003 使い魔
医務室では、簡単な触診とご飯の提供を受けた。
そう、飯だ。ようやく飯にありつけた。
医務室にいた教師が俺が空腹であることを見抜き、乾燥肉を細かく刻んだようなものを与えてくれた。
餌だよ~、とか言われたが気にしない。だって実際猫だしな、俺。
ちなみに普通に美味かった。俺の味覚は猫寄りなのかな?分からん。
俺がメシもとい餌を食べている間に、リリナは教師と俺についてあれこれ相談していた。
この子、最初の印象もそうだが見た目のわりに落ち着いていて立派だ。大人びているというほどじゃないが、きちんとした教育を受けている感じだ。
話の内容は分からない部分も多いが、察するに、どうやらリリナは俺のことを使い魔にしたいらしい。最初にその話が出たときは驚いたが、まぁ魔法に魔獣のいる世界だ。使い魔の概念くらいあるだろう。
それに、どうやらこの学校はペットは禁止だが使い魔はokなのだそうだ。直接そう言ってはいなかったが、話の流れ的に恐らく間違ってないと思う。
教師の方はといえば、使い魔にしたいならすればいいとのこと。
そんな投げやりな、とも思ったが、もし使い魔にするのが前世のラノベよろしくな魔法的な契約ではなく、根気強く懐かれて調教しなければならないのだとしたら、まぁ教師の方もそういう言い方になるのか、と考えた。
まぁ俺は訳も分からず死にかけてたところをリリナに拾われたのだ。俺を使い魔にしたいというのであれば、もちろんありがたく使い魔にされる所存だ。
野良猫になってゴミ漁り生活とか嫌だしな。
そんなわけで俺は今、医務室の教師から俺を使い魔にしても良いと許可を得たことでウキウキのリリナに抱かれて寮の廊下を移動していた。リリナの寮部屋へと帰宅中である。
ちなみに教師から残りの乾燥肉も貰ったようで、リリナは今片手に小さな袋持っている。
リリナの部屋は、同じこの建物内の2階にあるらしい。
階段を昇って、いくつか扉を通り過ぎたあと、一つの扉の前で立ち止まった。
ここがリリナちゃんの部屋なのだろう。扉の横に小さくオシャレな表札がかかっていた。
………読めるな…。ローマ字とロシア語を合わせたみたいな独特な文字だが、まるで日本語を読んでるみたいにすらすらと読める。なぜだ。
ちなみに表札には部屋番ではなく「リリナ・マルティネス」と書かれていた。凄いな。マンション?
「ここが私の部屋だよ」
リリナはそういうと、俺を降ろしてから徐に胸元の白いブローチを外し、金色の装飾が施されたドアノブに翳した。
次の瞬間、ブローチが一瞬淡い光を放ったかと思えば、ガチャリと音が鳴って扉がわずかに開いた。
おぉ…すげぇ!これも魔法か…?ブローチが鍵になってるのか。オシャレだな。
リリナの後を追って、俺も部屋の中に入る。
お邪魔しま~す…
「あ、おかえりなさいませ!お嬢様!」
扉が閉まるのとほぼ同時。
部屋の中に明るい声が響いた。
広い玄関。土間も廊下もなく、広々とした部屋に直接入ったその奥。
恐らくこの部屋はリビングなのだろう、中央に置かれている白く大きなテーブルに手を置いてこちらを見ている女性が一人いた。
癖のある茶髪、くりくりの目と童顔に、そばかす。
愛嬌とはこういう顔を言うのだろうと思えそうな明るい笑顔を浮かべた女性だ。
だが俺の注目は、その顔よりも髪よりも、その服装に集まっていた。
────彼女はメイドだった。
肩に膨らみのある黒い長袖を着込み、スカートは足元まである。
服の上には申し訳程度にフリルの付いた白いエプロンを着用し、胸元は豊かな膨らみによって布が引っ張られていた。光の加減で赤毛にも見えそうな茶髪は白いモブキャップに覆われ、その大部分を覆い隠している。
すげぇ!本物のメイドだ…。ちゃんとスカートが長い…!!
ていうか寮の部屋にメイドがいるってリリナちゃんの家はどんだけ裕福なんだ?
いいとこの子だろうとは思ってたが、これはそんなもんじゃなさそうだぞ。
魔法があるとはいえ馬車を使ってる時代だし、それこそ貴族とかなのでは……?
「ただいま、キャシー」
声をかけるリリナに近づいてきたキャシーは、自然な動きでリリナから袋を受け取りつつ言葉を返す。
「どうされたんですか?お昼過ぎですが……授業時間では?」
「今日は課外授業だったから……」
「あ…あぁ~…そういえばそうでしたね!」
「それよりもほら、キャシー、見て!」
そういうと、リリナは足元にいた俺を抱え上げてキャシーと呼ばれたメイドに自慢げに見せつけた。
先ほどまでの少し落ち着いた静かな様子とは違い、見た目相応の元気さと可愛らしさがある。
キャシーもそれに合わせて僅かに腰を落として俺のことを見た。
「…おぉ!かわいい猫ちゃんですね!野良猫ですか?」
「そう!課外授業で拾ったの。私の使い魔にしてもいいって、先生が!」
「使い魔って……この子、魔獣なんですか!?」
「先生はフェリスだって…」
「へぇ~!初めて見ました…ほんとに猫と変わらない見た目なんですねぇ~」
そういいながら、キャシーが俺の顎の下をつんつんと撫でてくる。
そこはくすぐったいのでやめていただきたい。せめて頭にして…。
「うん、だから使い魔にしたいのだけど…」
「お嬢様のやりたいことなら、私はどんなことでも応援致しますよ!」
「ありがとうキャシー、でもそうじゃなくて……」
「…?…使い魔にするんですよね?」
「……使い魔にするって、どうすればいいの?」
………知らなかったのか。
さっきの医務室で話をしていた時は使い魔のしかたは話していなかったように感じたので知っているものだと思っていたが…。
「……先生から聞いてはいないんですか?」
「……聞いてない」
…ふむ。これはもう一度医務室ルートか?
いや、職員室か。職員室っていうのかな?この世界は。
「…なるほど。そういうことなら私にお任せください!」
と思ったら。
キャシーが両手を胸の前で握りこみ、ガッツポーズのような姿勢で意気込んだ。
「こう見えても私、昔はテイマーを目指して冒険者をしていたんです!使い魔のことなら私にお任せください!」
「…ほんと?さすがキャシー!」
おぉ!すごい!
つーかテイマーに冒険者!異世界っぽい単語だ。
テンション上がるなぁ。
「そうと決まればまずは契約ですね」
「けいやく?」
「はい、契約です。準備に少し時間が要りますので、お嬢様は部屋で待っていていただけますか?」
ほう、契約。
まさか書類を書かされるってこともないだろうし、これは魔法的な契約のことだろう。
使い魔の契約か…いいな。夢にまで見た単語の一つだ。画面越しならもっと見た。
問題は、俺が使い魔側であるという点くらいか。
う~ん、割と致命的だな…。
「あ、お嬢様、この子の名前は決まっていますか?」
あ、名前。そういえばまだ何も……
「うん、レオ…」
レオ!?いつの間に!?
「それ、お屋敷にいたときにお世話をしていた野良猫の名前では…」
「うん、同じ黒猫だから……」
「はぁ…なるほど。分かりました。では少々お待ちください!すぐ終わりますので!」
俺はリリナに抱かれたまま部屋まで連れていかれた。
途中、一度離れようともがいたのだが、まるで抱き枕の如くがっちりとホールドされていて離してくれなかった。なんで?
リリナの部屋は広々としていて豪華ないい部屋だと思ったが、それ以上に女の子っぽい可愛らしい印象を強く受けた。
フリルの多く付いた柄物のカーテン、天蓋付きの華美なベッド、綺麗な柄の壁紙に、瀟洒な家具の数々。可愛らしさと豪華さが共存した、まさに”貴族の部屋”って感じだ。
というか天蓋付きのベッドとか初めて見た。すげぇ。
リリナの勉強机なのだろう小さな机の上でリリナがくれる餌を食べつつ待っていると、しばらくして部屋がノックされ、キャシーが入ってきた。
「お待たせしました、お嬢様!」
うお、なんかシートみたいなのを片手に抱えてる。
なんだそれ。
「キャシー。それで、どうすればいいの?」
「はい。使い魔にする方法はいくつかあるんですが、今回は一般的な方法でいこうと思います。ズバリ、使い魔契約です!」
使い魔契約。そのまんまだな。
他にもやり方があるとのことだが、使い魔にするのに使い魔契約以外って、そっちの方が気になるな。
「それがさっき言ってたけいやく?」
「はい!これを使うんですが……」
そう言いつつ、キャシーは片手に丸めていた分厚い紙を床に広げた。
絨毯の上に広がったそれは俺の体よりも一回りほど大きいくらいで、表には見覚えのある複雑な文字列と幾何学模様がびっしりと書き込まれていた。
そう、これは……
────まごうことなき魔法陣であった。
「今書きました!」
今!?うそだろ!?メイドすげぇ!!
「これ、魔法陣?すごい!」
「簡単なものですので……覚えていて良かったです」
簡単!?これで!?メイドすげぇ…!!
「この魔法陣は使い魔にする魔獣に従属を刻み込むもので、とりあえず絶対服従と守護本能を書き込んでみました!使い魔はこの契約をしてから色々教えていくんです!」
おぉ、おぉ…?絶対服従……って物騒だな…大丈夫かこれ。
…いや、まぁ主はリリナだろうし…守護本能はまぁいいとして。
……うーん、まぁこの子の使い魔になるのは決めたことだしな。今更嫌だという気もない。
自由意志が丸ごと消えるみたいな物騒な契約じゃないことだけ祈ろう。
「……それって大丈夫なの?」
リリナは少し不安げだ。理解できていないのだろうか。
俺は一向にかまわん。
「大丈夫です!間違いがないよう慎重に書きましたし、魔獣とはいえフェリスなのでお嬢様の魔力量でも問題なく発動できると思います!」
「えっと…そうじゃなくて……」
「……?…あっ、調教ならお任せください!私がしっかりお手伝いいたしますので!」
「……うぅん…この魔法で、この子を使い魔にできるんだよね?」
「はい、そうですね!」
「…じゃあやる」
とは言っているものの、リリナはやはり不安げだ。
俺と魔法陣を交互に見ている辺り、俺の心配をしているのだろうか?
優しい子だ。
この子の心配している部分を汲み取れていないキャシーさんはリリナのメイドとして大丈夫なのか?
まぁいいや。テイマーになるのが夢とか言ってたし、舞い上がってるのかもしれない。
というわけで、俺は机を降りて悠々と魔法陣の上に座り込み、リリナの方を見た。
「おぉ…お利巧ですね…!言ってることが分かるんでしょうか」
俺の行動にキャシーだけじゃなくリリナも感心した様子だ。
ふっ。その通り俺は言葉が分かる。自分でもびっくりだよ。
こんな猫他にはおるまい。
「ではお嬢様!魔法陣に魔力を流してください!流すだけで大丈夫です!」
「…わ、分かった……!」
おっ、ついにか。……ちょっと緊張してきた。
状況に浮かれて特に何も考えずにここまで来たけど、今から使い魔になるんだよな…。
どんな感じなんだろうか。
俺の緊張をよそに、しゃがみこんだリリナが俺の下敷きになっている魔法陣の書かれた紙へと両手を伸ばした。
足元──魔法陣が淡く光り出した。
俺がそう思ったのはわずかな間だけだった。
刹那、視界を埋めるほどの光が魔法陣から溢れ出し、同時に全身を不思議な熱が駆け巡った。
光は見る間に色を変え、強弱すら変え、幻想的に、ただ駆け巡る熱に困惑する俺を照らし出している。
────俺はこの熱を知っている。言葉にもできる。
これは衝動だ。本能と言ってもいいかもしれない。
強すぎる、しかし俺のものではない衝動が俺の体を駆け巡って、心の奥深くに刻み込まれていく感じがする。
しかし俺はこの感覚を嫌なものだとは思わなかった。
感じたことのない感覚に戸惑いはしたものの、むしろ心の中の曖昧だった部分が補完されるような、足りなかったものが満たされるような納得感と満足感を感じていた。
俺は前世で何が足りなくて、何を求めてた。何がしたかった。なぜ何もせずにいた。
ついさっき目の前のこの子に救われて何を思った。何を感じた。
俺の悪癖だ。いつもなら薄れてた。気持ちを忘れてた。
やらなきゃならないことを忘れて、浮かれて、楽な方へと流れて。
そうして本当に必要な気持ちも行動も忘れて、結果後悔して────。
今回もそうなりそうだった。
まるで叱られたみたいだ。また早速、前世と同じ後悔をした。
薄れていた気持ちが無理やりぐんと上まで引っ張られて、体を駆け巡る熱がそれを結び付けて固めた。
そんな感じがした。
光が薄れて、俺の視界いっぱいに俺を救った少女が映る。
綺麗な銀髪、青い瞳、幼くも整った顔付き。
泥にまみれて汚かっただろう俺を拾い上げてくれた優しい子、リリナ。
返しきれないほど大きい恩を感じる。この子を守らなければならない。この子のためにならどんなことでもできると思えてくる。
凄いな。これが魔法の契約か。まるで、俺じゃなくなったみたいだ。
────こうして、俺はリリナの使い魔"レオ"になった。




