002 魔法
銀髪の少女の顔をぼーっと眺めていると、初老の女性がこちらに駆け寄ってくるのが視界の端に見えた。
あれが先生なのだろうか。
というか冷静になって考えてみると、こんな幼い女の子の顔を眺めてるだけでいいとか、流石にキモイな俺。
色々限界とはいえ、ちょっとおかしくなってるかもしれない。
それもこれも全部森のど真ん中に転生したせいだ。
腹が減ったし疲れたし。
何か食べたい。
そうこうしているうちに、先生らしき女性は俺の──正確には俺を抱える少女の──すぐ前までやってきて、俺のことを上から覗き込んできた。
キリっとした顔立ちだが、優しさを感じる。不思議な雰囲気の人だった。西洋のような彫りの深い顔だが、ここはヨーロッパのどこかなのだろうか。
この女性の言う言葉も、当然のように理解できた。
やはり先生だったらしい。俺のことを覗きこんだ途端、なんでフェリスがこんなところに…とか呟いてた。
フェリス?ってなに?猫のこと?
どうやら俺はかなり衰弱してるらしい。いや、らしいっていうかそりゃそうなんだが。
ひまず応急処置をするから、その後医務室に連れていきなさい、みたいなことを言っている。
学校の医務室で猫の容態が分かるのか?大丈夫なのだろうか。
とにかく腹減ってるだけなんだが。
まぁ助かるならなんでもいいや。
空腹はあるとはいえ、状況的には完全に安全と言えるだろう。
ゆえに俺は、安心しきったがために半ば思考停止気味に考えるのをやめた。
彼女らに任せてしまおうと考えた。
先生と呼ばれた初老の女性が俺に手をかざす。
そして何か、むず痒くなるような、まるで小さいときを思い出すような、端的に言えば中二病的なお祈りの言葉をかけてきた。
おいおい、応急処置ってお気持ちの呪いかよ(笑)
と思った。失笑してしまった。
が、そんな考えは次の瞬間に吹き飛んだ。
「生命と豊穣の神よ。祈りに応え、この者に恵みの力を与えたまえ。…ヒーリング」
暖かい光に包まれた、と思った。
苦痛が消えて、疲労が和らいで、安らぎが訪れた。
空腹自体が消えたわけではないが、極度の空腹と喉の渇きによる苦痛はかなり和らいだ。
おい、嘘だろおい。
おいおいおいおいおい…!
今のは冗談でも、お気持ちの呪いでも、ましてや青春の黒歴史を拗らせた末路でもなかった。
間違いない。気のせいなんかじゃない。
これは紛れもなく──魔法だ。
俺はこの数日、ずっと現実世界のどこかの森に猫として転生したもんだと思っていた。
目が覚めてすぐは、すわ異世界か!?とか考えないでもなかったが、そもそもが何もない森の中で、しかも体は猫。木々がデカいわけでも、見たこともないやべー見た目の植物や動物がいるわけでもなし。
とりあえず現実世界のどこかだと考えたほうがまだ現実的だった。
だが違った。
今ので確信した。あれが魔法じゃなくて何を魔法というのだろう。
俺は転生したのだ。異世界に。
前世で夢にまで見た剣と魔法のファンタジー、異世界転生だ!
────猫だけど。
俺が心の中で舞い上がっている間にも、俺の周りでは話が進んでいた。
どうやら授業が終わりかけていたところに俺は遭遇したらしく、先生と呼ばれていた先ほどの女性が周りにいた子たちを引率して森の中を歩いていた。
今もなお俺を抱えてくれている少女は、先生の横を歩きつつ話をしていた。
「さっきより顔色が良くなった気がします」
「初歩的な治癒魔法でしたが、効いて良かった。おそらくその子は酷く疲れていたのでしょう。校舎に戻ったら医務室に連れて行って、休ませてあげなさい」
「はい……あの、ありがとうございます…オリヴィア先生」
「いえ、いいんですよ。リリナさん。命を大切にする気持ちはとっても大事なものですからね」
ほう、俺を助けてくれたこの少女はリリナというらしい。可愛らしい名前だ。
そして案の定だが、先のあれは魔法らしい。ハッキリ治癒魔法と言ってたな、今。
魔法がある世界か。最初は中二病的なお祈りだと思ったが、魔法の詠唱だと考えれば痛々しさなど微塵もない。
むしろ喜んで言う。全力で叫ぶ。なんならポーズまで決められる自信がある。
先ほどのは治癒魔法だったが、きっと攻撃魔法みたいなものもあるだろう。ファイアボール!みたいな。
俺も使えるだろうか。使うなら派手な魔法がいいな。
重力を操ったりとかしたい。ブラックホール生成みたいな。
……いや、本当に俺使えんのかな…魔法。よく考えたら猫だもんな俺。
あれ?使えんのかな。使えない可能性あるかこれ。マジか。……いや、いやいや流石に…。
でも猫だしな……猫だけにおあずけってか?はっはっはっ。
………………大丈夫だよね?
「…………あの、先生」
俺が強烈な不安感に襲われていることなどつゆ知らず、リリナと先生の会話は続く。
「さっき、この子のことをフェリスって…」
「あぁ。はい、そうですね。その子はフェリスで間違いないでしょう。瞳孔に特徴的な模様がありますから」
お?なんだ。俺のことか?
そういえばさっきも俺のことそう呼んでたよな。なにそれ、この世界での猫の名前か?
「でも、この森には魔物はいないって……」
「魔物ではなく魔獣ですよ。…そうですね。この森に魔物や魔獣はいないはずです。警備の者もいますし、なにより結界がありますから、迷い込むということもまずないでしょうし……なぜこんなところにいるのでしょうねぇ」
魔獣……魔獣!?
これって俺のこと??流れ的に俺のことだよな?
俺って魔獣なの…?
魔獣。それは、普通の動物とは異なる外見や異能を持つ空想上の怪物だ。
伝説だとキマイラとかがありがちだが、話によっては単に魔法が使える動物ってだけでも魔獣って言われたりする。
俺は自分を猫だと思っていたが……今の会話から察するに、おそらく俺は猫の見た目をした魔獣、ということになるのだろう。
ということはつまり…魔法が使える可能性があるということだ。
おい。おいおいおいおいおい。
きたきたきたぜ流れが!!
「ともかく、この子のことは私から他の先生方にも伝えます。他にも魔獣がいるかもしれませんからね。……次に予定していた課外授業は延期になりそうですね…」
「………………」
「あぁ、リリナさんが気にすることではないですよ。フェリスは弱い魔獣ですし…リリナさんはとにかく、その子を助けてあげられたことを誇りなさい。いいですね」
「……はい!先生!」
その後も二人はあれこれと会話をしていたが、異世界転生のことや魔法のことで舞い上がっていた俺の耳にはその会話は入ってこなかった。道中、他の生徒が俺のことを見てきたり触ろうとして来たりもしたが、それも殆ど気にしなかった。
俺の頭は、これからのファンタジーライフもといキャットライフで一杯だったのだ。
猫として可愛い女の子たちに可愛がってもらいながら、強大な魔法を操って敵を打ち倒す。
夢の異世界ライフだぜ。
その後もしばらくは歩いていたが、途中で森を抜けたのか視界が広くなった。
出たのは広い道だ。舗装はされていないが、固く踏み固められているのが良く分かる土の道。
道の端には、三台の馬車が停められていた。どれも十人以上は乗れそうな大きさで、屋根から車輪に至るまで、そこかしこに華美な装飾が施されている。
一目でただの馬車ではないことが分かった。
俺はリリナに抱えられたままそのうちの一台に乗り込んだのだが、馬車に入る前、その周りに全身甲冑を着込んだ人たちが何人かいたのを俺は見逃さなかった。
間違いなく騎士ってやつだろう。この馬車の護衛だろうか。
凄いな、横目であってもガチモンを生で見ると迫力がパナい。
ああいうのを見ると、異世界に来たんだなという実感がより強まるな。
まぁ猫になってる時点で実感も何もないっていうのは置いといて。
というか、リリナ含めてこの子たち、当たり前のようにこの豪華絢爛な馬車に乗り込んだわけだけど、もしかしてかなりいいとこの子たちなのだろうか。
先ほどまであまり気にしてなかったが、着ている服もただの制服って感じじゃないし、なんというか、気品を感じる。馬車の中の雰囲気がこう、お上品なのだ。小学生の遠足帰りって感じのわちゃわちゃ感が薄い。
話を聞いていると、あれこれの魔法の使い方が分からないだの、うちの召使の料理の腕がどうだの、最近父様が誰それと会ってただの、会話の内容もちょっと子供とは思えない。
もしかしてこの子たちに拾われた俺は、かなりラッキーなのではなかろうか。
そんなことを考えつつ馬車に揺られて少し。
目的地に着いたようで、馬車が止まった。生徒たちが順繰りに降りていく。
俺もリリナに抱えられたまま、馬車から降りた。
馬車から出て最初に目に入ったのは、噴水だった。
心地良い水音を立てる噴水は白と金に装飾され、その周りを綺麗な石畳の道が囲んでいる。
そこを中心に四方に石畳の道が伸びていて、俺たちが降りたのはそのうちの一つだった。
道の周りは背の低い芝生の生える庭園で、ところどころにベンチや丸机などが設置されている。
端には生垣があり、庭全体に一定の間隔で木が植えられていた。
次に見えたのは、この庭の周りだった。
真っ白な屋敷が五つ。庭の周りを取り囲むように建っていた。
窓の数からして、恐らく四階建て。ここが学校なら、校舎だろうか。
白い壁に、精緻な装飾の施された綺麗なアーチ型の窓が等間隔で並んでいる。
端的に言って、とても綺麗で清楚な場所だった。
「……すっごく綺麗だよね。私もこの庭好きなんだ」
俺が周りを見回していることに気が付いたのか、リリナが小さく声をかけてくる。
たしかに綺麗だ。前世では写真でしか見たことのないような景色が、今目の前に広がっていた。
俺が周りの景色に見惚れていると、オリヴィア先生が声を張って生徒に何かしら呼びかけ始めた。
「それでは本日の魔法の授業はこれで終了となります。今日行ったのは初歩的な水魔法と火魔法の扱い方ですが、あれは今後も様々な場面で役に立つでしょう。できた子は復習を忘れずに。うまくいかなかった子も、安全に気を付けて練習を怠らないように」
「「「はい」」」
「では、各々習い事などもあるでしょう。これで解散とします。……あぁ、リリナさんはひとまず、その子を連れて医務室に行くように」
「あっ…はい……」
オリヴィア先生はそうして締めくくると、そのまま庭の外側方向に向かって歩いて行ってしまった。
それを皮切りに、塊となっていた生徒たちも散り散りになっていく。
オリヴィア先生は医務室までこないのかとか、道中あんなに俺のこと見てたお前ら一人もリリナに話しかけないなとか、少し気になることはあったが、にゃーと鳴く以外できないので今は考えても仕方ない。
それより、治癒魔法で和らいだとはいえ、空腹だ。腹が減った。
いい加減、何か食べたい。
「……じゃあいこっか」
頼んますリリナちゃん。何かお恵みを……食べ物をください…………。




