第二十二話:期待の先にあるもの
アダーラ杯決勝戦、会場の外には大勢の観客が長蛇の列をなしていた。
新人アイドルしか出てこないのだから期待するだけ損という意見がネット上で散見されていたが、この人数を見ればそれがチケットを手に入れる為の工作活動だったという事は明らかであった。
会場の裏手では様々な機材の搬入や関係者が出入りする中、隅っこに異質な集団が存在していた。
「どうして本番当日にこうなるのか……」
「うぅ、ごめんなしゃ~い……」
空島社長が大きく溜息をつき、ジャージ姿の夢がしょぼくれながら指をツンツンとしている。
そんな夢のお腹を星見がつまむ。
「まさか昼飯の食いすぎで衣装調整が入るだなんて、予想外だったよ」
「だって、だって! いっぱい動くならいっぱい食べておかないとエネルギーが切れちゃうじゃんかよぉ~!」
ゴトーは衣装を完璧に仕上げてみせた。
仕上げたが故に、少しの誤差でそれが崩れてしまうのだ。
崩れてしまったのならば、また積まねばならない。
その為にゴトーは夢の衣装を抱えて仕事道具がある大公園まで走っている所だ。
出番まではまだ一時間あるが、ゴトーが出て行ってからすでに三十分が経過しており、そろそろ戻ってこないとおかしい時間である。
「イクト、連絡はどうだ?」
「駄目ですね、電源を切ってるみたいです」
トーマが不安そうにソワソワとしているせいで、イクトやヨシトにもそれが伝播してしまっている。
唯一落ち着いているのは、トーマのタバコを吸っているトーゴくらいだ。
「トーゴ、あんまり吸われるとこっちの分が……」
「別にいいじゃねぇか、兄弟。このまま本業がなけりゃタバコが湿気っちまう」
あと三本しか入っていないタバコの箱を振りながら、トーゴがそう答える。
トーマにとってタバコは自らに課したルールの一つだ。
種付けおじさんは役所からの取引によって、更正を促す為に未成年を襲う事がある。
もちろんそれはフリであり、未遂のようなものだ。
そう、未遂という罪をおかしているのだ。
これが犯罪者相手であれば未遂と言わず本気で襲う事だろう。
だが相手はせいぜい違反者程度の未成年である。
種付けおじさんに人権はない、故にそれを裁く法もない。
だが、それではあまりにも不平等である。
だからトーマはそういった罪を感じる度にタバコを一本吸う。
タバコの味は分からない、ただ健康に悪いという一点で、わずかでも自らの寿命を減らす事でつりあいを取ろうとしているのだ。
トーゴがそれを知ってるからこそ、タバコを勝手に吸っている事をトーマは知らない。
トーゴもそれを言う事はないだろう。
「それにしても遅いな。迎えに行くか」
「そうですね、このまま衣装が間に合わなかったら今までの苦労が水の泡ですし」
「もし女を襲ってたらやべぇからな。もしもの時は俺ら全員で止めてやるぞ」
トーマやイクトの不安を解消する為に、トーゴもやれやれといった感じでタバコの火を手で揉み消し、軽く背伸びをする。
「もしも間に合いそうにもない時は連絡するように。その時は残念だが夢を外して本番に挑む」
「ふえぇ~~!? そ、そんなぁ! お願いだよ、ぼくの為にも衣装持ってきてぇ~!」
一人だけ衣装のコンセプトが違えば観客と審査員が違和感を感じてしまい、主役である星見よりも目立つ事を避ける為の最終手段なのだが、人一倍苦労してトレーニングしてきた夢からすれば、念願の舞台から遠ざけられるのはあまりにもあまりな仕打ちだろう。
「私達の本当の実力を見せる為にも、夢ちゃんの衣装が必要です。すみませんが、よろしくお願いしますね」
星見がそう言って頭を下げると、白井三姉妹もそれを真似する。
「ゴトーちゃんのお迎え」
「よろしくー」
「お願いします」
そうして空島事務所の皆に見送られ、トーマ達は大公園へと向かう。
大公園に向かう途中、トーマの頭の中にはアダーラ杯の事しかなかった。
この二週間、種付けおじさんとアイドルという、絶対に交わる事の無い境界線が交差した事で、まるでファンタジーのような日常であった。
ヨシトはなんだかんだ言いながらも、種付けおじさんだけではなく事務所の人達にも褒められた事で料理に自信を持てるようになった。
ゴトーは今までよりも趣味に没頭できるようになった。
かつて有名ブランド会社で働いていた頃のように、デザインに対する熱意を取り戻した。
トーゴとイクトはかつての空気を思い出したのか、空島事務所に様子を見に来た時には懐かしい顔をしていた。
そして一番大きな変化といえばトーマだろう。
いつもの報われないはずの、日常の延長線上にあった人助け。
そこから生涯の叶う筈のなかった夢が叶った。
更にアイドルの住む世界に迷い込んでしまい、困惑しながらも今までとは違う日常に心が躍った。
そしてその日、本物を目にした。
星見の踊りを、歌を、一つの完成された本物を見出した。
新たなる価値観、新たなる感覚、そして埋められ踏み固められた地面からわずかに出てきた子供心と憧れ。
彼女と同じステージに立とうという気持ちはない。
ただ、子供がヒーローの真似するように、トーマはダンスの練習をしていた。
何も無い日常、そこにまた一つ新たな習慣が加わった。
世はすべてこともなし。
それこそが種付けおじさんの生涯であると知りつつも、トーマは何かが変わる日常を望んでしまった。
皆が力を合わせた結果はどうなるのか、彼女達が見せる本物とはどういうものなのか、大会が終わった後、また再び道が重なる日があるのだろうか。
トーマは未知の未来を期待してしまった、だから忘れていた。
種付けおじさんとは、この世界でどういったものだったのかを。
大公園に到着する。
ゴトーを探しに、彼の住処に向かう。
荷物は散乱しており、辺りには血の絨毯と臭いが広がっていた。
ゴトー自慢の白いスーツが、趣味の悪い赤黒い何かで汚れていた。
最悪の……それでいて種付けおじさんであれば珍しくもない結末が、そこに残されていた。




