あと3日
「あと3日で死ぬ」
そう書かれたネオンサインのような数字が、大家さんのハゲ頭の上でチカチカと点滅している。
わたしの名前は梨沙。二十三歳、独身、フリーター。つい一週間前、深夜のコンビニで買った激辛麻婆豆腐を食べてむせた拍子に、他人の頭の上に「残り寿命」が見えるという、なんともリアクションに困る超能力に目覚めてしまった。
「……大家さん」
「なんだい梨沙さん、家賃なら明日まで待ってやるって言ったろう」
「いえ、そうじゃなくて。あの、健康診断とか行きました?」
大家さんの頭上の数字は、今も無慈悲に「72:14:05」と秒単位でカウントダウンしている。大家さんは「元気だけが取り柄だよ!」とガハガハ笑いながら去っていったが、その背中には死神の足音が迫っている。……というか、あと三日で死ぬ人の取り立てを、わたしは明日まで待ってもらっているのか。
「笑えない、全然コメディじゃない……!」
わたしはアパートの自室で頭を抱えた。この能力、最初は「運命が見える美少女主人公」的な展開を期待したのだが、現実は残酷だ。街を歩けば、九十歳まで生きる元気な赤ん坊と、明日にはお迎えが来るサラリーマンが混在している。情報量が多くて、もはやノイジーなAR広告を見せられている気分だ。
その時、スマホが鳴った。親友の真央からだ。
『梨沙!合コン、人数足りないから今すぐ来て!』
「無理、今それどころじゃ……」
『イケメン来るよ。あと、焼肉奢り』
「行く。店、どこ?」
現金なもので、空腹と物欲は死の恐怖(他人の)を凌駕する。わたしは適当に化粧を済ませると、新宿の居酒屋へと向かった。
「はじめましてー!」
居酒屋の個室に集まったのは、男女三対三。真央の言った通り、目の前にはなかなかのイケメンが座っている。商社マンだという彼の頭上には――。
「(157680:12:44)」
えーっと、計算すると……あと十八年くらい。四十歳そこそこで死ぬ計算だ。意外と短い。
隣の真央は、あと六十年は生きる。おばあちゃんになっても一緒に茶を飲めそうで安心したが、問題はもう一人の男だ。
佐藤と名乗ったその男の頭上には、なんと「00:02:15」と表示されていた。
「(に、二分!?)」
わたしはジョッキを倒しそうになった。二分って、カップラーメンすら完成しない。ここで?この居酒屋の、この合コンの最中に、佐藤さんは事切れるというのか?
「梨沙ちゃん、どうしたの?顔色悪いよ」
「あ、いや、えっと……佐藤さん!佐藤さん、今、持病とかありますか!?」
「えっ、急に何?いや、至って健康だけど……」
佐藤さんは困惑しながら、おつまみの枝豆を口に運ぼうとしている。やめて!それが最後の一粒になるかもしれないのよ!
「それ食べちゃダメ!喉に詰まるかも!」
「ええっ!?」
わたしは佐藤さんの手から枝豆を叩き落とした。周囲が凍りつく。佐藤さんの数字は残り「00:01:30」。
「梨沙、あんた何やって……」
真央の制止も耳に入らない。わたしは佐藤さんの襟足を掴んだ。
「いいですか、今から何が起きても、わたしがあなたを守りますから!」
「え、何?告白?展開早すぎない?」
残り「00:00:45」。
佐藤さんの顔が赤くなっている。心臓発作か?それとも窒息か?
わたしは背後に回り込み、ハイムリック法を試そうと彼のお腹を抱え込んだ。
「苦しい!梨沙ちゃん、マジで苦しいから!」
「我慢して!死ぬよりマシだから!」
残り「00:00:10」。
居酒屋の店員が「お待たせしましたー、激辛モツ煮込みです!」と土鍋を運んできた。
その瞬間。
バシャアアアン!!
店員が足をもつれさせ、土鍋が宙を舞った。
煮えたぎるマグマのような汁が、佐藤さんがさっきまで座っていた椅子を直撃した。もしわたしが佐藤さんを羽交い締めにしていなければ、彼は顔面に激辛の洗礼を受け、ショック死か重度の火傷を負っていたに違いない。
「あ……」
佐藤さんの頭上の数字が、カチリと音を立てるように変わった。
「(658210:05:22)」
……約七十五年。伸びた。
「……助かった」
わたしはその場にへたり込んだ。佐藤さんは、真っ赤な汁で染まったテーブルを見つめ、ガクガクと震えている。
「梨沙ちゃん……君、エスパーなの?それとも、俺のこと好きすぎて守護霊的な何かが憑いてるの?」
結局、合コンは台無しになった。当たり前である。初対面の女にタックルされて命を救われるなんて、ホラーでしかない。
帰り道、わたしは一人で夜道を歩いていた。
大家さんの三日後の死も、多分あのアパートの壊れかけた階段を直せば回避できる気がする。この力は、絶望するためのものじゃなくて、お節介を焼くためのものなのかもしれない。
「ま、三千文字も書いてたら、わたしの寿命が先に削れそうだけどね」
ふと、コンビニのショーウィンドウに映った自分の姿を見た。
自分の頭上には、どんな数字が出ているんだろう。
鏡を覗き込むようにして、自分の頭の上を凝視する。
そこには――。
「(24:00:00)」
「……えっ」
二十四時間?明日?嘘でしょ?
わたしは慌てて、さっきのコンビニへ駆け込んだ。
「すみません!店員さん!この激辛麻婆豆腐、返品できますか!?これのせいで変な能力に目覚めて、明日死ぬことになってる気がするんです!」
店員の頭上の「残り五十年」という数字が、あきれたように点滅していた。
わたしの「死の回避」作戦は、まだ始まったばかりだ。とりあえず明日は、一歩も外に出ないで、美味しいものを食べて寝よう。あ、でも、大家さんの階段だけは直しておかなきゃ。




