招かれた場所
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
やー、ようやく今日の体育も終わったか。
どうも苦手なんだよなあ、走り幅跳びって。助走をつけるのはいいんだが、踏み切る足をいつも間違えて、変な感じで跳んでしまう。
おかげで、会心と呼べる記録なんか数えるほどしかねえよ。自分の苦手とか、気に入らないとかの種目をやる時間は、なんとも面倒なものさ。
そういえば……お前、靴の中に砂場の砂とか入ったままになってねえよな?
足を入れるところばかりじゃないぞ。足の裏とかも、入念に調べておいたほうがいいぜ。
意識しないことが多いとはいえ、身体のすぐ近くでふれあうことも少なくない部位。触って、引きつれるというのは、知らず知らずのうちに影響を受ける場合もあるからな。
自分がどういう状態に置かれているか、よく注意をしといたほうがいいかもしれないぜ。
俺のおじさんが、体験した話らしいが聞いてみないか?
おじさんもまた学生時代、走り幅跳びをやったときが、こいつとの馴れ初めだったそうだ。
過去最高の記録を見せ、砂場へ深々と足を突っ込んだとき、たっぷりとそこへ砂たちが乗っかった。
それらは払い落としたものの、おじさんが履いていた運動靴は、すでに何年も付き合いのあったもの。
つま先のカバーの一部がはがれかけ、そこにもいくらか砂が詰まってしまっていた。
足へじかに触れる内側へは入り込んでいないものの、靴とカバーのはがれ目のところへきっちりはまり込んで、動かなくなっているのもいくらか。
とはいえ、外から見る分にはほとんど気にならない。靴そのものの機能に、大きなマイナスが見られるでもない。
かき出すのに手間がかかるし、おじさんも靴に閉じ込めて、そのままにしていたそうなんだけど。
このときから、ふとおじさんは自分の記憶が飛ぶようになったのだそうだ。
外を出歩くときが、特に顕著だ。
行く道、帰る道、いずれも意識しないうちにぼーっとしてしまって、気づいた時にはとある道に差し掛かっている。
自動車専用道路の高架下にあるトンネル。通学路にも使われるそこは、大型車のすれ違いも余裕をもって行える広さを持っている。
おじさんの地域だと、この手のトンネルの壁面への落書きは特に多かった。
落書きでなくても、学校からの寄贈という形で壁面を使った絵がかかげられることもあり、ここのトンネルのような、もともとの黄土色のみを保つ状態は珍しかったことなのだとか。
トンネルそのものの長さは、10メートルあるかないかといったところだろう。入り口から出口までの、その大口を確かめるのは造作もない。
けれど、どうして自分は気づくとここにいるのだろう。
おじさんは疑問だった。
登下校でここを使うことは選択肢に入るとはいえ、いざとなればここを避ける道筋を知ってはいるんだ。
少なくとも自分はこの道にこだわりを持たないことが多いのだけど、どうにもここのところ頻度が高すぎる。
――俺を誘い込んでいるつもりなのか? それでのこのこ乗り込んでいくと、まんまと餌食になるってやつだろ。なんとも古い手……いや、古すぎて化石のような手だな。
相手が化石ならば、何千年も何万年もおねんねさせておくに限る。
おじさんはトンネルが目の前に立ちはだかるたびに、毎度きびすを返して、別の道を選び続けていたのだそうだ。
実際、それで事故らしい事故に遭うこともなく、時間は過ぎていくのだが、トンネル側もしつこいといったらしつこい。
おじさんがいくら意識していたとしても、そのすき間を縫って、トンネル前へ導かれてしまうんだ。
性懲りもない追いかけっこだと、当初はおじさんもあきれ顔だったらしいのだけど、回数を重ねるごとに気が付いていく。
第一に、招かれる方向。
このトンネルは東西に橋渡しされる構造になっているのだけど、おじさんの意識が戻されるのは決まって東側の入り口だった。
西側の入り口に招かれたことは一度もない。すでに2ケタも後半になるほど回数を重ねて、このようなことがあるだろうか。
第二に、トンネルの入り口ばかりで、中で目覚めるケースがないこと。
もし、トンネルを通過させるのが、この誘いの目的であるならば、トンネルのさなかでおじさんの意識を戻すという手もあったはずだ。
行くも戻るも、おじさんはどうしてもトンネル内を通らねばならず、達成はたやすいはずだ。
あるいは、ここまで意識を奪えるのなら、おじさんをそのままトンネル通過させてしまう手もあるだろう。
このいつも意識が戻るトンネル手前にいるところが、実はトンネルを通り抜けたあと……という可能性もなくはない。
でも、それだったらこのトンネルに向かうような姿勢でもって、意識を戻しはしないと思うのだけど。
そう疑問を抱き始めた矢先。
おじさんはまたもトンネル前に招かれたが、いつもとは様子が違ったらしい。
去ろうとする前に、ころころ、ころころと足元に小石の転がる音が響いた。
あの、走り幅跳びに履いていた靴を、この日も履いていた。そのはがれかけたつま先のカバーの中から、小石がどんどん落ちていくんだ。
ふと、思い返す。これまでトンネルに招かれたときは、ことごとく、この靴を履いている時ではなかったかと。
こぼれる小石たちの数は、多くはない。
いかにとるのを面倒がったとはいえ、幅跳びの直後ではそこそこの量がはさまっていたはず。
それが今は、ほとんど底をついてしまっていて、転げ落ちた小石たちもその残党たちだと分かった。
勝手に飛び出していった小石たちは、トンネル脇の土。そこに深々と横たわる、縄跳びほどの縄ほどしかない溝の中へ、あやまたず入り込んでいく。
ほどなく、その溝から現れた矮躯はトカゲのように見えたと、おじさんは話してくれた。
ただし、その全身に肌らしい肌は一分もなく。代わりに無数の砂利たちがこびりついて、身体の形を成していたとか。
いまだ転がり途中だった小石たちも、這い出したトカゲの身へ、磁石でも携えているかのような軌道で吸い付き、離れなくなってしまったのだという。
トカゲはおじさんになど目もくれず、そのままトンネル口の側面にあたる斜面を這い上っていき、専用道路方面へ消えていってしまったらしいんだ。
学校の砂場の砂が、なぜ求められたか分からないが、あのトカゲにはどうしても必要なものだったのだろう。
それをたまたま靴に入れていたおじさんを、なんとしても自分のそばへ呼び寄せたく思った。
姿こそトカゲに見えたが、もっと恐れ多いものだったかもと、おじさんは思うらしい。