第三十六話:邂逅を果たしたもの
街で響き渡る悲鳴と、銃声と、そして断末魔が空島事務所まで届く。
事務所から見える大通りでは人々が逃げ惑っており、何人かは種付けおじさん達に捕まってしまっていた。
ヨシトはそれを事務所から見ていた。
トーマのように助けに行く事もできず、イクトのように加わる事もしない。
ここを守るよう約束したという言い訳を自分に言い聞かせながら、その風景を眺めていた。
「ねぇねぇ、これ見てこれ……」
暗い部屋と相まって陰気な顔をしているヨシトに、夢がスマホを見せながら小声で話しかける。
『特遺隊出動!? 種付けおじさんの暴動完全鎮圧まで残り二時間』
ニュースサイトの速報に大きな見出しが掲載されており、種付けおじさんを駆除する特遺隊の画像まで掲載されていた。
「なんかよく分かんないけど、すっごいヤバイのが来てるんだって! あとはここでキャンプしてれば勝ち確だよ!」
「え~、お泊りじゃないの~?」
「せっかくお泊り会できるとおもったのに」
「おねえちゃん、そんなこわいこといわないでよ……」
はしゃぐ夢とは対照的に不満げな白井家の姉二名と怖がる弟一名だが、その心は安心したが故の強がりであった。
だがそんな彼女達のやり取りを見て、ヨシトも胸を撫で下ろした。
これで約束は守れたと、任せられた事を成し遂げられたのだと少しだけ自分に自信を持つ事ができた。
それと同時に、この後の事も考える。
種付けおじさんの暴動が発生したのだ、先ず今までどおりここに来る事はできないだろう。
今は大公園に住んでいるが、都市部から引越しをすべきだろうか。
そもそも、これから種付けおじさんがどういう扱いになるのかも分からない。
今まで通り本業があるのか、それとも都市部から排斥されるのか、もしかしたら全滅するまで駆除されるかもしれない。
ヨシトの頭には悪い事ばかりよぎり、それから意識を逸らす為に窓の外を見る。
見知らぬ大勢の人達が逃げ惑い、あるいは必死に隠れようとしている。
そこに、いるはずのない顔が見えた。
「ちょっと出てくるけど絶対に事務所から出ちゃ駄目ッスからね!」
「へぁっ!?」
夢が素っ頓狂な声を出すもそれを意に介さず、ヨシトは事務所の屋上に出て行き、壁伝いに下まで降りる。
そして大通りを挟んで向かい側の裏路地に入ると、二人の男女が肩で息をしながら座り込んでいた。
ヨシトはこの二人を知っている。
高校のクラスで一番の人気者だと言われていた女性。
家で恋人なんだと紹介された時、彼女から向けられた笑顔を見て、ひどく羨ましかった、妬んだものだ。
そして成績優秀、容姿端麗、スポーツ神経も抜群の完璧超人。
自分が与えられるはずの両親の愛を独占した男。
同じ血が流れており、今は別の遺伝子の生き物になってしまったヨシトの兄が、そこに居た。
発汗を制御できるはずなのに、急に全身から汗が吹き出る。
けれども体は凍えるような冷たさを訴え、指の一本すら動かせない。
外の喧騒が聞こえないほどに心臓の鼓動が聴覚を支配し、目は女性を庇う兄から離れなかった。
今ヨシトの頭の中には様々な考えが渦巻いている。
今、外では種付けおじさんの暴動が起きている。
つまり、今自分も同じ事をしてもバレないのだ。
―――そこでふと、疑問が出てきた。
バレないというのは誰に対してなのだろうかと。
ここでこの二人を思うがままに蹂躙したとしても、スグに事務所に戻れば他の種付けおじさんのせいにできる。
ならば迷う必要などない。
今までこの男のせいでどれだけの艱難辛苦を味わった事だろうか。
それを帳消しにする機会が訪れただけではないか。
だというのに、 彼女を庇うかつて兄と呼んだ男の姿を見るとヨシトは動けなくなる。
「ぁ……が……!」
なんとか体の自由を取り戻そうとするが、掠れた声しか出てこない。
だが男はその声を聞き、信じられないようなものを見る目でヨシトを見た。
「お、お前……もしかして、■■か!?」
その名前を聞いた瞬間、ヨシトは膝から崩れ落ちてしまった。
脳を直接ヤスリで削られたかのような激痛がヨシトを襲ったからだ。
種付けおじさんになる際に自分の名前を忘れるように記憶処置がされるが、ヨシトの場合は少し特殊であった。
漢字は違えど同じ呼び方であるせいで、自分の名前と連動している無理やり消された記憶をほじくり返そうと痛みで脳を刺激するのだ。
ヨシトはあまりの痛みに正常な判断どころか身動きすら取れなくなった。
さて、この男はヨシトの事をどう思っているのだろうか?
家を放火された事を恨んでいるのか?
それともかつて不出来であった弟が種付けおじさんになった事を蔑んでいるのだろうか?
恨みを持つ理由も復讐する権利も彼の手にあった。
動くことのできないヨシトを、近くにあった廃材で頭を何度も殴打すれば殺すことだって可能だ。
そしてそれは罪に問われる事はない。
何故なら、ヨシトは既に人権なき種付けおじさんなのだから。
「すまない……あんなに一緒にいたのに、お前の苦しさを分かってやれなくて……あんなに追い詰められてたのに、それに気付けなかった兄貴で本当にすまない……」
しかしあろうことか、男は泣きながらヨシトにしがみつき、後悔の言葉を投げかけた。
「不出来な兄貴で、お前を守ってやれなくて……何て詫びればいいのか分からなくて……本当にごめんっ!!」
違うと、ヨシトは言おうとしたが言葉が出てこない。
成績が悪かったのは自分のせいだった、兄のように人気者になれなかったのも自分のせいだった。
確かに兄と比較された事で父親が遺伝子を疑いはした、だけど兄に瑕庇など一つもなかった。
小さな頃から遊んでくれて、どんなに成績が悪くても遠ざける事もなく、どんな時でも明るく、そして自分の目指すべき光であったのだと言いたかった。
確かにヨシトの兄は周囲を照らす光であった。
ただその光があまりにも強かったせいで、父親もヨシトも、そして周囲の人間の目を眩ませてしまっただけであった。
「ち……ちが……わるいのは……本当にわるいのは、オレで……!」
かつて兄弟であった者達が、抱き合いながら嗚咽をあげる。
片方は犯罪者となり巻き込んでしまった事を、片方はそれを防げず守れなかった事を。
ヨシトは人権と共にあらゆるものを捨て去り、そこでようやく自らの罪と兄に向き合う事ができたのであった。
そんな二人に、複数の足音が近づいてくる。
獣のように野蛮なものではなく、それでいて獲物を狙う狩人のような足取りで。
「おや……誰かと思えばヨシト君じゃありませんか」
足音の正体はスーツに真っ赤な返り血がついているイクトと、種付けおじさんの集団であった。




