49.痕跡(44)
暖かい。
仄かな甘酸っぱさが鼻腔を擽る。腕の中、大事な大切な存在を逃さないように抱え込んで…『幸せ』というのはこういう形をしているのだな、というのを目を開けて確認する。
アスタロトと目が合った。
「おはよ」
「お、おはよう」
顔が!近い!俺はまた彼を抱き枕にして寝てたのか。というか押し潰す一歩手前か?!
「すまない、重かっただろう」
と瞬時に火照った身体を離して、彼に腕枕をしている体勢になる。
「ううん、大丈夫。今更だし、気にならないから。それよりも」
と彼は下を向いて
「元気だね」
昨夜あれだけ睦み合って何回も果てたというのに!一眠りで元通りどころか更に漲ってきたのだが?!
あ、い、いやぁ、うぅむ、と言葉に詰まりながら俺は腰を引き手で顔を覆って上を向いた。恥ずかしい。寝起きとはいえ己を律することが出来ないとは。いや、それもアスタロトが魅力的すぎるからなのだが。
と、突然喉仏に、つーっと柔らかな触感が痺れるような快感を伴って襲ってきた。びっくりしてアスタロトを見ると、俺の喉仏を触った指はそのままに、なぁに?と言いたげに見つめ返された。なんというか、言葉が出ないんだが、どうしたものか…。
「お風呂で流してさっぱりしたら、出掛ける準備、しよう?」
アスタロトがにこやかに提案する。
「お風呂で、って一緒にか?」
「うん。さっさとごはん食べて、早く行きたい」
早く行きたいからさっさと済ませる、か。彼は意外に合理的なところがある。
「……あぁ、そうだな」
だが、この状態で、二人裸のままで、ただ洗い流すだけで済まさなきゃいけないのか……。俺は何とか心の平穏を保つべく、また顔を覆って、はあぁぁ~~~と大きく息を吐いた。
彼は魔法で身体や布団のベタついた汚れを綺麗にしてベッドをするっと降りた。
「先に行って、待ってるね」
しなやかに伸びた四肢、程良い肉付きの身体は固くないが柔らかすぎずしっとりした肌はずっと触れていたい。腰まであるさらさらの黒髪がその白い肌の美しさを際立たせ、色濃く残した昨夜の情事の痕をチラチラと見せつけて……って、ちょっと待て!
声を掛ける間も無く、アスタロトは浴室へ入っていった。俺も慌てて追いかける。
「ロト!背中!」
湯気で温かい浴室に入ると直ぐにアスタロトをくるりと回して長い黒髪を除けて背中を見る。
白い柔肌に幾つも赤く刻まれている引っ掻き傷。あまりにも痛々しい見た目に茫然としてしまった。
「?何かある?」
「ああああの、すまない!本当に、こんな、なんて酷いことをっ!」
これ以上はとても見ていられず、俺はそのまま彼を背中から抱き締めた。
「えっと、本当に何事?」
傷を付けたり痣になった箇所は少し熱を持っているのか、見えなくてもその場所が感覚的に判る。その全てが治るように綺麗な肌になるようにと祈る。
アスタロトは気持ち良さそうに、ほぉ~っと一息吐いて
「ガンダロフ、私の背中がどうしたの?」
と廻された俺の腕を軽く叩いて説明を求める。
背中の傷を見ていないからか、何が起こっているのか解らないのだろう。それにしても自身の身体のことなのに、気が付かなかったのか気にしなかったのか。
俺は腕を少し緩めて話し始める。
「その、昨夜、のこと、なんだが」
上手く言葉に出来なくて詰まりつつの説明、情けない。
「あ、あまりにも、気持ち良くて」
「うん、それは良かった。で?」
それでも彼はしっかり聞いてくれる。
「……その、夢中になってて全く意識していなかったのだが…君の背中に爪を立てて、酷く傷付けてしまってた」
はっ、と何か思い至ることがあったのだろう納得した様子から、しかし直ぐに小首を傾げる。
「あれ?私ってば、傷は治りが遅いのかな?」
確かに俺は痛めつけられたことはあるが、基本彼は痛めつける方だしな。
「それは分からないが」
と俺は身体を離して改めて彼の背中を見ると
「……治ってる」
あんなに酷かった傷や痣が全て無くなり、綺麗な肌に戻っている。驚いたが、それよりも安堵感が強い。
アスタロトが顔だけ振り返って肩越しに俺を見ると
「直してくれたんだね、ありがとう」
とお礼を言う。
「え?俺?」
「うん、さっき抱き締められた時」
「えぇっ?そ、そうなのか?」
そういえば先程『全てが治るように綺麗な肌になるように』と祈ったな。
「…そうか…いや、元は俺が付けてしまったんだし、その、本当にすまなかった」
元に戻ったとはいえ、傷を付けたことに変わりはないし、痛い思いをさせたのは間違いない。
「ガンダロフは、痛いところは無い?」
アスタロトはくるっと回って身体毎俺と向き合うと、俺の身体を隅々まで点検する。腕を持ち上げられたり内股を確認されたり。手早いのだが、俺はその動きについていけず、え、とかうわっとか声が出てしまう。
一頻り見た後、アスタロトが
「あぁ~、やっぱり…うん、しょうがないよね」
と残念そうに溢す。
「ん?何かあったのか?」
「ううん、何も無い。無くなってる」
「無くなって…紋様がか?」
「それは目立たないけどちゃんとある。……頑張って付けたのになぁ、キスマーク」
は?きすまーく?
「首筋とか、日焼けした肌でも判るように、でもあまり痛くしないようにって気を遣ったのに全部無くなってる」
口吻の痕のことか?!俺に?!しかも『あまり痛くしないように』って確かにあの時のことは、ただただ気持ち良かったとしか思い出さないぞ?!
「『お揃い』って言いたかったし『私の』って見せつけたかったし。でも」
それまで首筋や胸元を見ていた彼は俺と目を合わせるとふわっと優しい笑顔になった。
「痛々しいのは見ていられないから、良かったかも」
あぁ~~~~~っ!なんてかわいいんだ~~~!!『お揃い』も『私の』も嬉しいが、それよりも俺の身が健やかに保たれていることを良かったって、彼が俺のことをもの凄く大事に大切に思っているのを身に染みて感じて、本当にこの人は俺をどれだけ幸せな気持ちで満たせば気が済むんだ?!
気付けば彼をきつく抱き締めていた。身体の奥から沸き立ってきた熱いモノが全身を駆け巡っていく。
「ガンダロフだけだよ。私を傷つけられるのも、癒やせるのも。私に何か出来るのは、ガンダロフだけ」
アスタロトがそう呟く。うん、彼が自身の全てを許しているのは、俺だけ。だから傷つけないように、失わないように、ずっと一緒にいられるように、大事にしていこう。
その後、彼は機嫌良く俺の身体を泡塗れにし丁寧に流して俺も彼の身体を同じように流しさっぱりしてから食堂に行った。朝食は聖獣達が用意していた。外はまだ日の出前、彼等は働き詰めではないか?
「ちゃんと眠ったか?朝飯は食べたのか?」
気になって麒麟に訊く。
「休息は順に取っています。我々は本来、睡眠・食事は必要ではありませんし昨晩は極上の気を頂戴しましたので満ち足りております。心を配っていただきありがとうございます」
輝くような笑顔で応える。極上の……。
「そうか……」
満ち足りているのであれば、まぁ、心配ないか。
用意されていたのは、鳥肉と野菜を挟んだサンドイッチとキノコと根菜の野菜スープ。出来たてを頂く。
「美味しい!」
「うむ、美味い!」
「聖獣達って有能だね。いろいろと頼りになるし」
「造り主に似たのだろう」
「そうだと嬉しいけど、これは彼等の努力の賜物だと思う」
確かに、元々の能力が高くてもそれを生かせるかどうかは本人達の心持ち次第。そして言動の一つ一つに彼等の忠義をひしひしと感じる。
「ごちそうさま。美味しかった~、ありがとう」
「あぁ、美味かった。ありがとう」
俺達が礼を言うと、麒麟は
「主とますたーに幸福を感じて頂くことが、私共の使命です」
と満足そうに微笑んだ。
『幸福』か。朝から既に幸せいっぱいだ。この世界で俺とアスタロトが求められたことは『幸せに過ごすこと』。要求に応えられているようでなによりだし、剣と聖獣達ともずっと一緒に幸せでいたい。その為に俺が出来ることは何だろうか。
読了、ありがとうございます。
<(_ _)>
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