126.猛吹雪(121)
アスタロトは転移門を開いて、ダイザー王家の人々を大神殿に送る。大神殿では貴賓館で彼等を受け入れる為に準備を進めている最中だとか。
「イト!ルトー兄様!」
ご無事で何よりでした!とレキュム殿下がノイット殿下ごとルトーリィ殿下を抱き締める。
大司教寝室の広いベッドにはラドリオ殿下が眠っており、まだ余裕はあるよねとアスタロトは皇帝陛下と第二皇子殿下を並べて寝かせ、親子で川の字、と呟く。仲が良いことの例えなのだろうか。しかし非常時で一時的なものだとしてもなかなかに不敬な状況だな。従者はソファで寝かせられている。早々にちゃんとしたベッドで寝させてあげたい。
「父様とウル兄様まで助けていただいて、本当にありがとうございます。このご恩をどう返したら良いか、皆で良く話し合いたいと思います」
レキュム殿下が改めて頭を下げる。それに合わせてノイット殿下を抱いたままのルトーリィ殿下も頭を下げる。
「うん、その話は落ち着いてからゆっくりね」
とアスタロトが応えると俺は
「今は自身の体調を万全にすること。体調が戻ってから帰還後どう動くか等、家族で良く話し合って欲しい」
と続ける。
「はい。今はお言葉に甘えさせていただきます」
ルトーリィ殿下がすっきりとした笑顔で返す。…既視感を覚えるのは、今朝方のルゥさんの笑顔に似ているからか。
アスタロトが私達はまだやることがあるから、と転移門を閉じようと一時的拠点の四阿に戻る…ノイット殿下が不安げに俺達を見つめる。そのような顔をさせたままでは作業に集中し辛くなるな。俺は元の小さい姿に戻っていた白虎に
「白虎、ノイット殿下の世話を頼む」
と指示を出す。
「っ!畏まりました!」
白虎はひゅんと跳びノイット殿下の狭い肩に乗って
「よろしくお願いいたします」
とノイット殿下に頬ずりすると、殿下からふわぁっと笑みが零れた。そっと隣のアスタロトを見ると、目を細めて安堵の笑みを浮かべていた。やはりノイット殿下を気に掛けているのだな。
一時的拠点側で転移門を閉じる。
「ロト」
俺は優しく抱き締める。此処には子ども達の目は無い。色々と感じてきたもの、憤りを抑え込んでいるのであれば、此処で吐き出させた方が良いだろう。アスタロトも俺に抱き付きながら、ゆっくりと言葉を吐き出す。
「何ていうか、胸が痛いというか、胸の奥が重くて、ぐちゃぐちゃで、ぐるぐるしてる」
そうだろうな。俺には解らないが、平和な世界で子育てをした依り代さんの記憶を持つアスタロトには衝撃的な事柄もあったのではないか?四阿の外が薄暗くなる。
「確かにあれは、子どもに縁の無い俺でもおかしいと思う。況してや君は」
子育て経験があるのだから、と言いそうになって、口をつぐむ。聖騎士ダングには聞かせたくない。俺は改めて私をぎゅっと抱き締めて
「俺よりも細かいところまで色々と気付いたのだろう?腹立たしく思うのは当然だ」
はっ、と初めて気付いたように彼は身体を震わせた。そして俺の背に廻した手を握り締め、ぽつりぽつりと話し始める。
「あのね、子どもって、かわいいよね。私は自分自身は特別子ども好きって訳では無いと思う。でも」
彼の身体が小刻みに震えて、ひやりと冷たい空気がそよぐ。
「禄に掃除もされていない広いだけの部屋に、何の手入れもしないで子どもを一人ポツンと放置とか。しかも四歳だっけ?あの軽さはたぶんご飯もそんなに食べさせてもらってない。話し方もまともな会話、自発的な会話をさせてもらってないような発音で」
彼の声が震えている。
「それにあの目。ただ、目の前のものを移すだけの光のない瞳」
あぁ、やはり彼は、ノイット殿下が日常的に虐げられている事に激しい憤りを感じていたのだな。後はもう言葉にならずに俺にしがみついて震えていた。俺は彼が気持ちを整理するのを邪魔しないように、ただただ彼を抱き留めていた。結界の外は猛吹雪だ。
ふと風の勢いが弱まったかと思ったと同時に、アスタロトの身体の震えが治まってきた。そのうち彼はもぞもぞと身動ぎして囁くように告げる。
「ガンダロフ、ありがとう。大分落ち着いた」
俺は抱き締めていた腕を緩めて、アスタロトの顔を覗き込む。申告通り落ち着いた顔つきだ。
「もう、今日はこのまま帰るか?」
帝都の神殿で俺達がどのような扱いを受けるかわからない。これ以上彼の心を激しく揺さ振るような事態は避けたい。が、彼はふるるっと首を横に振る。
「ううん、帝都の神殿を覗いてから、帰る。焼き討ちに遭ったとか、実際どうだったのかを直に見たい」
「わかった」
彼の、望みのままに。
「ということで、聖騎士ダング、もう少しお付き合い願おう」
俺がアスタロトの後頭部を撫でながら聖騎士ダングに声を掛けると
「はい、承知しました」
とダングは苦笑した。その返しを聞いてアスタロトは申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にする。
「ごめんね、ダングさん。寒かったでしょ?」
そっちか。
「いいえ、結界の中でしたし、これに守ってもらっていたような気がします」
とアスタロトが授けた黒っぽい板を胸元から取り出した。
「そっか。お役に立ったようで良かった」
アスタロトがふわりと微笑んだ。
偵察に出していた青龍と玄武と合流してから、拠点にしていた四阿の結界を解いて神殿へとバイクと橇で向かう。空はまだ曇ってはいるが、寒さは随分と和らいだ。
「春の嵐ってところかな」
「一瞬だったがな」
「折角目覚めてくれた虫やら草やら、凍え死んでないと良いけど」
「今朝、君の祈りを浴びたんだ、そんな柔じゃ無いだろう」
大丈夫だ、この世界の命はこんなことでへこたれるような脆弱なものばかりではない。俺は思いを込めて改めて背中からアスタロトを抱き締める。暖かい。彼は、うん、そうだね、と穏やかに頷いた。




