105.歌を忘れた(100)
宿舎に戻って明日に備えよう、とアスタロトがソファ等を片付けて何も無い状態に戻す。本当に魔法を自分の手足のように苦も無く使う、と感心していると。
「なんだか、月に笑われているみたい」
空を仰ぎ見ると半分の月が薄雲の隙間から輝く。
「あぁ、俺が元いた世界の月と同じだ。満月が楽しみだな」
依り代さんの世界では、満月を愛でながら美味いものを食べると言っていた。アスタロトは材料の心配をしていたが、俺としては二人でゆったりと綺麗な月を堪能できればそれで満足だな。
「満月かぁ…今の半分の月も綺麗だねぇ…」
アスタロトも月の輝きに見入っているのか、うっとりとした声で呟く。
♪う~たを忘れたカナリアは~~…
高くも低くもない透き通った声がしっとりと辺りに染み込んでいくように響く。いつもならばどんなに侘しく寂しい旋律でも何故か楽しく聞こえるのだが、この歌は暗い曲調ではないのに物悲しい。というかこのカナリヤ?歌を忘れただけで後ろの山に捨てられそうになったり、背戸の小籔に埋められそうになったり、柳の鞭で打たれそうになったり、扱いが酷くないか?
ふっと口を閉じてアスタロトはぶるるっと小さく身震いする。ソファ近辺は暖かいのだがアスタロトが寒気で震えたように見えたのはこの不憫なカナリヤの歌の所為か。どのような最期を迎えたのだろう?
「それで、歌を忘れたカナリヤはどうなったんだ?」
「実は旋律を忘れてしまって」
だから先を歌わなかったのか。珍しい。
「でもカナリヤは綺麗で穏やかな風景の中で忘れた歌を思い出してた」
そうか、思い出したのであれば酷いことにはなっていないはず。だが、アスタロトの瞳は少し翳りが残ったままだ。何を憂いているのだろうか。
※※※※※
ふと、微睡みから意識が浮かび上がる。ここは…鉄錆の匂いを風が運ぶ戦場ではなく。腕の中で俺の愛しいかわいい人が静かに眠っている。静かすぎて精緻な人形みたいだな、俺が前後不覚になるまで共に熱く昂ぶりあった人ととても同じには見えない。明日に障るから程々にと言った傍から激しく貪るように口中を蹂躙し、抗議の目を向けると「我が儘大王だから」と蠱惑的な笑みを浮かべて……あぁ、おそらく『我が儘大王』を否定しなかったのが気分を害したんだな。いや、それからのこの状況で…否定出来る要素があったか?大体、その我が儘な所も俺にとっては魅力の一つなのだが。
すっかり目が覚めてしまった。まだ夜明けには程遠いが、一旦起き出す。アスタロトを起こさないようにそっとベッドから抜け出して…彼の白い珠のような肌に所々引っ掻き傷や鬱血痕が赤く残る。幾ら快楽で朦朧としていたにしても、やり過ぎだろう、俺。今すぐ治したい衝動に駆られるが、起こしてしまうのは忍びない。それに彼がわざわざ残しているようにも思うから、うむ、起きてから治そう。
水を飲んで一息入れる。
「剣、今、良いか?」
『いいよ、主。なぁに?』
ソファで落ち着いた所で剣に気になっていたことを聞く。
「ルゥさんとアーリエルさんの諍いはユキチからはどの段階で報告があった?」
『直ぐ。ユキチを通して様子を見てた。痴話喧嘩?って感じだったから特に気にしてなかったの。ごめんなさい』
「そうか。男女の心の機微は解り辛いものだから仕方が無いか」
『うん。主とますたーの遣り取り見ててもそう思う」
男女に限らず恋愛関係にあるものは皆同じだ。
『それで実際の様子を見た時に、あれ?って思って、それで囚われる前はどんなだったかなって』
「ふむ。ではその違和感もあって、晩餐後の散歩の時にルゥさんの来訪を直ぐには伝えなかったのか。剣がそう判断したのであればそれで良い。俺には割と直ぐに報告してくれたし」
『麒麟を挑発?でもますたーの歌を聴いたら何もせずに帰ったって』
あのカナリヤの歌、聴いた後はしんみりしてしまう。
「…まさか良い雰囲気を邪魔したらアスタロトに何されるか解らんとか考えたのでは無いだろうな」
『そおいう情緒が解るんだったらぁ、あの時間帯に主とますたーに会おうなんて思わないぃ』
剣の言い方がどことなく不機嫌だ。
「情緒か。やはりアーリエルさんと上手くいかない等の相談事だったのだろうか」
『主』
俺が顎に手をやって長考の姿勢を取ると剣に呼び掛けられた。
『アーリエルさんのこと、気になる?』
「ご高齢だからな。少なくともイルシャ教関係者にとっては心の拠り所なのだから壮健であって欲しい」
『そっち?』
どういう意味だ?
『高齢だけど見た目は妙齢の綺麗なお姉様だから恋愛対象として』
「無理だな。冗談でも考えられない」
剣の問いを遮る形で答える。そういえば彼女に関してはアスタロトも『大聖女』ではなく『高齢者』扱いだな。
『そっか~、そうだよね~。ますたーもそうなんだよね~』
機嫌が直った?
「まぁ、アスタロトの幸せが一番重要で、今やっていることは彼がお終いって言ったら終了だ。元より『人間達は気にするな』との言質はあるのだから、俺としては彼等にはあまり関わりたくないのが本音だ。司祭達のことが片付いたら早々に北の住居でゆっくりと過ごしたいものだな」
『うんうん、そうだね。主とますたーの幸せがこの世界の幸せだもの』
アスタロトを暴れさせるなってことか?だが彼は理由もなく非道なことはしないと思うが。
無性にアスタロトの温もりが恋しくなった。
「寝直すとするか。剣、ありがとう。ではまた、後で」
『どういたしまして。お休みなさい、主』
ベッドに戻るとアスタロトは人形のように同じ姿勢で微動だにせず眠っている。微かな寝息で生きていることはわかるのだが。俺が起きる時はいつも彼を無意識に抱き枕にしているから、もういっそ今彼を俺の腕の中に抱き込んで、眠りに落ちるまで彼の温もり、俺の幸せを感じていよう。
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