第四話:種付けおじさんの生態
一時間後、無理やり上着を脱がされた新人は激しい運動によって息を切るハメとなっていた。
「どうした、遅れてるぞ!」
「相手は車っスよ!?」
ゴミ収集車と併走している二人の種付けおじさん……もしも今が朝の五時でなければ、通行人から奇異な目で見られていたことだろう。
「よし、停車二十秒! 遠くのゴミを投げるからお前はそれをゴミ収集車に入れるんだ!」
「そんな無茶な!」
だが新人の泣き言などに耳を傾けることなく、トーマは集積所にあるゴミをドンドンと新人に投げる。
新人は文句の一つでも言おうかと思ったが、今日回収するべきゴミだけを判別し、更に間違ったゴミ袋には分別シールをつけているトーマの姿を見て、自分が劣っているだけなのだと受け入れて、それでもなお必死に役割をこなし続けた。
そして担当地区のゴミ収集を終えた頃には、通勤やマラソンしている人達が目に付くような時間帯となっていた。
「ハァ……ハァ……こ、これで終わりッスか……?」
「ああ、私達が生きていく上で見逃される為に必要な仕事の一つがこれだ。それと、人目がある内はマスクを外さないようにな」
新人が呼吸を整える為にマスクをずらして口を晒すが、トーマがすぐにマスクを正した。
顔を隠すこのマスクは種付けおじさんの証明。
醜く、とても人前で曝け出せないモノがあるということを知らしめる、現代における罪人の刺青のようなものだからだ。
「それじゃあ次に行くぞ」
「まだ仕事があるんスか!?」
疲れ果てた顔をしている新人の顔が苦悶に歪むが、トーマは安心させるように言う。
「仕事というよりも、キミの住処を片付ける為だな」
そうして二人は種付けおじさんの住処となっている大公園で、清掃活動を行う。
新人の持つゴミ袋には空き缶やプラスチックの破片、他には注射器が入っており、怪訝そうな顔をしている。
どうしてこんなものが落ちているのかというと、血が売買されているからである。
この社会は遺伝子を過剰信仰している。
だから優秀な人物の血を買い、それを洗浄して自分の中に入れるというものが流行していたりする。
そのせいもあり、献血を募っても誰も来ず、輸血用の血液が不足しがちでもあった。
欧米では家畜や動物の血液もしくは人工血液の研究がされているが、日本はそれを既に解決していた。
そう、種付けおじさんである。
生きることを見逃されている代わりに、血液を提供しているのだ。
しかしこの事を知る市民は少ない。
忌避されるもの、劣等の象徴、犯罪者の血液を受け入れられないからだ。
そうして大公園の清掃を終えた頃、ゴトーが抱えるほどのダンボールを持ってやって来た。
「よぉ、精が出るな後輩。ところでお前さん、ダンボールに好みはあるかお?」
「え……いや、別にダンボールに好き嫌いとかないッスけど……何があるんスか?」
突然の質問に戸惑いを隠せない新人にゴトーは答える。
「俺達種付けおじさんは基本、外で寝るからな。これが敷布団と掛け布団になるんだお。おっと、雨とかの時は屋根のある場所に避難していいから安心していいお」
あまりの生活環境を聞かされ、新人は口を開けて呆けてしまう。
だが、トーマがそれにダメ押しを加える。
「いきなり外ってのもキツイだろ。慣れるまでは男子トイレと女子トイレの間にある用具室はどうだ? あそこなら風も入ってこないし静かだぞ」
あくまで新人を労わるつもりだったが、後天的に種付けおじさんになった新人には、これまでの常識が壊れるほど衝撃的なものであった。
「そんなとこで寝たら身体壊すわ!」
大声で訴えるも、古参の二人はそれを微笑ましく見ている。
「初々しい反応だねぇ。だけど忘れてねぇか? お前さんはもう種付けおじさんだお」
「寒空の下で裸のまま寝るでもしなきゃ死なないぞ。それに今はゴトーが用意してくれる服もあるから夜も快適に眠れるぞ」
種付けおじさんは遺伝子改造によって病気や怪我にも強いだけではなく、様々な種類がいる。
畑を作るもの、精密機器を修理できるもの、衣服を縫えるものもいれば、発電機を自作できるものすらいる。
先天的な種付けおじさんには無理だ。
様々な職を手に付け、犯罪者へと堕ちた後天的な種付けおじさんがいるからこそ、種付けおじさんの多様性が循環しているのだ。
とはいえ、新人の種付けおじさんには関係のないことだ。
茫然自失としている新人が立ち直る暇もなく、今度はトーゴが土産を持って帰って来た。
「よぉ、喜べ兄弟。ありったけの廃棄弁当をかき集めてきたぞ、これで今日は歓迎会だな」
「ナイスだトーゴ。新人はまだ若いみたいだし、たっぷり食うだろ」
コンビニの廃棄弁当を大量に持ってきたトーゴを見て、トーマとゴトーは喜びの声をあげる。
つい先日まで人権があった一人の人間であり、新しく種付けおじさんになってしまった新人を見ずに。
顔を俯かせ、肩を震わせる新人を心配してゴトーが手を伸ばす。
「おっ、どうした? もしかして今頃拒絶反応が出てきたのか?」
「こんなマトモじゃない生活。嫌だあああああああ!!」
だがその手を振り払い、叫びながら新人の種付けおじさんは猛スピードで大公園から走り去ってしまった。
全員が呆気に取られる中、ゴトーが一番最初に口を開く。
「おっ、おっ! 聞いたか? マトモじゃない生活だってお! 種付けおじさんなのにマトモってなんだろうな!」
陽気に笑うゴトーとは対照的に、トーマの顔は青ざめていた。
「言ってる場合かぁ! 問題起こされる前に捕まえるぞ!」
「そうは言うけど、あっちは最新世代……今から走って追いつけるのかお?」
日本の遺伝子改良研究はかなり進んでいる。
なにせ好き放題に体をいじれる種付けおじさんという産物がいるのだ。
その甲斐もあって種付けおじさんにも世代差というものが存在している。
トーマの世代ではまともな肉体と強靭さを。
ゴトーの世代は体の頑強さを調整しつつ、より嫌悪感を増す体型に。
そして最新世代はトーマの世代を上回る肉体、そしてより人間に近しい体型になることに成功した。
「兎に角、俺とゴトーで追いかける。兄弟は変電室に行ってくれ」
トーゴの提案に頷き、三人が行動を開始する。
トーマは言われた通りに大公園にある変電室に入ると、ビニール紐で編まれたマスクを被っている種付けおじさんがノートパソコンを操作していた。
「おや、どうしましたトーマさん。新人さんのお世話をしていたはずじゃ?」
「それが種付けおじさんの一日を体験させたら逃げてしまって……」
「当たり前ですよ! 何考えてんですか!?」
「う……す、すまん幾十。少しでも早く慣れてもらおうと思って……」
イクトと呼ばれた種付けおじさんは大きな溜息をつきながら新しいノートパソコンを立ち上げる。
「そ、それにゴトーはこれですぐに打ち解けたぞ!」
言い訳がましく弁明するトーマを、イクトがじと目で見る。
「思い立った瞬間に一週間警察に捕まらず50人以上の女性を襲ったバイタリティ化物の奴を指標にしないで頂きたい」
トーマが気まずそうに顔を伏せる。
なにせ種付けおじさんである自分ですら不可能な記録だ、あれを基準にしてはならないと自らを戒めた。
「後天的な子だったんでしょう? 金魚を水槽から真冬の池に放流したようなもんですよ」
「種付けおじさんって、そんなに厳しいものだったんだな……」
生まれてからずっと種付けおじさんであるトーマにとっては当たり前の生活だが、後天的な種付けおじさんにとってはいきなり最底辺の生活を強制されるようなものである。
ただでさえ人権だけではなく、元の名前にそれに順ずる記憶を抹消され、生涯蔑まれることが約束されていることに加えて、この急転落は早々に慣れられるものではない。
「取り敢えずこっちはネットで目撃情報を集めます。トーマさんはそっちのスマホでSNSで各地の種付けおじさん達に連絡してください」
「なぁ、豊岡さんに連絡するのは駄目なのか?」
豊岡は≪種付けおじさん対応課≫の人間だ、こういった事態への対処も慣れているだろうから提案したのだが……。
「問題起こす前に駆除されるのがオチですね。それでもいいならご自由にどうぞ」
「なんか、手間ばっかり掛けさせてごめんね……」
申し訳なさそうに肩を狭めて小さく座るトーマを見て、イクトはやれやれといった感じでありながらも微笑んでフォローする。
「お気になさらずに、僕らは同じ種付けおじさんじゃないですか。さぁ、さっさと迷子の後輩を見つけて迎えにいきましょう」