたりして、一度でもその規則に狂いが生じれば、チェックは完全なものとはならなかった。
「小木曽さん、湯飲み茶碗が出来上がっていますが……」
若い自分の娘くらいの年齢の先生が茶碗を持って来た。入会当初に作ったへんてこなやつが焼き上がったのだ。
「これ、作品展に、出しますか?」
「え、これを出すんですか?」
下の高台のバランスが悪く、安定感がなかった。
だが、
「織部のグリーンがなかなか映えていますし、これでよろしいかとも思いますが」
と言われ、他に完成したものもなかったので、それを出すことにした。
「作品展では、陶器の横にお名前を出しますが、個人情報の関係で、名字のみにいたします。それでもまずい場合はおっしゃってください」
「名前、出さないなんていう人、いるんですか? 」
ちょうどその時、後ろにいた最近入ったと思われる新参者の女性が質問した。
「実際には、今まで、お名前を伏せて欲しいと言われた方はおりませんが……」
それを聞いて、私も出すことにした。そもそもこの教室で名前を伏せたところで、私の生活にとって、何の支障もなかった。
あ、ということは、慶子の作品も展示されるはずだ。そこにははっきりと名字の当野と掲げられる。いや、もしかしたら旧姓の高垣を名乗っているかもしれない、その場合は高垣だ。
できれば旦那の名字なんかよりも結婚前の名字を名乗っていてもらいたい。その方が既婚を伏せているようにも見えるからだ。女性が旧姓を名乗ることがよくあるが、その方が男として嬉しく思うのは不思議だった。
ところで、どうでも良いと思っていた作品展の開催は、慶子が本当にこの陶芸教室に通っているのかどうかを確認できるまたとない絶好のチャンスであった。
私は、次の週の作品展が楽しみで楽しみでならなかった。こんなに楽しみができたのは、何十年ぶりだろうか。子会社に左遷されて来て以来、ずっと寒い冬が続いていたが、これでやっと、心の中に春のこぼれ陽が差し込んで来た思いだった。その陽光でできた陽だまりが、とても暖かかった。
翌週の月曜日となり、作品展が開催される初日となった。私はその日の夜、教室に入った。本当は、朝一で来て、一刻も早く確かめたかったが、たいてい夜の部に来ているのにこの日だけ午前に来たら、よほど作品展が楽しみなのかなと思われるのではないかと思い、通常通りの行動をとった。
それぞれの生徒の陶器が所狭しと並べられていた。作品の横には小さな札が置かれ、所有者の名字が書かれていた。総勢数百個はあるようにも見えた。
置かれているものは順不同らしかったが、手前の目立つところに並べられているのは上級者の物と思われた。ろくろで丁寧に成形されたものが多かったからだ。と、推し測っていたら、いきなり私のへんてこな湯飲み茶わんが現れた。だから、その推察は当たっていなかった。
私は、丹念に名前を探した。
中間地点を過ぎても見当たらなかった。
『当野』か『高垣』『高垣』か『当野』
どちらにしても多くはない名字だ。馴染みのある高垣の方が良いが、今はそんなことはどちらでも良かった。
『当野』か『高垣』『高垣』か『当野』
―あったー
『当野』という札で置かれていた。
それは、やや大き目の小鉢であった。くしくも今回私が出品したものと同じ織部の緑色で染められていた。
そういえば、付き合い出した頃、『緑色、こう君が好きなので、私も好きになっちゃった』と言っていたのを思い出した。それを思うとなんとなく嬉しかった。
いずれにしても慶子はこの教室にいる。問題は、いつ来るかだ。やはり昼間に来ているのだろうか。それとも土、日か。土曜日の午前にはいなかったが。
この当野慶子がやって来る曜日と時間が知りたかったが、ダイレクトに尋ねては、個人情報保護の観点から突っぱねられる可能性があったし、仮に教えてもらえる場合でも、その理由を問われたら何て答えれば良いのかがわからなかった。
私は、自分の焼き物を撮るふりをして、慶子の作品をスマホに収めた。写真撮影は許可されていた。
席に着いた。いつものようにエプロンを付けていると、
「今日からろくろですよ」
と、娘のような年頃の先生に言われた。
やっと、ろくろが回せることになった。しかし、その日、私は、慶子の件をどのように切り出せば良いのか、そればかり考えていて、教師の指導も上の空で聞いていた。
その後、とりあえず、一週間にある二十コマの全てをクリアすることにした。慶子も振り替えたりして、規則正しく参加していないかもしれなかったが、それを考え出すと切りがなかったので、基本に立ち返ることにした。
これで、月曜日の夜のみ二回、火曜日から金曜日までの夜を一回ずつと土曜日の午前に出ていた。そして、先週は土曜日の夜に行き、夜の部は全ての曜日を制覇した。
さて、ろくろの方だが、初めのうちは思うようにはコントロールできなかった。ろくろを回しながら、中に入っている空気を取るために土を上から押さえつける土殺しという作業がなかなかうまくいかなかったのだ。ろくろの回転の調整に失敗して、水に濡れた土が勢い良く周りに飛び散ったりして、周囲の者たちを呆れさせたりした。
この年になって、まるで自分の人生のように、土もコントロールできないのではないか、と、心の中で苦笑いした。
四月になり、暖かい日が続き、例年より遅れていた桜も既に満開になっていた。しかし、昨日までの暖かさが嘘のように、その週の土曜日の午後はかじかむくらいの花冷えとなっていた。とりあえず今日を持って、土曜日の全てを制することになった。
ろくろも三回目になると、少し落ち着きが出て来た。
―スッ、スッ、スッ、スッ、スッ、スッ、スッ、スッ―
重々しく唸る電動ろくろの回転に、指の力を加えると、静かな規則音となった。
―スッ、スッ、スッ、スッ、スッ、スッ、スッ、スッ―
周りもいつになく静寂に包まれていた。
―スッ、スッ、スッ、スッ、スッ、スッ、スッ、スッ―
その規則音は、BGM代わりとなり、気持ちが癒された。
私は、思わず黙想したいくらいになった。
―スッ、スッ、スッ、スッ、スッ、スッ、スッ、スッ―
ろくろが順調に回転していた。貫入の白い土が規則正しく流れていた。親指と人差し指に入れる力の強弱によって、描かれる流線型が濃く浮き出たり、薄く沈んだりした。
水の加減もちょうど良かった。それを後押しするかのように、空気の乾きも最適だった。
もしかしたら、今までで一番いい出来になるかもしれない、私は、そう思った。
その時、
「とうのさーん」
という呼び声がした。つ、ついに来た。慶子が来たのだ。
私は、指の集中が途切れ、掴んでいた茶碗の縁がへこんでしまった。
そして、泥だらけの手を拭きもせずに、席を立ち、入口の方に目をやった。
受付の前に、彼女が立っていた。横顔しか見えなかったが、見覚えのある背格好だった。髪がやや茶色味がかっているように見えたが、光の影響かと思った。
先生から土を受け取ると、彼女は一瞬こちらの方を振り向いた。しかし、伏し目がちだったので、真正面の顔を捉えることができなかった。だが、右手で左側の髪をなでる仕草が、あの時の慶子に間違いなかった。
あいにくこちら側のろくろは満席だったので、係員に誘導され、背を向けながら、反対側の方に行ってしまった。
私は、いきなり話しかけることを躊躇した。彼女は、心を無にして、これからろくろを回すのだ。私の一方的な事情と感情で、それを遮ることはできない……
ほんの数秒間の中腰を経て、私は、椅子に腰を下ろした。目の前では、片側がへこんだ茶碗が規則正しく回転していた。
また、やり直しだ。
くるくる回り続けているその物体を頭から抑え込んだ。そして、しばし黙想せざるを得なかった。
気を取り直した。
とりあえず今日の作品に集中することにした。ただ、慶子と何を話そうか、そればかりが気になって、それから一時間以上、ほとんど指先に力が入らなかった。
終了時間より若干早目に切り上げ、ゆっくりと、帰り支度をしながら、慶子の終わりを待った。
ついに、慶子の作業が終了した。
私は、教室から出て行く慶子の後を追った。
そして、大通りに出る手前で声をかけた。
見慣れた髪の色、形、背格好がそこにあった。
「あのー、当野さんですか?」
彼女が振り向いた。
逆光ではあったが、横に分けたセミロングの髪型、うりざね顔の輪郭と色の白さ、目つきや目元、鼻筋や唇の形や色に至るまで慶子だった。
「……」
だが、彼女は怪訝そうな顔をしていた。無反応だ。余りにも長い年月が経ったので、私のことを思い出せないのか。女は、男と違って、過去の男のことを忘れてしまうというが、慶子も例外ではないのか。
「当野ですけど、なにか?」
と言うからには、人違いではなかった。
「当野、当野慶子さんではありませんか?」
「……当野慶子は、私の母ですが……」
「え!」
ここにいるのは、慶子の、む、娘なのか。
それにしても良く似ている。瓜二つだ。一卵性母娘というやつか。
私は思わず後退りしそうになった。
「母のお知り合いの方ですか?」
「は、はい」
戸惑っている私を見て、彼女は、一瞬、合点がいったような表情になった。
私は、何か言葉を返そうとしたが、言葉が見つからなかった。虚を突かれた心境だった。
とりあえず、彼女をちょうど横にあった喫茶店に誘った。
着席するや否や、彼女の口から全く予期せぬ言葉が発せられた。
「……母は半年前になくなりました」
「な、なくなった……」
なんということだ。もうこの世にいないのか。それじゃあ慶子に会えない。絶対に会えないではないか。
私は、実感がわかなかった。そして、全身から力が抜けていった。
二の句も継げなかった。
すると、彼女は私の顔を見て、
「生前、母がお世話になりました」
という社交辞令のような言葉を発した。それは、最近、生前の母の知り合いに会って、言い慣れているようにも見えた。
「……」
それでも言葉が続かない私を見て、彼女が言葉をつないだ。
「乳ガンでした。十年前に見つかりましたが……転移が見つかってから、あっという間でした」
「そ、そうでしたか……」
落胆の私の表情を見て、ただならぬ関係だったと思ったのか、彼女は、
「母とはどのような御関係だったのですか?差し支えなければ……」
と、言葉をつないだ。
私は、慶子が高三の時に初めて出逢って、大学一年の時に再会したこと、その時にサークルに勧誘したことから、私が就職して富山の支店から戻って来る直前の年の暮れの出来事までを話した。
そして、古本屋で社会学小事典を見つけたことを付け加えた。イニシャルのこともだ。
しかしながら、古本屋で聞いた陶芸教室の話から現在までのことは伏せておいた。あくまで、今ここで偶然逢ったことにしておきたかった。それなら。なぜ、慶子と勘違いしたのか、と、もし聞かれたら、当野という珍しい名字を聞いて、慶子に間違いないと思ったと言えば良い、と咄嗟に理屈を考えた。
「すみません、母の遺品を整理していて、将来的に入り用ではない本は、処分させていただきました。たまたま陶芸教室に来るたびに古本屋さんの前を通り過ぎていたものですから……本を売ったなんて、生まれて初めてでした」
「そうだったんですか……」
「母、小木曽さんのイニシャルを消さなかったんですね……」
そう言うと、娘は、少しにこやかになった。
「……」
運ばれて来たコーヒーを一口すすった。
そして、彼女から、慶子のその後の人生を聞いた。慶子は、結婚と同時に会社を辞め専業主婦になっていた。子育てが終わってからは、英会話教室を開いていた。夫とは取り立てて仲が良いとも悪いとも言えず、普通の夫婦であった。いつも明るく暢気に振る舞っていたが、時折、寂しげな表情をすることがあった。ちなみに、娘も私たちと同じ大学の同じ学部を卒業していた。しかし専攻の学科が西洋史だったことが何とも皮肉だった。
喫茶店を出ると、雪が舞っていた。数メートル先にある満開の桜にほんの少し雪が降り積もっていた。ようやく訪れた春だというのに、桜に降り注ぐ雪というのも珍しい光景だった。
私は、思わず空を見上げた。小さな雪の粒が次から次へと落ちて来た。その中のいくつかの粒が彼女の髪に落ち、あっという間に消えて行った。同時に、私の心に積もった雪も解けて行くような気がした。
昨日まではあんなに暖かかったのに、今日の陽気は、四月としてはかつて実感したことのない寒さだった。
私たちは、神保町駅まで歩いた。所々に雪を受け止める桜があった。
歩きながら、同じ陶芸教室に通っているのだから、これから先何度か顔を合わせてもおかしくはなかったが、彼女と逢うのはこれが最初で最後のような気がした。
駅に着いた。偶然、利用している路線が同じだったので、同じホームに降り立ったが、乗るのは互いに反対の方向だった。
先に、彼女の方の地下鉄が来た。しかし、彼女は微動だにせず、私を見送ってから乗ると言い出した。だが、私は、それを拒んで彼女の背中を押した。
車内は、空いていた。彼女は、ドア付近に立ち、こちらの方を向いた。
そして、
「母は、『大学時代が人生で一番楽しかった』と、いつも申しておりました」
と言いながら微笑んだ。
すると、ドアが閉まった。
ガラス越しに彼女は小さく会釈した。
私は、軽く右手を上げた。
まるで、四十年前の慶子を見送る場面と同じであった。
ホームから消えて行く列車を見送りながら、慶子が言っていたという『大学時代が人生で一番楽しかった』という言葉が、いつまでも、いつまでも、私の心の中に残った。
―おわり―




