第二十六話:道の果てはまだ遠くに
ただ一人のアイドルによって観客全員の言葉だけではなく心まで奪われた事で、アダーラ杯は急遽終わりを告げられた。
星見の後にもまだ出番が残っていたアイドルユニットはいた。
だがそのどれもが彼女の後に舞台に昇る事ができず、棄権する事になった。
『―――続きは、次の機会で』
星見がステージから去る際に残した言葉、これは自分のワガママで感情の赴くままに歌った事による謝罪。
次こそはしっかりとアイドルの役割をこなしてみせるという意思表示。
しかし、彼女の歌を聴いた者であればそれは全く別の意味を持っていた。
それは勝利宣言。
アダーラ杯を優勝した事で手にした紅白出場権で、再び皆の前に現れるという予言
それを遮る気概を持つアイドルユニットは、あの場に存在していなかった。
そして舞台上で表彰式の準備を急ピッチで進めている間に、空島事務所のメンバーは既に駐車場で車に乗り込む所であった。
「待ってください、空島社長! 表彰式がまだ終わっていません!」
「すまないが、ウチのアイドルの体調を考慮して辞退させてもらう。本番は年末の紅白だ、万が一の事があっては大問題だろう」
それを聞き、後部座席にいた星見が小声で囁きかける。
「あの、社長……私ならまだ大丈夫ですけど」
「自覚症状がないだけだ、とにかくゆっくり休む事に集中しておけ」
嘘である。
確かにあれだけのパフォーマンスを発揮したのであれば相応の疲労はあるだろうが、無理やり休ませる程のものでもない。
空島社長が恐れている事は唯一つ、観客である。
人は自我を持つ、だから人生という闇に閉ざされた道を歩んでいける。
だが自我を持つだけでは歩く事しかできない。
右へ左へ、あちらこちらへフラフラと方向を定められずに歩み、道を踏み外す者ばかりだ。
もちろん強固な意志を持ち、真っ直ぐに突き進む者も存在している。
だがそのほとんどが道を誤り、そして堕ちて行く。
盲目的に進むだけでは駄目なのだ、自分が何処へ進むべきかを指し示す輝かしい道標こそが必要なのだ。
古代ではそれを英雄と呼び、一昔前には聖人と呼ばれていた。
星見はソレに成ってしまったのであった。
彼女には己が進む道が見えている。
その姿を見て、頼りない自我しか持たない者達が妄信して後ろから付き従う。
それは最早ファンではなく、信者だ。
そう、大勢の信者を付き従えた聖人の末路を知るからこそ、かつて伝説のアイドルが観客に刺された現場を目撃したからこそ、空島社長は一刻も早くこの場から立ち去り、信者の熱を冷めさせる必要があると判断したのだ。
空島社長は引き止めるスタッフを引き剥がし、運転席に乗り込む。
車が走り去る際、後部座席の窓が開いてそこから星見が顔を出す。
「トーマさん! また―――」
何を言おうとしたのか、風にかき消されてしまい何も聞こえなかった。
このまま車を追えば聞かせてもらえるだろうが、今はもうそのような気分ではなかった。
彼女の祈りが届いた。
今まで種付けおじさんとしての役割をこなすだけの、自我とも呼べないトーマの中に、確かな何かが宿った。
それは吹けば消えるほど弱々しい光。
だが、暗闇を晴らし道を照らす光でもあった。
そうしてトーマは熱に浮かされたような気分のまま、大公園へと帰ってきた。
いつもの集合場所にはいつもの面子が集まっていた。
「おう、兄弟。ライブは楽しかったか? こっちもそこそこ楽しかったぜ」
そう言ってトーゴはスマホを開き、動画を見せる。
種付けおじさん達に押さえ込まれる青年、悲鳴をあげる青年、くぐもった声しか出せない青年、気絶したが無理やり覚醒させられた青年……。
あまりにも一方的で、そして冒涜的な行為が記録されていた。
「これ、何人いるんだ?」
「十一人だ、結構多かったよ」
だがそれを見てもトーマの心は揺れなかった。
ただ、十一人という人数を制裁したのであれば、こちらが警察に駆除され犠牲になる数も十一という事になる。
十一……かなりの数だ。
もしかしたら自分の番かもしれないと思い、少しだけ寂しさを感じた。
「おっと安心しな、今回はべっさん達が犠牲になるみたいだ。俺らの出番はまだまだ先だよ」
トーマの気持ちを読み取ったのか、トーゴが安心させるように肩を抱く。
犠牲になる仲間に申し訳ない気持ちがありつつも、一先ずは安堵する。
「そういえば見つけるのがやけに早かったな。どうやって見つけたんだ?」
「それについては僕から説明しましょうか。彼らはゴトーを襲った後、遺品……まぁ色々と作っていた衣装とかを持ち出していたんですよ。そしてそれをSNSで自慢してたんで、一発で捕捉しました」
「そんな事でかぁ……」
イクトの説明を聞き、トーマは大きな溜息を吐く。
彼らはゴトーを殺した事で全て終わったと勘違いしてしまった。
そんなあまりにも短慮であり、思慮を感じさせない行動を取る彼らに殺されたゴトーに同情した。
「で……だ。ゴトーの私物は全部回収してきたから、これから形見分けすっぞ」
そう言ってトーゴが後ろに置いておいたダンボール箱を四人の中央に置いて開ける。
今回の件に協力してくれた種付けおじさんに分けたこともあり、中にはあまり多くは残っていなかった。
「あの、オレは別にいいッス。このジャケットを貰っておいて、何も返せなかったンすから……」
ヨシトは輪から外れるように一歩外に離れる。
しかしそんな事おかまいなしにトーゴはダンボール箱から取り出したゴトーの皮製マスクを投げつけた。
「んじゃお前はソレな。んで残りはっと……」
「いやいや、ちょっと待ってくれッス! マスクって、ほら、種付けおじさんにとって大事な物ッスよね!? そんな、ゴトーさんの大事な物をオレが貰うわけには―――」
ヨシトがマスクを付き返そうとするが、トーゴはそれを無理やり押し込んでヨシトに持たせた。
「気にすんな新入り、別にマスクなんざ変えたい奴は変えてる。ただ、頻繁に変えると名前を覚えてもらえねぇから長く使ってる奴が多いだけだ。まぁそれは予備として持っとけ」
有無を言わさない言葉にヨシトは渋々とマスクを見つめ、握り締める。
そして何かを納得したように、ゴトーのマスクを大切にジャケットの内ポケットに仕舞った。
「そんで残りはスーツ、ハンカチ、皮手袋……俺、スーツ貰っていいか?」
トーマとイクトはファッションへの興味が薄い為、無言で頷く。
「それじゃあそろそろ寒くなりますし、僕は皮手袋がいいんですが、どうですか?」
「ああ、イクトはパソコンで手を使うからな。こっちはハンカチでいい」
こうしてゴトーの形見分けは終わった。
それぞれが持ち場に帰ろうとする際、トーゴがトーマに声を掛けてきた。
「ゴトーの死骸を片付けるときに使ったお前さんのスーツ、頑張ってはみたが汚れが結構残っちまった。どうする、新しいのでも探してみるか?」
「あぁ、気にしないでくれ。折角ゴトーが作ってくれたスーツだ、着れなくなるまで使わせてもらうさ」
そう言ってトーゴからまだ少し湿っているスーツの上着を受け取る。
ざっと見てみたが、所々に血痕が残っていた。
「そういや知ってるか、兄弟? 昔、どっかの聖人を処刑した時にたまたまその血が目に入った奴がいたんだが、そいつの視力が戻ったらしい。もしかしたら、ゴトーの血にもなんかあるのかもな」
「フッ……ゴトーは聖なる人というよりも、性に奔放なだけだったろ?」
「そもそも種付けおじさんだったしな!」
お互いに軽口を叩いて笑いあい、寝床へと戻っていった。
トーマにとってこの数日間は本当に夢のようであり、幻想的なものであった。
しかし夢はいつか醒めるものである。
寝て、明日を迎えればまた同じ日々が繰り返される毎日がやってくる。
そうなればもう道が交わる事はない。
輝かしき光の当たる道と、暗澹とした暗き道で別たれたのだから
だから、壮大な夢物語はこれでお終い。
この思い出だけを胸にし、死ぬまで生きるだけの暮らしが待っている。
―――トーマはそう思っていた。
だが違う、分岐路はもっと前にあった。
トーマだけではない、星見達だけでもない。
一個体の種付けおじさんが行ってしまった人助けが、もっと多くの道を狂わせてしまったのだ。
曲がった道は、混ざり合った道は、差別も区別もなく、大勢の命を飲み込もうとしていた。




