第九話:規律のけもの
人を二人抱えてトーマは跳ぶ。
ビルからビルへ、壁から電柱の柱へ。
電柱の柱にある棒を掴み、そこから柱を蹴って壁に登る。
信号や人混みを飛び越えて、車や建物を乗り越えて、ただひたすらにトーマは跳び続ける。
そうして大声をあげていた二人に新たな怪我を負わせないまま、約十一分で目的地に到着した。
「申し訳ない、やはり二人を担いでいる状態ですとタイムロスがありました」
トーマはそう言ってゆっくりと二人を肩から下ろす。
透は若干足が震えているものの、立つのには問題なかった。
プロデューサーを呼ばれた男は流石に足の骨が折れているせいか、トーマの肩に掴まって立つのが精一杯であった。
そんな二人と種付けおじさんに衆目が集まる。
付近には撮影機材やそれを扱うスタッフ、それを遠目から見ている野次馬。
悪い意味でも注目されてしまっている。
しかし、そんなことを気にすることなく一人のブランド物のスーツを着こなしている初老の男性が小走りで駆け寄ってきた。
「おぉ! 間に合ったか安鳥くん、それに星見透くん! 実は他のアイドルも事故のせいで遅れているようでね、このままではアイドルのいない生放送になるところだった!」
初老の男性を前に、女子生徒の透と安鳥と呼ばれた男が姿勢を正す。
そして初老の男性……番組の責任者は種付けおじさんであるトーマには目もくれず、嬉しそうに二人の肩を叩く。
「だが、キミさえいれば番組の体裁は守れる。他の子の役目もこなして貰う事になるが、その分キミの出番も増える。頑張ってくれ!」
こういった歳をとった大人にとって、種付けおじさんは気にもかけない存在なのだ。
違反行為を行わない者にとってはそれこそ何の意味もない存在なのだから。
「はい、分かりました。他の子の分まで頑張らせて頂きます」
透がそう返答すると、奥にいるスタイリストが手招きをする。
生放送に間に合ったとはいえ、番組の開始まで残り数分。
少しでも化粧や衣装の準備をしなければならない。
透は安鳥とトーマに頭を下げてそちらに駆けて行く。
番組の責任者は他のスタッフに指示を出す為にまた別の場所に向かい、その場には安鳥とトーマだけが取り残されてしまった。
「よ……よかった。これでもう、思い残すことは……」
不安な言葉を残して意識を失った安鳥は地面へ倒れこみそうになるところを、トーマが太い腕で抱え込み、ゆっくりと地面に寝かせた。
「緊張の糸が切れてしまったか。介抱してあげたい気持ちもあるんだが、このままここにいるわけには―――」
群がる野次馬が一際騒がしくなる。
トーマはスーツの上着を脱ぎ、それを安鳥の頭の下に置いて騒ぎの中心になっている方向に注意を向けると、ナニかと目が合った。
銃声が木霊した。
トーマは弾かれるように逃げる。
発汗をコントロールできるにも拘わらず、冷や汗が出てきて止まらない。
こんな街中で銃を使うということは、相手は警察しかいない。
しかも一発目の空砲を空中に向けて撃っている。
次弾は確実に殺しにくる実弾だ。
警察ならば一般市民に向けて撃つことはないだろう。
だが、もしもということがある。
それ故にトーマは野次馬から距離をとるように跳び上がり、再びビルの出っ張りや壁を利用してその場を脱出した。
警察が無線で連絡する。
いつも悪い子のところに現れる種付けおじさんを捕まえられない無能とも言われるときとは違い、今回は本気の動きだ。
種付けおじさんが本業以外で一般人に被害を与えた場合、彼らは羊の皮を剥ぎ取った狼の群れに変貌する。
それを理解しているからこそトーマは覚悟した。
今日が、自分の最期なのかもしれないと。