【4】
楊冥が屋敷の外に出て行ったすぐ後、楊煕の元に、紅徳が戻って来た。
「どうだった」
「将軍の読み通りでした。平原を抜けた先にある森…、あそこに陣を張ってるのは、郭馥軍ですね。近くの港にも船が泊まっています」
「やはりか…」
楊煕は腕を組み、唸り声を上げる。
「将軍…どうされますか?」
「…鄧選を呼べ。それから冥を屋敷奥に入れて、見張りを付けよ」
「…はい、将軍」
そう言って紅徳が消えた後も、楊煕は何かを考える様に目を閉じていた。
私は郭馥が来た事など知らずに、近くの街まで遊びに来ていた。
子犬はあちらこちらと、食べ物の匂いがする店へ寄って行く。
私は財布を持って来てないんだから!と子犬を抱えると、食べ物屋が並ぶ通りから、一本先の通りへとやって来た。
飲み屋が多いが、勿論入れない。
私は財布持って来てれば…!!と、心の中で激しく後悔していた。
「あー…、酒ー…酒飲みたいー…」
ブツブツ言いながら歩いていると、ある店の前で聞いた事のある声に足が止まる。
(まさか…)
郭馥の部下達の声だった。
(本当に攻めて来るとはね…、いや来ると思ってたけど…)
でも、思っていたより早い。
私は何か情報は…と、しばらく部下達の会話を盗み聞きしていた。
その頃屋敷では、楊冥がいなくなっている事がバレて、総出で探し回っていた。
屋敷の者達と一緒に楊冥を探していた紅徳は、(屋敷内をこれだけ探しても見つからないとなると…)と、空を見上げる。
間違いなく屋敷の外に出ているだろう。
「紅徳」
「これは…鄧選様」
「将軍がお呼びだ…。郭馥様を攻める。と…」
「…やはりそうですか」
紅徳はやっぱり?と聞き返す鄧選に、複雑な顔を向ける。
「…将軍の所へ行きましょう。話なら私より、将軍の口から聞いた方が宜しいかと」
部屋は重苦しい雰囲気に包まれていた。
楊煕から話を聞いた鄧選は、何も話さず、動きもせず。
ただ黙ったまま、瞳にのみ…怒りの炎を宿していた。
紅徳は鄧選に不安そうな視線を送り、楊煕を見るが、楊煕の瞳にも同じ炎が宿っていた。
(それはそうか…)
紅徳は鄧選の怒りよりも、楊煕の娘を思う父親の怒りを、どうやって止めようかと思っていた。
いや、止める事は出来ないのだろう。
子を思う親の気持ちとは、子供どころか、愛する相手すらいない紅徳には分かるはずもなかった。
楊煕を止められる者がいるとすれば、それは一人だけだ。
(楊冥様…)
心の中で名前を呼ぶと、紅徳は心配そうに目を細めた。
その頃、郭馥は森の中に張った陣で一人、空を見上げていた。
頭の中を占めるのはただ一つの事。
楊冥の事だけだった。
愛しい愛しい愛しい楊冥。
触れる事なんか出来なかった。
自分の欲望で汚したくなかった。
自分の力で壊したくなかった。
だからと言って…他の女を抱いた事で、己の欲望は満たされたのか?
…否。
満たされるはずもない。
結果、手に入れた物は無く。
失った物は大きい。
どうしてあの夜、謝る事が出来なかったのか。
傷つける事しか出来なかったのか。
どうして手放してしまったのか…。
郭馥は楊冥がいるであろう、楊煕の屋敷の方向へ視線を向けると強く手を握った。
迷っていても、後悔していても仕方ない。
郭馥は踵を返すと歩き出した。
もう一度この手に大切な物を取り戻す為に…。
私は走った。
何も考えずに走った。
涙が溢れてたけれど気にならなかった。
早く、父の元へ帰らないと…!!
郭馥の船が港に来ているのは、すでに父の耳に届いてるだろう。
父は必ず郭馥を攻撃する。
たとえ郭馥が攻めて来なくても攻められる前に…、父はそう考える。
それに私は郭馥が攻めてくるかも知れない…そう、父に伝えてしまった。
戦が始まる。
始まってしまう…。
覚悟を決めたはずの胸が、締め付けられる様に痛くなる。
もし、父が傷ついたら…。
もし、郭馥が傷ついたら…。
もし、鄧選が傷ついたら…。
私はどうするだろう…?
戦うのだろうか?
誰と??
父?
郭馥?
鄧選?
出来るわけが無い!!
結局、私の覚悟なんてそんなものだ。
大切な誰かと戦うのに、こんなに躊躇する。
だから急ぐんだ。
戦が始まってしまったら…。
戻れない。
私も戦わなければならない。
そうならない様に…私は走った。
通りすがる人達が心配して話しかけてくれたけれど、足は止まらなかった。
間に合って欲しい。それしか頭に無かった。




