どこまでがカレーなのか?~比良木討論塾駄弁録~
「どこまでを『人』として認識すべきなのか?」
「『人』と『人ではないもの』の相違とは何か?」
「『人ではないもの』の遺伝子が人に近づいたなら彼等と人との共通遺伝子が何%になった時点で『人』と認識すべきなのか?」
~1時間後~
「……どこまでを『カレー』として認識すべきなのか?」
「比良木先生?」
「『カレー』と『カレーではないもの』の相違とは何か?」
「比良木先生?」
「『カレーではないもの』の含有スパイスがカレーに近づいたならそれはカレーとの共通スパイスが何%になった時点でカレーと認識すべきなのか?」
「比良木先生!ストップ!思考が滑りまくって当初の目的忘れてますって!」
「ん?あれ?九々理君?」
弟子の九々理の呼び掛けにようやく比良木の意識が現実に戻ってくる。
ここは比良木の自宅兼『比良木討論塾』という名の塾である。
塾といっても明確な授業時間があるわけでもなく、時々に遊びにくる暇人たちと比良木が適当な話題を論じる場所になっている。
「丁度良かった。『どこまでがカレーなのか』について思索を巡らせていたので九々理君の意見も聞いてみたいのだが」
「なんで『どこまでがカレーなのか』ついて思索を巡らせてるんですか!思索を巡らせるべきは『どこまでが人なのか?』とかでしょうが!」
「そういった思索をするための前段階としてカレーは最適なのだよ」
「僕がつくっているカレーの匂いにつられただけでしょう。もう少しで出来上がりますから待っていてください」
そう言って九々理は台所に戻ろうとしたのだが。
「まあまあ九々理君ちょっと待ちなさい。確かにきっかけは匂いだったがカレーが最適なのは本当だ。この思索はラーメンでも寿司でも天丼でも駄目なのだよ。カレーのみがこの思索の題材たりうる料理と言っていい」
「はあ、どういうことです?」
九々理はいつもの屁理屈かと内心思いながらも取り敢えず聞くことにした。
「ん~。出された料理がラーメンか寿司か天丼か判断が難しいというシチュエーションは考え難いだろう?」
「カレーだってそうですよ」
「果たしてそうかね?」
「ええ?」
「例えばだ。何かの料理、えーと、ポトフにしようか。ポトフにどんどんカレールーを足していけばどこかで『カレー風味のポトフ』から『ポトフっぽい具材が入ったカレー』に切り替わる境界があるだろう?どこまでがポトフでどこからがカレーかね?通常のカレーの50%のルーを入れた時点ではその料理はどっちに分類されるのかね?」
「……なるほど。まあ、そういった思索なら確かにカレーは題材としてふさわしいですね」
「大きな分類ではまあ、どちらも煮込み料理に分類されるのかな?しかし我々の意識としてはポトフとカレーは別の料理だろう?さあ、九々理君だったらその境界をどう定義するかね?」
「うーん……」
九々理はしばし考え込んだ後に答える。
「カレールーやカレースパイスがほんの少しでも入っているなら、それをつくった人が『これはポトフ風カレーだ』と言って、食べる人も納得すればそれはカレーです」
「ほお」
「逆に通常のカレーと同量のルーやスパイスが入っていてもつくった人が『これはカレー風ポトフだ』と言って、食べる人も納得すればそれはポトフです。」
「ふむ。つまり割合は関係ないと」
「はい。ですので『境界を設けるべきではない』というのが僕の主張です」
「その主張の根拠は?」
「そもそも区切る基準がありません。カレーはアイスクリームみたいに国が成分の基準を決めてるわけでもありませんし。したがって基準はあくまで個々人の感性によることとなります。それは一つの基準に統一するのはふさわしくない類のものです。どう境界を決めても『認めない』と言い出す人がいるでしょうし」
「境界を決めなくてもお互いに『認めない』争いがおこるのではないかね?」
比良木のいささか意地悪な問いにも九々理は淀みなく答える
「決めなければ個々人又は小規模な派閥間のいざこざで済みますが、決めれば『その境界基準を認める派』と『その境界基準を認めない派』に二分されて無駄に大きな対立が生じます。下らない利権の温床にもなりかねません」
「ふむ。社会学的な切口からの意見として一理あると認めよう。比良木討論塾塾生としては合格点に達している」
「ありがとうございます」
「ところでもし哲学的な」
「っと。カレーが仕上がったようです。続きは食後にしましょう」
「うむ」
九々理がよそってきたカレーを見た比良木はその顔に戸惑いの色を浮かべ九々理に尋ねる。
「九々理君、その、これ何?」
「カレーですが?」
「あ、いやそうじゃなくて具のことなんだけど。コレとかコレとか」
明らかに通常のカレーには入っていない具を指差して比良木は再度確認する。
「え?比良木先生ガンモドキとチクワをご存知ないんですか?」
「ガンモドキとチクワは知っとるよ!なんでそれがカレーに入ってるか聞いとるんだよ!」
「そりゃ僕がつくるのに失敗したオデンにカレールー入れてカレーにしたからですが?」
「失敗したって言いきった⁉そこ普通少しは誤魔化そうとせんか⁉これカレーって言い張るのかね⁉」
「さっきの僕の主張を認めてくださったじゃないですか。つくった僕がカレーと言うんだからカレーです」
「ああ、うむ……いや九々理君『食べる人も納得すれば』と言っとったろ!」
「来月実家の父に当塾への援助の増額を申し出ようかと考えていたんですが。そうですかーー」
「間違いなくこれはカレーだね。うむ」
◇◆◇
「……案外旨いね」
「そうでしょう」
どこか悔しげな比良木の感想に九々理は満足気な笑みを浮かべるのであった。
この作品の裏テーマは「もしDNAからネアンデルタール人を復活させたならどこまでを『人』と定義するのか?」だったりします。ネアンデルタール人ってサピエンスと交配可能だったそうなので……しかし感想いただくまでその部分を丸々削ったことを忘れてました。
(^_^;)