第十六話:嘘をうばわれたもの
「挨拶は人の基本でありながら、アイドルの武器でもある。お前達も練習だと思ってやってみろ」
空島社長は大駆 夢が被っていたクッションを無理やり剥ぎ取り、ソファに行儀よく座らせる。
そのせいで彼女はトーマと真正面から向かい合う事になる。
引きこもりだった時に家に侵入し、衣服を剥ぎ取られ警察が来なければ辱められる所だった種付けおじさんと。
「ひぃぃいいいんん! むりむり、むりですぅ……顔見てみてくださいよぉ!」
「馬鹿者、握手会やライブにはこれのような顔をした者も多く来るのだぞ。少しは慣れ―――」
そこで空島社長がトーマを品定めするかのように視線でなぞる。
「―――これに慣れれば、本番で動揺する事はなくなるだろう。少なくとも服のセンスはこれよりも悪い奴の方が多いぞ」
それはそうだろう。
なにせ今の流行を何年も前に予見してデザイン案を出していたゴトーがコーディネートしているのだ。
種付けおじさんへと堕ちてしまってもゴトーのセンスは今もなお磨かれている。
とはいえ、どれだけ服装に気をつけたところで種付けおじさんを証明するマスクのせいで台無しだ。
「うわぁぁああん! 肝心の顔がダメじゃないですかぁ!!」
「いいからやれ。笑顔で挨拶、アイドルの基本だ」
そう言って空島社長が大駆 夢の顔を掴んでトーマの方に向かせて、無理やり笑顔を作らせる。
「…………お、おおがけ、みゅーひゃんでひゅ、きがるに、みゅーひゃんって、よんで、ね」
「……むーちゃん」
「ひぃぃいいいいん!」
トーマは言われた通りに呼んでみたが、安心させるどころか相手を怖がらせるだけであった。
流石に不憫に思ったのか、星見がトーマの隣に座りこっそり助言する。
「女の子って褒められると嬉しくなる生き物だから、頑張ってむ~ちゃんの事、褒めてあげて」
女性の扱い方どころか襲い方しか知らないトーマにはゴルディオスの結び目を解くよりも難問である。
それでも何とか知恵を絞り、喜ばれそうな台詞を紡ぎ出してみる。
「むーちゃんさんの肉付きは男の劣情を煽り、その顔は嗜虐心を刺激します。だからアイドルに向いていますよ」
「しゃちょお! たしゅけてぇ~! ぼく、種付けおじさんに狙われてりゅよぉおおお!!」
トーマからすれば女性というものはそういう役目を持つのが当たり前だと考えていた。
だからこそ、その部分を強調することが喜ばれると考えたのだが、種付けおじさんにこんな事を言われて喜ぶ女性は恐らくほとんど存在しないであろう。
「トーマおじさん、嘘でもいいからもっと常識的に褒めてあげてください」
星見の頼みだが、トーマは静かに首を横に振る。
種付けおじさんに常識を求めるのも酷ではあるのだが、それだけが理由ではない。
「それは無理だ。種付けおじさんは嘘をつけない」
「えっと、それはどういう……?」
「正確には先天的な、産まれついての種付けおじさんは嘘をつくことができないよう処置されているんだ」
種付けおじさんに人権がないのは周知の事実だ。
それはつまり種付けおじさんの赤子でも同じであり、まだ胎児の時であっても例外ではない。
母親の胎内にいる時から既に彼らは遺伝子に手を加えられている。
男になるように、醜くなるように、そして都合が良くなるように。
それは産まれてからもだ。
薬物、外科的な手法、洗脳教育……種付けおじさんとして生き、決められたように死ぬ為に。
だが、奇しくもこの処置があるからこそ種付けおじさんの言葉が保障されている。
トーマが女性を襲わせた時の話も、先天的な種付けおじさんだから役所も信じたのだ。
もしも処置されていなければ、肉体的には一般人よりも遥かに優れており、病気や怪我にも強い種付けおじさんは危険人物としてとっくの昔に処理されていた事だろう。
それでも規範から外れる種付けおじさんが出てくる。
それを克服した時、人は完全に人では無くなる時なのだろう。
とはいえ、あまり生々しい話を聞かせるわけにもいかないのでトーマは端的にかいつまんで説明する。
「嘘がつけない……ですか」
「そう、だから安心―――」
安心してほしい……そう言おうとしたのだが、星見の顔色が沈んでいるように見えてトーマは口を閉じた。
それもそうだろう。
嘘をつけない生物……誰かを騙す事も偽らない事もない生、なんと純真なのだろうか。
もしも種付けおじさんだけの国というものがあれば、少なくとも騙し合いなんてものはなく、隣人を無条件に信じられる事だろう。
だが種付けおじさんは虚構と騙し絵に彩られたこの社会に生きている。
そんな世界で嘘をつけない生き物が生きていく事はどんなに大変なのだろうか。
自分を騙す事もできないとは、どんなに苦痛だろうか。
星見には見えない。
当たり前のものばかりに囲まれて、その先にあるものが。
星見には分からない。
女として生まれたせいで、絶対に超えられない境界線があるから。
それがあまりにも悔しくて、世界が滲んでしまう。
「アイドルの涙は億千万の価値がある、そんな気軽にポロポロと零すもんじゃないよ」
そう言って空島社長が星見の目を手で覆う。
その手を星見が握り、外そうとせずそのまま手を重ねた。
「さて、それじゃあ次は三姉妹の番だね」
そう言うと実物の種付けおじさんを見て固まっていた小学生の三人組がちょこちょこと歩いてきた。
「初めまして、長女の白井 愛です!」
「初めまして、二番目の白井 恋です!」
「は……初め、まして……三番目、白井 真です……」
その三人姉妹は同じ上着に同じスカート、そして髪型のツインテールや顔まで同じなせいでほとんど判別ができなかいが、三番目の真だけはおどおどしている性格のおかげで簡単に見分けがつけられそうであった。
トーマはゴトーやイクトから教わった通りに三人と目線の高さを揃えるように膝をつき、一人ずつ挨拶する。
「初めまして、種付けおじさんのトーマです。キミが愛ちゃんで、こっちが恋ちゃん。そして最後のキミが真くん」
そのトーマの発言を聞き、全員が驚愕した。
「三人を見分けるだけなら他の者もできたが、初見で真を男と見抜けたのは初めてだ」
空島社長はトーマの観察眼に対して素直に驚嘆するが、肝心の本人にとっては当然かのような態度であった。
「まぁ、これでも種付けおじさんですので」
トーマ以外の全員が首をかしげるが、当の種付けおじさんがそう言うのであればそういう事なのだろうと納得する事になった。
「さて……入院している安鳥は省くとして、あと一人事務員がいるのだが―――おっと、丁度来たようだ」
「空島さーん、社用の車、駐車してきました。次の事務所は一階に駐車場が……ある、ところ……を……」
扉から一人のオフィススーツを着たショートヘアーの女性が入ってきたが、トーマを見た瞬間に固まってしまった。
トーマが大丈夫なのか心配して立ち上がった瞬間、そのまま意識を失い後ろへ倒れ……地面にぶつかる前に何とかトーマが腕を掴んだお陰で無事だった。
それを見て空島社長はやれやれといった感じで溜息をつく。
「そいつは高嶺 望、元トップアイドルだ。次の就職先を見つける前にアイドルを卒業した箱入りの馬鹿娘でな。男慣れもしてないせいで苦労していたようだが、種付けおじさんも駄目だったか」
むしろ種付けおじさんの方がハードルが高いだろうと思いながら、トーマは人形のように動かない彼女を抱えてソファに寝かせた。




