20.俺のかわいい人(18)
まだわだかまりがあるのか、彼の頬が赤く染まる。湯上がり直後より茹だっているようだ。だが『私』を形作った、というのはどういうことだ?
「私も、晩ごはん食べてた時に気が付いたの。確かに依り代さんの記憶はあるのだけど全部ということでは無くて。というより、個人を特定できる情報があまり無い」
『依り代さん』?言い方が妙だ。
「個人を特定……名前とか?アスタロトではなく?」
「うん、『アスタロト』は渾名みたいなものだから。名前も年齢も覚えていない、容姿も茶髪で眼鏡かけてた?家族構成は夫と子ども2人で性別はわからない。それでね」
アスタロトはほぅっと息を吐く。一体何に気を病んでいるのだろうか。彼の視線が段々と落ちていく。
「『私』は私で依り代さんじゃない。ガンダロフに『はじめまして』って言ったのは覚えてる。けど、それは私になる前の『私』だから……」
俯いてしまって、どんな顔をしているのかわからない。
「せっかく呼び戻してもらったのに、中身が違う人に…私になってしまってたの。ごめんなさい」
……俺が呼び戻したかった人と今目の前にいる彼は別人だ、と彼はそう言っているのか。しかも彼自身それに気付いていなかった、と。だが、口づけた後で目覚めたのは……。
俺は、はぁ~、と息を吐いた。俺が好きだと思っている相手は自分じゃない、つまり彼は今、目の前にいる『アスタロト』に俺が心底惚れているということを疑っているということか。
俯くアスタロトを俺は膝の上に乗せて抱き締めた。甘い香りがふわっと拡がる。
「俺からみれば、中身が違うとは全く気付かなかったし、今、いわれてもピンとこない。それに、その、俺の口づけで目覚めた後からの君が益々かわいくて愛しくて、今更違うと言われたところでそんなこと関係なく好きなんだが」
アスタロトの頭を撫でる。洗い立ての髪から、甘い中にほんの少し爽やかな感じの香りがして、指の間を流れる柔らかい髪の感触が気持ち良い。
「でも、なんていうか…『裏切られた!』って感じじゃない?」
彼はまだ俯いたまま。声にいつもの張りが無い。
「いや、別に。そうか、晩飯の時に考え込んでいたのはこのことだったのか」
「うん、だんだん申し訳なく思っ」
アスタロトの唇に指で触れて言葉を止める。さっきの仕返しみたいだな。彼は驚いたのか黙って動かない。温かく湿った息が俺の指をくすぐる。その手で彼の頬を撫でると、熱を帯びていたのが更に熱くなる。彼は俯いたまま動かない。赤く染まったかわいい彼の顔を堪能出来たら良かったのだが。
俺の思いを彼の耳元で囁く。
「ロト、話してくれてありがとう。ロトが思っていること、感じていること、何でも良いから、些細なことでも知ることができて嬉しい」
彼は両手で顔を覆って小声でうぅ~~~~わぁ~~~~と呻いている。長い黒髪の隙間から赤くなった耳や首筋が覗く。触りたい。
「ガンダロフ」
彼は顔を覆ったまま、小さな弱い声で俺を呼ぶ。
「ん?」
「お風呂、入って。今日は頑張ったから、凄く疲れている。難しいことは明日考えるから、今日はもうお休みしたい」
だがもう立ち直ったのか、自分の要望をしっかり伝えてくる。
「あ、あとね、私、今混乱してて……変なこと言ってたかも知れないけど、気になったらごめんね」
あぁ、やはり彼は俺の好きなアスタロトだ。かわいい。……風呂、か。臭うのか?確かにいつもの甘い香りと別の何かが混じっているような?
名残惜しくて一度ぎゅっと抱き締めてから、膝から下ろす。彼はまだ顔を覆ったまま動かない。まぁ意識してもらえたのは良い傾向だ。俺は彼の頭を撫でて
「ありがとう。湯浴みしてくる」
と立ち上がり、彼から離れた。
浴室に向かおうと数歩程歩いた所で
「ガンダロフ」
と声を掛けられた。
「どうした?」
振り返ると、アスタロトは顔を上げて俺を真っ直ぐ見つめていた。
「私の方こそ、ありがとう」
黒い、澄み切った夜空に無数の星が煌めく瞳が、安堵したように少し細まる。火照りの治まりつつある頬はまだ赤くて
「ゆっくり浸かってきてね」
と柔らかく微笑む。
「あ、あぁ。」
か わ い い 。
瞬間的に茹だった。もうかわい過ぎて何かとんでもないことをやらかしそうで、俺は手で口元を覆ってやっとの思いで浴室にたどり着いた。
汗を流して、湯舟に浸かる。はぁ~~~。一仕事どころか二つも三つも厄介な仕事を片付けた後のような疲労感。疲れているんだな、俺も彼も。あぁ~、自然と顔がにやける。ロトがかわいくて仕方がない。アレ、じゃなかった分身体も『好きにして良し。人間共は気にするな』と言っていたというし、このままここで生活出来たら俺は幸せなんだが。
今日はもう寝るだけ。ベッドの問題はとりあえず棚上げして、今夜は同じベッドの端っこで寝させてもらおう。意外と頑固なんだよな、ロトは。でも、俺の身を案じてのことだとわかるから、何というか……こそばゆい感じがする。はぁ。こういう幸せな経験は初めてかもなぁ。
明日は空を飛ぶのか。魔法で飛ぶなんて、あの方でも無理だろう?前世では見たこと無い。そもそも、詠唱無しで次々と凄い魔法をさらっと熟していくなんて、本当に桁違いだ。……陸地をぶっ飛ばして海にする程の力がその体内に在るということなのだろうが。それとは別に、宝石のような物を作ったり加工したり、身体や部屋等を綺麗にしたりと繊細な使い方も苦にならないようだし。
だが、魔神とか聖者とか関係なく俺はアスタロトが好きだ。ロトは俺のかわいい人。これは揺るがない。幸い嫌われていないどころか、好意を持たれている感すらある。これからゆっくりとお互いに愛を育んでいけたら……!
湯舟の中で一人悶絶してのぼせて、危うく溺れそうになった。何やってんだ、俺。アスタロトが用意してくれていた水が凄く美味い!
で、そのアスタロトは剣を抱えてソファで爆睡していた。頬を撫でても耳を触ってもピクリともしない。疲れたと自己申告する程だから、しょうがないか。
「今日はよく頑張った。剣もお疲れ様」
剣は控えめにほわっと光った。
身体の火照りが治まった頃にベッドに入る。先に寝せたアスタロトは寝返りどころか微動だにしていない。お互い寝返りを打っても痛い思いをしない程度の距離を置いて眠れる程の広さ。掛け布団はそれぞれ掛けている。……まさか元から在った物ではなく、作ったのか?
本格的に寝る前に彼の顔を覗き込む。はぁ、綺麗だ。目を閉じていると人形のようだな。
「明日もよろしく。お休み」
額にそっと口づけをして、やはり動かないのを確認してから布団に入り、目を閉じた。
やはり今までのことは夢だったのか?ここはアスタロトと出会う直前にいた白っぽい空間。
「上手くやれているようだな。予想以上だ」
アスタロトが立っている。…分身体か?
「あぁ。直ぐに見分けたようだが、そんなに違うか?」
全く別物だな。君もロトと同じ様なものだと聞いたが、残念なことに君には可愛げが感じられない。
「成る程、ロトは今は無邪気だからな。だが、我より苛烈で容赦がない」
……確かに。
「忠告が二つ。まず一つ目。ロトをあまり精神的に疲れさせるな」
難しい魔法を使わせるな、ということか?
「いや、魔法については今のままで構わない。ロトは情緒で未発達な面が多々見受けられる。自分の、あるいは其方の感情を理解するのに苦戦しているようだ。疲れていると判断力・思考能力が著しく低下するのでな」
あぁ、俺も抑えられない時があるからなぁ。善処する。
「二つ目。『人間共は気にするな』とは言ったが、やられたらやり返せ。言いたいことはそれだけだ」
『人間共』は何を企んでいる?
「魔神が持つ力を扱うための紋様を狙っている。其方の背に浮かんでいるものだ」
背中?いつの間に……。
「この世界に来たと同時に刻まれている。時間だ。では、また」
……可愛げがないのではなく、味気ないのだな。
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<(_ _)>
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