第十九話:かつて天で輝いていたもの
「本物」を見てからというもの、トーマの心はここにあらずといったと感じになっており、大公園へ帰ってからも仲間達から心配されるほどであった。
「あの、トーマさん……? 味はどうッスか?」
「んっ? あぁ、美味いよ。うん、ありがとう」
温かいものを食べた経験がないという事からヨシトは鍋と食材を用意しておでんを作りそれを皆でつついていたのだが、トーマだけ箸の進みが遅い事に不安を感じていた。
「やっぱカラシとか必要ッスかね」
「いや、そういうのじゃないだろ。マジでどうしたんだよ兄弟」
トーゴとヨシトは心配そうにするが、トーマの頭の中には星見の事しかなかった。
惚れた腫れたというものであれば簡単だったろう。
しかし実際は新たな文化の目覚め、今まで見えていなかったものが、存在していなかったはずのものが知覚できてしまった。
文字通り、世界が違って見えているのである。
だからこそトーマは気にかけていた。
レッスン室で見た彼女達のパフォーマンスは自らの閉じた目を開かせたものだが、あれはまだ練習している状態なのである。
ならば本番は……本気の彼女達はどれほどのものになるのだろうかと。
空島社長は衣装について懸念していた。
ならばそれを何とかできれば、最高のステージになるかもしれないとトーマは考えた。
「……ゴトー、女物の衣装って得意か?」
それを聞いてゴトー以外が思わず口に含んでいたおでんを噴出した。
「おいおい、もしかして女装にでも目覚めたのかお~?」
「いや、違うって。空島事務所の社長さんが頼んでいた衣装が途中で放り出されたみたいでな。もしかしたら、ゴトーの趣味が役に立つかなと思ってな」
それを聞き、ヨシトは口元を拭わないまま興奮した状態でトーマに迫る。
「空島事務所ってもしかしてアイドルの星見 透が所属してるあの空島事務所ッスか!?」
「あ、あぁ……知ってるのか?」
「当たり前ッスよ! 半年前、突如アイドル界に現れた新星! たった一度の路上パフォーマンスで数万人のファンを獲得! しかもその場に元トップアイドルの高嶺 望がいた事から、伝説を引き継ぐとまで言われてるッス!」
ヨシトが譲って貰ったばかりのスマホを操作してその時の動画を見せ付ける。
あまりの熱にその場にいた全員が少したじろぐが、少し前まで一般人であるヨシトが言うからこそ、彼女の凄さがよく分かった
「な~るほどな。トーマとヨシトがお熱になるのも納得ってもんだお」
ゴトーが動画を見て舌なめずりをする。
知らない誰かが見ればよからぬことを考えていると思うだろうが、もう何年も共に過ごしてきたトーマ達はゴトーの本気の仕草だという事を理解していた。
そうして翌日、空島事務所へ何か妨害を仕掛けようとしていた者達が一斉に逃げ出した。
なにせ現場に五体の種付けおじさんがやってきたのだ、心にやましいことがある者なら特に近寄りたくない現場だ。
そんな地獄のような事務所の二階オフィスに種付けおじさんとアイドル、そして社長に元アイドルという如何わしい組み合わせが揃っていた。
トーマで慣れたとはいえ、夢は部屋の隅で高嶺と一緒に小動物のように震えている。
白井三姉妹は種付けおじさんの恐ろしさを実感してないせいか、興味深そうにヨシトとイクトの周囲を走ったりマスクを引っ張ったりしている。
ソファには星見と空島社長が座っており、対面にはトーマ、トーゴ、ゴトーがいた。
「……これ全員が元衣装デザイナーなのか?」
「すみません、皮のマスクをしているゴトーだけでも良かったんですが、他の仲間も興味があるという事で付いて来てしまって」
空島社長の鋭い視線を受け、トーマが気まずそうに顔を逸らす。
トーマは先天的な種付けおじさんであり嘘がつけない、それが悪い方向に働いてしまったのだ。
「おいおい、兄弟。こんなツテがあったなら教えてくれても良かったじゃねぇか」
空島社長が醸し出している不機嫌なオーラなどお構いなしにトーゴが愉快そうにトーマの肩を叩く。
「種付けおじさんにこんな事を言っても無駄かもしれんが、アポイントメントもなしにいきなり大勢で押しかける事は失礼だと覚えておきたまえ」
空島社長の苦言でトーマは益々体を縮こませる。
だがそれを黙ってやりすごせるトーゴではなかった。
「他にもマスクをして人と会うとかもな。こうやってちゃんと外さねぇと!」
そう言ってトーゴは木の皮で出来た自身のマスクを外して素顔を晒す。
「ピィッ!?」
白井三姉妹は咄嗟にヨシトとイクトが手で顔を隠したので見えなかったが、部屋の隅で震えていた夢と高嶺が小さな悲鳴をあげる。
空島社長は悲鳴こそあげなかったが、わずかに身体を震わせてしまった。
「トーマさんのご兄弟だからですかね。顔が少し似ています」
唯一、星見だけがその顔を正面から見つめ返していた。
嫌悪感も、敵意もなく、本当にただ真っ直ぐにトーゴに語りかけた。
自身の顔を見られても期待していた反応を得られなかったせいか、トーゴは小さく舌打ちをしてマスクを被りなおす。
「そ、それで! こいつが私の言っていたゴトーで、今流行してる服をデザインした事もあるんですよ!」
事務所内に変な空気が流れそうになっていたのを察知し、トーマが無理やりゴトーを紹介する。
ようやく出番が来たのかと不適な笑みを浮かべてゴトーが体を前にのりだす。
「ちなみに、ここにいるやつらの服も全部俺が手がけてる。分かる奴が見れば分かるお?」
自信満々にいうゴトーに不信感を向けながら、空島社長が種付けおじさん達の服装をチェックする。
マスクは別として、確かにその服装のセンスについては認めるものがある。
しかしそれだけではまだ納得ができないようで、綺麗な箱から一つの衣装を取り出した。
「一つ質問させてもらおう。ここに彼女達が本番で着るはずだった衣装がある、この衣装の未完成な―――」
「袖と背面への刺繍」
素人が見れば完成品だと思われる華美なステージ衣装、その衣装の未完成な部分を指摘しろと言うつもりであったが、そう言うよりも早くゴトーは答えてみせた。
「つうか、これも妥協した末での作品じゃねぇかお?」
それどころか、プロが手がけた作品を妥協した物であると言ってみせた。
「ほぅ……何の根拠があってそう言う?」
「色合いがな、おかしな混じり方してんだお。多分、AパートとBパートで歌い手の印象を変えたかった。だけど歌ってる最中に着替えることが難しいから、何とか一着にまとめようとした、だから色にチグハグな混じりが出ちまってる」
一つの道を究めることで、他の道に通ずることがある。
ゴトーはまさしくそうだった。
一着の衣装を見ただけでどういう理由で使われるのか、どうしてそうなったか、どうしたかったのを解いてみせた。
「……どうやら、私が想像するよりも遥かに実力があったようだな。トーマ、感謝しよう」
流石にここまで言い当てられては空島社長も認めるしかない。
意地を張ってここで追い返せば、衣装を使いまわすことになる。
アイドルの夢を背負っている空島社長にとって、それだけは耐え難いものであった。
「ちなみに、俺ならそれを解決できるって言ったらどうするお?」
ゴトーはそう言ってヨシトを手招きする。
何か分からないままヨシトが近づくと、突然懐に手を突っ込まれる。
「ちょっ、いきなり何するンすか!?」
「いいからちょっと大人しくしてろ!」
ゴトーは暴れるヨシトを押さえつけながら、ジャケットの裏側にあるチャックのいくつかを下ろし、更に襟の後ろにある紐を引っ張る。
するとヨシトが着ていたジャケットの表面にあったカギのような模様が開き、そこからいくつもの線が繋ぎ合わされ、星図のようになった。
あまりにも予想外なギミックとその星図を模した刺繍の輝きに、その場にいた全員が感嘆の声を漏らす。
「着替える時間がない? なら一着にまとめちまえばいいんだよ」
種付けおじさんに堕ちた星は、今もまだその光を失わず輝きを増していた。




