第十八話:新しき一歩
空島事務所から戻ってから数日後、トーマに一つの日常が加わった。
時間に余裕ができれば事務所に赴くだけではあるが、今まで味わった事のない経験であった。
アイドルの護衛をする種付けおじさんなぞ前代未聞だから当然である。
最初はトーマも見守るだけだと思っていたのだが、付近で事務所の中を撮影しようとする人物や郵便受けを漁る者、勝手に入ろうとする者など招かれざる訪問客に退屈する暇がなかった。
「ほとんどは他事務所が雇った人員だろう。アダーラ杯の優勝賞品である紅白の出場権にはそれだけの価値があるものだ」
空島社長がそんな事を言っていたのを思い出す。
アダーラ杯、デビュー一年未満の新人アイドルだけが出場できる大会。
アイドルとして成功できるのは一握りの子だけ。
そして成功できるのは大きな仕事を分捕ってこれる大きな事務所に所属しているアイドルだけ。
だからこそ一人の大物業界人が開催したこのアダーラ杯は、小さな事務所にとって大きなチャンスなのだ。
大手の事務所が多くのアイドルを抱えようとも、それを凌駕する唯一つの原石を見つけ出せれば勝てる希望の光。
その光を手にする為ならば、なりふり構わない手段をとる所も多くある。
「今更キャンセルだと!? アダーラ杯まであと二週間しか……違約金を多めに払う? そんな事どうでも―――」
事務所の二階で電話をしていた空島社長が大声を出したのに驚いたのか、その場にいた全員が注目する。
ソファで日課のアイドルのSNS巡りをしていた夢が、困った顔をしていた高嶺に尋ねた。
「ねぇねぇ高嶺さん、社長どうしちゃったの?」
「実は衣装デザインを頼んでいた所から急に連絡が来て……」
しばらく空島社長が大きな声で抗議していたが、どうにもならないと諦めたのか、大きな溜息をついて電話を切る。
「最悪だ。アダーラ杯の新曲発表で使う為に発注していた衣装が今更になってキャンセルになった」
うなだれる空島社長を見て、白井姉妹が心配そうにしながらも励まそうとする。
「だいじょうぶだよ、社長」
「まえの衣装でも、ちゃんとやれるよ」
「ま、まかせてくださいっ!」
本番用の衣装を楽しみにしていただろうに、それをおくびにも出さない子供達を見て、空島社長は自らの頬をはたいて気合を入れる。
「折角の晴れ舞台だというのに妥協してどうする。幸い製作途中の衣装は送るらしい。私は引継ぎができる所を探してくる、お前達は気にせずレッスンに集中していろ」
大きな予定変更を強いられたにも関わらず、大胆不敵に笑った空島社長はそのまま荷物を持って出て行った。
「えっと、皆さんレッスンしましょうか!」
身体を動かせば暗い気持ちも発散できるかもしれないと思い、高嶺は三姉妹と夢を三階に連れて行く。
トーマも二階で待っていてもしかたない為についていくが、屈強な肉体である種付けおじさんが付いてくるのを見て高嶺は小さな悲鳴をあげた。
トーマ以外の全員がジャージに着替え、ダンスの振り付けを確認していく。
今でこそ事務員として雇われている側面もあるものの、元トップアイドルであった高嶺の指導は的確なものであった。
全員の動きを見ながらタイミングをズレた箇所や不自然な箇所をチェックして指導していく。
文化というものをほとんど身に付けていないトーマからすれば、音と動きが合わさっているだけのようにしか見えないが、それでも一心不乱に努力する彼女達を見ていると温かな気持ちが湧いてきた。
種付けおじさんには成功という二文字はない。
どれだけ仕事をこなそうと賞賛されることはなく、副業で金を稼いでも使う場所がなく意味もない。
それを紛らわせる為か、トーマは普通に憧れて人助けを行っているが、それは未来へ続く積み重ねではなく、今を維持するだけの行為である。
種付けおじさんには、無為な生しか許されていない。
だからトーマは、希望を携えて未来へ向かう彼女達が好きだった。
レッスンを始めて一時間、指導にも熱が入ってきたのか高嶺は三姉妹に付きっ切りで指導する。
フリーになった夢が休憩の為に部屋の隅に移動しようとトーマの隣……から数メートル離れた場所に座る。
トーマ自身は何かするつもりは一切ないのだが、警戒しているのかチラチラと見てくる。
「あー……、夢ちゃんさんは凄いですね。ダンスの振り付けもそうですが、呼吸もピッタリでしたよ」
以前、星見が「女性は褒められると嬉しくなる」という言葉を思い出して、嘘ではない言葉を必死に選んでみた。
「い、いやぁ~それほどでも~~? これでもアイ活一筋で五年はやってるし~~!」
今までずっと引きこもりだったこともあり、「無理しなくてもいい」という優しい言葉ばかりかけられていたが、褒められるという事が一切なかった事でいとも簡単に警戒心を解いた。
「推しと同じダンスがしたくて引きこもってた時に沢山練習したからね~。今じゃ何回かやったら完璧に真似できるようになっちゃった」
そう言って彼女は他のダンスの動きもテキパキと見せる。
好きと言う気持ちは人の成長に大きな影響を及ぼす。
最初こそ逃避の手段としてアイドルを追いかけていたが、いつしかその気持ちは本物になり、そして彼女はここまで駆け上がったのであった。
なお、彼女がここの事務所に採用されたのはダンスの才能を見出されたわけではなく、大仰なリアクションやセンスを買われたからであり、空島社長としてはバラエティアイドルを目指させるつもりであった。
「ねぇねぇ、そういえば種付けおじさんって踊れるの?」
「さぁ……やった事もないなぁ」
見よう見まねではあるが、音楽に合わせてトーマもダンスに挑戦してみる。
肉体としてはまだ全盛期である為、動きそのものキレには全く問題がないように見える。
しかし―――。
「う~ん……なんか不自然!」
逃避してただそれだけを見続けてきた彼女の目を誤魔化せる程ではなかった。
「種付けおじさんがアイドルの振り付けをするのがそもそもの問題な気もする!」
一応、女性らしさや仕草は含まれていない振り付けなのだが、今までこういった文化に触れてこなかったトーマには難しいものであった。
「そうだ! こういうのはどう!?」
そう言って彼女はスマホで動画を見せてきた。
インド映画のワンシーンではあるものの、その動きは激しく真似しようとすれば膝を痛めるだろうという事が分かる程のものであった。
「インドってほんと凄いよねぇ、真似しようとしたら胸が千切れるかと思ったもん」
荒々しく、それでいて洗練されたその動きを見てトーマも真似してみる。
今まで自分の思うとおりに体を動かせていたにも関わらず、その動きの所作は到底動画のものには及ばなかった。
高嶺さんと三姉妹はまだ個別にレッスンをしている。
特にやることもなかったトーマと夢は夢中になってインドのダンスを練習した。
それから頑張りすぎて夢が虫の息になった頃、学校での用事を終わらせた星見がレッスン室に入ってきた。
「……何してるんですか?」
「いや、ちょっとダンスの練習を」
急に気恥ずかしくなったトーマは動きを止め、再び部屋の隅に移動する。
その姿がまるで子供のようだと感じた星見は、その肉体とのギャップにクスリと笑う。
「見本になるかどうか分かりませんけど」
そう言って星見は学生服のまま、音楽に合わせて動き出した。
新曲の振り付けが完成してからまだ一週間しか経過していないにも関わらず、その動きは完成されていた。
その証拠に、床にへばりついていた夢が倒れたまま嗚咽をあげている。
そしてトーマもその動きに見入っていた。
ダンスというものは音と踊り、それをいかに合わせるかというものだと思っていたが、彼女の動きを見てそれが誤りだと気づいた。
片方が片方に合わせるのではない。
文字通り、二つが一つになったそれは芸術の域を超えており、文化的なものを認識できなかったトーマにとってソレは、新しい目覚めでもあった。
「―――これが、本物」
感情も肉体も思うがままに制御できる種付けおじさんであっても、無意識にそう呟いてしまうほどの原石がそこにあった。




