172.『お話しにならない』とは(167)
3/1 前話を加筆修正しております。
パンはもうすぐ焼き上がるところで、アスタロトは手が離せないようだ。その代わりか
「ガン様ぁ~!」
とイトくんが食堂から飛び出してきて、俺の脚にバフッと抱きついてきた。かわいい。
「いい匂いだな。今日のおやつは焼き立てパンか」
「はいっ!みんなでこねこねしました!」
イトくんが満面の笑みで報告する。
「そうか。それは焼き上がりが楽しみだな」
俺がイトくんの頭を撫でると彼は嬉しそうに目を細めてから、
「ガン様も!一緒に食べましょう!」
と撫でていた手を取って、俺を食堂に引っ張っていった。が、いや待て、他の子ども達もソニアのように俺の顔を見て泣き出すのでは無いか?
そんな俺の懸念は全く考慮されること無く、イトくんは俺を食堂に引き入れた。丁度パンが焼き上がったようで、子ども達が待ってましたとばかりにパンに手を伸ばしてきたのをアスタロトが、
「まだ熱いからもう少し待っててね』
と注意しつつ、子ども達が火傷をしないように熱くなった鉄板に密かに障壁を張っていた。
♪…あんパン、食パン、カレーパぁ~ン…♪
粗熱を取る間は手持ち無沙汰だからか、アスタロトが陽気に歌っている。その明るく楽しい旋律に合わせて子ども達がニコニコと身体を揺らしたりして聴いている。このふわふわとして暖かい光景は『幸せ』の具現化だろうか。自然と俺の口角が上がった。
「ロト様ぁ~!、ガン様、つれてきましたぁ~!」
とイトくんが上機嫌で俺をアスタロトの元へ引っ張っていく。周りの子ども達がギョッとした顔を向けるが、泣き叫ぶまでにはいかないようだ。イトくんが邪気の無い笑顔を振り撒いているのが功を奏しているのか。
「お疲れ様、ガンダロフ。パン食べてから帰ろ?」
「あ、あぁ、そうだな」
アスタロトの労いの言葉と提案に、子ども達が怯えないのであれば良いか、と気を取り直した。
遠くの方で再び大きな泣き声が聞こえてきたが、此処の子ども達はあまり気にした様子は無い。もしかしてソニアが泣き喚くのは常日頃からのことで、皆慣れているのかもしれない。
アスタロトがキヨエ、白虎、神官達と共に焼き上がったパンを子ども達に一つ一つ渡していく。子ども達は自分で成形して干しぶどうで飾り付けたのだとか。それこそ世界で一つだけのパンを皆嬉しそうに受け取っていく。
小さい子には千切り易いように切れ目を入れてお花の形にした小ぶりのパンを用意していた。早く食べたいだろうに、皆に行き渡り準備が整う迄、じっとパンを見詰めながら待つことが出来ている。偉いな。そして皆で声を揃えて。
いただきまぁ~す!
わぁ~、ふわふわぁ~、あったかぁい、湯気でてる~、柔らかぁ~、うまぁい!おいしーっ!…
イトくんのパンはどのような模様だろうか、干しぶどうで三角が四つ印たものをチラリと見たが、彼は、うわぁ柔らかぁい、とそのパンを直ぐに千切って、湯気を眺めてから、パクッと食べた。その食味、食感に目を瞠りアスタロトに、
「おいしい!」
と満足げな笑みを向けた。
俺のパンは、干しぶどうで中心から外側へ時計回りの渦巻き模様で、アスタロトのパンは反時計回りの渦巻き模様だ。干しぶどうの有無で変化する味と食感が面白い。
「ソーニャちゃんは、おともだちじゃないの?顔見知り?」
アスタロトが気になっていたようにイトくんに訊ねる。
「かおみしり?」
「顔と、辛うじて名前を知っている程度の人」
イトくんはモグモグしながら考えて
「…うん。かおみしり。あんまりお話しにならない」
『お話しにならない』とは。普通は話をしたことが無い等の表現になるのだろうが。
「その言い方だと、会話にならない、と言っているようだな」
と俺は苦笑する。
すると周りの子ども達が
「うん!お話しにならない!」
「いつも言いっ放し!」
「僕たちのことは聞かないよね」
「そう、自分のことばっかり」
あまりの不平不満続出な状況に、俺もアスタロトも言葉を挟めず「へぇ~…」と相槌を打つのだが。
「何で大聖女様に会いに行ったのかな?」
アスタロトが新たな疑問を投げ掛けると
「ソーニャちゃん、お姫様なんだって」
「嘘だと思うけどなー」
「「「ねー!」」」
何でまた『お姫様』?とのアスタロトの呟きにイトくんが説明する。
「わたしがね、ここに来る前はお部屋にずっとひとりぼっちでお昼ご飯とおやつは無かったんだよって言ったら、ソーニャちゃんが『私も同じ!だから私はお姫様!』って言ってた」
平民であれば昼飯おやつは滅多に無いのが当たり前だ。そんなことを言い出したら此処にいる大半のものは『お姫様』『王子様』だぞ?
「それはまた意味不明な理屈だし、大聖女様とどう繋がる?」
と俺が首を傾げるとイトくんが説明を続ける。
「えっとね、どこのお姫様なの?って聞いたら、ソーニャちゃん怒ってね。大聖女様に訊いてくるって」
なんだそりゃ。心の声が口をついたのか、アスタロトが呆れている。
その様子を見た周りの子ども達が俺達に次々と話し掛ける。
「でもねー、そんなの僕たちも似たり寄ったりだよ」
「そうだよねー、ソーニャちゃんだけじゃないよねー」
「イトくんは、イト、ナントカ、ナントカって長い名前だったけど、ソーニャちゃんはソニアだけだもん」
「おかしいよねー」
「「「ねー」」」
「よくわかんないから、訊いてくる」
アスタロトは千切って二口ほど食べた残りのパンを俺の皿にポンと乗せて
「は?いやちょっと待て!今は神官達の説教中、だ…」
と俺の制止する声を背に受けながらささっと食堂を後にする。素早い。




