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第三十七話:清算

「イクトさん……?」


 ただならぬ雰囲気を感じ、ヨシトがそちらへ体を向ける。

 いつものマスクをしていない、素顔のイクトが何処か影のある笑顔をヨシトに向けていた。


 他の種付けおじさんもマスクをしておらず、素顔を……下卑た表情というよりも、追い詰められたかのような表情を晒している。


「あ……あの、特遺隊ってのが来てるみたいで! 急いで何かしないと―――」

「ええ、存じてます。だからこうしているんです」


 イクトの自信に満ちた言葉に、ヨシトは一先ず安堵する。

 これならば、特遺隊が来ても何とか生き残れるだろうと。


「では後ろの二人も人質にして建設途中のビルまで撤退しましょう」

「―――へ?」


 突然の人質という言葉に、思わずヨシトは聞き返してしまう。


「ひ、人質ってどういう事ッスか!?」

「どういう原理かは分かりませんが、特遺隊の手によって既に百名以上の種付けおじさんが死んでいます。このまま逃げた所で彼らに追い詰められ、そして駆除される事でしょう。だから人質を使って国と取引するのです」


 ビルから出てきた時はまだ体が震えていたイクト。

 しかし、ここに来るまでの間に何人もの人質を捕まえ、あるいは抵抗する者を暴力で従わせる場面を見てきて、そして自らの手も汚してきた。

 もはや正気はわずかにしか残っておらず、その目には狂った生存本能が宿されていた。


 イクトが手で合図をすると、横に侍っていた種付けおじさん達が前に出る。

 そして二人を確保しようとして手を伸ばすのだが、ヨシトがそれを掴んで阻む。


「あ、あの! 実はこの二人はオレの知り合いっていうか、えっと……その……特別な人達で……」


 ヨシトは説得するように語り、掴んでいた種付けおじさんの手を離す。

 それに対してイクトは得心がいったように手を叩いた。


「あぁ……成る程。彼が、キミが比較される事になった原因のお兄さんなんですね」

「そ、そうッス! だから―――」

「ええ、分かっています。念願の復讐を果たしたいんですよね。好きなだけやってしまってください」


 イクトの口からは、あまりにも出るとは思えない言葉が出てきたせいで、ヨシトは言葉を失ってしまう。


「おっと、殺すのだけは後にしてください。政府と交渉する際にどうせ見せしめとして何人かは殺さないといけませんので、その時にしましょう」


 イクトの顔が歪んだ笑顔となる。

 気心が知れた仲間と合流できたからだろうか、それとも自分と同じ所まで堕ちるのが嬉しいのか、はたまた両方か。


 ヨシトはその言葉に対して、二人を守るように立つ事で返答する。


「……何をしてるのですか?」

「こ、この二人は見逃してもらえないッスか……?」


 その姿を見て、イクトはとてつもない苛立ちを覚えた。

 だが深呼吸で息を整え、穏やかにヨシトへ語りかける。


「何故ですか? 憎いのでしょう、恨んでいるんでしょう。なにせ、その男がいたせいでキミは種付けおじさんになってしまったのだから」


 まるで諭すかのようにイクトは言葉を続ける。

 それはヨシトに対してなのか、それとも自分自身に対してなのか。


「周りを見なさい。我々種付けおじさんは今まで散々虐げられてきました……ですが今日、彼らはその報いを受ける事になりました。だから、あなたも報復してもいいんですよ」


 それを聞いたヨシトは困惑しながらも、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「その……確かに種付けおじさんにヒデェ事をしてる人はいました。他の人もそれを見て知らないフリをしたり、舌打ちする奴だって……やられて当然の奴もいたッス」


 それはかつての思い出。

 自分が種付けおじさんになってこの街に来た日、自分は人権を無くしたのだと暴力で思い知らされた。

 そして、種付けおじさんになる前だった頃の自分もそれを見ても嫌悪感しか湧かなかった事を思い出した。


「だけど、違うんス。確かに親に遺伝子を疑われた、そのせいでオレは家を放火したけど……それはオレが悪いんです。この人は、何も悪くないんです」


 ヨシトの心にある兄と接する事で灯った小さな光が、進むべき道を照らしている。

 しかしそれは、光を持たないものにとっては狂気にしか写らなかった。


「悪いに決まってるでしょうが! そいつがいなければ、種付けおじさん何かにならなくてよかったんですよ!?」


 ヨシトの言葉を受け、イクトは大声をあげる。

 それもそうだ、イクトにとっては強く拒絶しなければならない言葉なのだから。


 イクトは誰かに言われて生きる道を選んで来た。

そのせいで労働環境が劣悪な中小企業に勤める事にもなった。

 どの程度劣悪なのかと言うと、プログラマー、そしてシステムエンジニアが彼一人だけという始末だ。


 来る日も来る日も作業に忙殺され、仕事の事しか考える事ができず、身体だって何度も壊した。

 だというのに給与は平社員に少しボーナスが足された程度。

 転職しようにもその時間すら与えられず、無職になれば引きこもり同様に社会のお荷物としての烙印を押される。


 そしてある日、彼は不正に関わっていそうな金の流れを見つけた。

 ここで通報すれば一躍ヒーローになるだろう、だがそこで終わりだ、何も続かない。


 会社からは腫れ物のように扱われ、転職しようとしても他の会社からは情報を流出させるかもしれないと思われ断られる事が分かりきっていた。

 だから彼は、その金の一部を自分の懐に収める事にした。


 元々表に出せないような金だ、不審がった所で詳しく追求できない。

 そしてプログラムを組んだのは彼自身だ、追及できる者も存在しない。


 そうして少しずつ、少しずつ彼は金を掠め取り、総額数億まで昇った。

 そしてある日、彼は横領した事がバレてしまった。


 彼自身は何の落ち度もなかった、ただ不正な金を受け取っていた役員が失敗した事で大規模な監査が行われ、それに引っ張られる形で逮捕されたのであった。


 この大規模な横領事件はニュースにもなった。

 だが彼が納得できなかったのはそこではない。


 実際に不正な金を受け取っていた役員達は違反者程度の罰則を与えられたにも関わらず、自分だけが犯罪者となり種付けおじさんになった事だ。


 何故自分だけが犯罪者になったのか、どうして他の奴らは犯罪者にならなかったのか。

 悪いのは、自分だけじゃなかったはずだ!

 人に言われるがままに生きていたからこそ、彼は過ちを他者のせいにする術しか知らなかった。


 だからイクトにとって、ヨシトの振る舞いはこれまでの自分が否定したかのようなショックがあった。


「……ヨシト君、その人達に復讐しなさい」


 冷たい声色でイクトは語りかける。

 ヨシトは今までに見た事のないイクトの姿を恐れたが、それでも首を横に振った。


「なら退きなさい、私がやります」


 ヨシトはまた首を横に振る。

 そしてその顔をイクトが殴りつけた。


「退きなさい、いいですね?」

「駄目ッス……これだけは、絶対に譲れねぇッス!」


 ヨシトは瞳に涙を溜めながら吼えた。

 イクトの両脇にいた種付けおじさん達がその気迫に怯む。

 だがイクトは構わず二度殴った。


 もしもヨシトが本気で抵抗するならば、ヨシトはイクトに殴り勝つどころか、イクトと同世代の種付けおじさんなら複数人が来ても何とかできる。

 それだけ最新世代の種付けおじさんは強くなっているのだ。


 だがヨシトは反撃しない。

 何故なら、同じ種付けおじさん……仲間だからだ。


 お互いに言葉はもうない。

イクトが殴り、ヨシトはそれに目で返す。


 それを何度も何度も繰り返す。

 殴る度に返される視線が、まるでナイフのようにイクトの心を突き刺す。

 痛みを我慢しているのはヨシトだというのに、イクトの方が堪えるように歯を食いしばり、また殴る。


 それをどれだけ繰り返しただろうか。

 ヨシトの雑巾で作られたマスクは既に半分以上が破れており、マスクの体を成していない。

 イクトは拳こそ痛めていないものの、肩で息をする程に疲れ切っていた。


「ハァ……ハァ……なんです……その目は……」


 ヨシトが自分の無様な醜態を哀れんでいるような目で見ていると思ったイクトが、敵意を込めて言葉を投げかける。


「……もう、いいじゃないッスか」

「何処が!?」


 イクトが最後の力を振り絞り、ヨシトの余裕そうな顔をめがけて拳を構える。

 今までは心を折る為の暴力であった、だがこれは殺意が込められたものであった。

 最早イクトにとってヨシトは、仲間ではなく邪魔な障害としか映らなかった。


「ゴトーさんが、悲しみます」


 その名前を出されたせいで、イクトの呼吸が止まった。

 ゴトー、かつて大公園で共に過ごした一員。

 よく騒ぐせいで苦手意識もあったが、れっきとした仲間であり、今はもういない。


 イクトはふと、ゴトーが残した形見分けの手袋を見る。

 かつての色は既になく、今は仲間の血で染まっていた。


 その瞬間、大通りから複数の大きな足音が迫ってきた。


「種付けおじさん確認、排除開始!」


 特遺隊の隊員達が一斉に発砲し、イクトの側にいた種付けおじさん達がまとめて地面に倒れ伏した。


「そ、そんな……」


 ピクリとも動かないかつての仲間を見て、ヨシトは大きく動揺した。

 だが特遺隊にとっては好都合であり、次の狙いを定めた。


「た、助け―――」


 誰に言ったのか、ヨシトが助けを求める。

 しかし特遺隊にその言葉は届くはずもなく、容赦なく引き金は引かれた。


 だが、その言葉は確かに届いた。

 

「……私の人生………最後まで、こんなんですか……」


 イクトの兄よりも速く、ヨシトを庇うように立ち塞がり、そしてそのまま倒れて満足そうな顔をしながら息を引き取った。

 狂気に呑まれてしまったイクトだったが、最後の最後に、わずかに残った正気を呼び起こしたのであった。


 突然の事にヨシトは膝を折り、呆然とする。

 そして特遺隊は最後の一体に銃口を向けた。


「待て、待ってくれ!」


 そこでヨシトを守るように、兄が立ち塞がる。


「こ、こいつは俺の弟なんだ! 悪い種付けおじさんなんかじゃないんだ! だから撃たないでくれ!」


 特遺隊の一人が引き金に指をかける。

 対欠損遺伝子ガス弾ならば一般人に当たっても死にはしない。

 もちろん痛いだけで済むようなものでもないが、それでも構わずに撃つ事はできた。


 だが、彼らはそのまま踵を返して大通りへと戻って行ってしまった。

 既に動けない種付けおじさんを排除する為に一般人を強制的に排除する事に労力を割く事よりも、今もなお暴れている種付けおじさんを排除する方を優先したのだ。


 大きな足音が遠くへ行き、ヨシトの兄は肩を撫で下ろした。


「はぁ~、助かって良かった……って、何処に行くつもりだ?」


 ヨシトは立ち上がり、イクトの懐を探る。

 スーツのポケットにはイクトが愛用していたマスクがあり、それを大事にズボンのポケットに入れる。


「何処も何も、オレがあんたと一緒に行けるわけないでしょう」


 そう言ってヨシトは背を向けて歩き出す。

 男はそれを引き止めるように訴えかける。


「なんでだよ■■、俺達は家族じゃないか! お前を助けたいんだ!」


 かつての名前……それを聞いても、もうヨシトの頭に痛みは走らなかった。

 過去の因縁を清算し、克服したヨシトにとって、その名前はもう自身を縛るものではない。


 ヨシトはボロボロになった自分のマスクを捨て、ポケットからゴトーのマスクを取り出してそれを被る。


「違ぇよ。オレは……種付けおじさんなんだ」


 そう言って、フラつく足を何とか動かしながらヨシトは男から背を向けて歩き出した。

 種付けおじさんは光の当たる場所には出てはならない。

 だから かつて血の繋がりがあった男の場所から、最後まで仲間だったものの場所から離れた。


 こうしてヨシトは、本当の意味で種付けおじさんに成ったのであった。

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