第十五話:花園の主
「―――ハッ、夢か!」
トラウマを発症しかけた大駆 夢が、ソファから勢いよく起き上がる。
まだ一ヶ月も通っていないが、もはや実家のように見慣れた天井。
そうだ、あの時に逃げた種付けおじさんとこんな所で出会うはずがないと自分で自分を納得させる。
「あーあ、悪い夢だった。そうだよね、ぼくはもう脱ひきこもりをしてるんだから、種付けおじさんのお嫁さんなんかにならないもんね~」
起き上がった夢はテーブルに置いてあるコーヒーに気づき、はっきり目を覚ます為にそれを手にとる。
とはいえ、まだまだ子供舌でもあるので熱いコーヒーにミルクと砂糖をたっぷり入れ、さらにガムシロップまで混ぜた。
「……それ、コーヒーの風味がなくなりませんか?」
「いーの、いーの! 風味がなくなってもコーヒーには違いないん……だ……し……」
大駆 夢はそこでようやく対面に何がいるのかを知った。
自分よりも遥かな巨体で、スーツ姿のずた袋を被った……そう、前に自分を襲った種付けおじさんが目の前にいる事に気づいたのであった。
「ひぃいいいいやぁぁあああああ!! やだやだやだやだぁああああ!!!!」
大駆 夢がコーヒーの入ったカップを上に放り投げてしまったが、トーマが咄嗟に反応してキャッチしたので誰も火傷する事はなかった。
しかし机から乗り出しているせいで、まるで目の前の彼女に迫っているようにも見えている。
「……何してるの?」
大駆 夢の後ろにあったドアから星見が入ってくる。
それが天からの味方に見えた大駆 夢は、ソファにあったクッションで頭を隠しながら星見に助けを求める。
「た、たしゅけてせんぱぁい! ぼく、このままじゃ美女と野獣になっちゃうよぉ~!」
「そのプリンセスは世界中の女の子の憧れだよ、良かったね」
そう言って星見は彼女の頭をクッション越しに撫でる。
肝心の大駆 夢はトーマの方向にお尻を突き出して小動物のように震えていた。
見る者が見れば誘っているかのように感じる事だろう。
もちろんトーマにはそういったいやらしい気持ちはない、それどころか、ここまで怯えさせたことにちょっと申し訳ない気持ちが湧いてきている。
取り敢えず星見は大駆 夢を安心させる為に隣に座り、テーブルに置いたお菓子を渡す。
それを受け取った彼女はハムスターのようにクッキーをポリポリとかじって頬を膨らませる。
トーマも一口だけと思いクッキーに手を伸ばすと、扉の外から複数の足音が聞こえてきた。
「たっだいま~! とりっち、元気だったよ~!」
先ず元気よく扉を開けて入ってきたのは小学生ほどの女の子。
部屋に入った後、種付けおじさんであるトーマを見て動きを止めてしまう。
「なんかいい匂いが……あっ、クッキー!」
次に入ってきた女の子は、最初に入ってきた子とそっくりな顔をしていた。
そしてその子もトーマを見て止まってしまう。
更に次に静かに入ってきた子……これも前の二人とそっくりな顔をしており、二人と同じように部屋に入ると固まってしまった。
「何をしている。変な所で立ち止まっていたら通行の邪魔だろう」
最後に入ってきたのはトーマよりも少しだけ年上を思わせるスーツ姿の女性であった。
ブランド物に疎いトーマであっても、その服は上等なものであると判別できるものであった。
スーツ姿の女性はクッキーを片手に固まっているトーマを見て、一呼吸置く。
そして黙ったままスマホから警察に通報しようとする。
「空島社長、待って! この種付けおじさんはあれです、前に助けてもらったっていう……」
「それで?」
社長と呼ばれたその女性は警察への連絡を止めない。
事務所の中に種付けおじさんがいるのだ、当たり前の対応である。
むしろここで絶叫しないだけ、とても肝が据わっているとも言える。
しかし、星見もそれに負けていなかった。
「安鳥プロデューサーが入院してて、今ここには男の人がいません」
「だからアタシが一緒に行動しているだろう?」
「紅白の出場権がかかったアダーラ杯が始まった後はどうしますか? 空島社長一人で皆を見られますか? また乱暴な人達が来たとき、どうするんですか?」
場の空気が張り詰める。
誰も何も言えず、そして動くこともできなかった。
『もしもし、事故ですか? それとも事件?』
空島社長の持つスマホから警察の声が聞こえる。
しかしそれに返答せず、星見に問い返す。
「だから、種付けおじさんを飼うと?」
鋭い視線が星見の瞳に突き刺さる。
だが彼女も少なからずアイドルとしてデビューして多くの人目に触れてきた、それに怯むことなく堂々と答える。
「お願いしただけです。種付けおじさんは、悪人を裁いてくれます。何かあったら助けてくれます。それは、前の事件の時に証明してくれました」
またしばらくの沈黙。
スマホからは警察が不信がる声が聞こえてくる。
「……そいつの名前は?」
「え……?」
「だから、その種付けおじさんの名前だよ」
星見がそれに答えようとするが、名前が出てこない。
必死に思い出そうとするも全く思い出せなかった。
それもそうだろう、そもそもトーマはまだ一度も名乗っていない。
スマホの番号を知られ、トーゴの事を話しはしたが、自身の事を軽んじていることもあり自分よりも他の事ばかり喋っていたのだから。
「えっと、その……」
「お前は名前も知らないクセに信用しろと言ったのか」
しどろもどろになりながら困り果てている星見を見て、空島社長は軽く噴出してしまった。
『もしもし? すぐに付近の警察官を向かわせましょうか?』
「いえ、大丈夫です。今問題は解決いたしました。貴重なお時間を使わせてしまい、申し訳ありません」
珍しく赤面して俯く星見を見た事に満足したのか、空島社長は一先ず警察に通報する事は止めにすることにしたようだ。
「それで、名前は?」
今度は星見ではなく、種付けおじさんであるトーマに向けて言う。
先ほどまでは勝手に口を挟むのは躊躇われたが、問われたのであれば答えても問題ないとトーマは判断した。
「数字の”十”に間に挟まるの”間”、十間と申します」
そう言ってビジネスマナーを知らないはずのトーマがソファから立ち上がり、恭しく頭を下げる。
これもゴトーとイクトの教育……もとい、クソなビジネスマナー漫才を見ていたお陰でもある。
トーマの所作を見て問題ないと判断したのか、彼女は小さく頷いた。
「空島 舞弥。この空島事務所の社長で、この城の主だ」
通常、種付けおじさんを見れば男はまだしも女性は恐怖や嫌悪感を現すものだ。
だから普通は女性が種付けおじさんを直視したりはしない。
しかし島社長は、マスクを付けているとはいえ自分を真っ直ぐ見て尚且つ不適な笑みを浮かべている。
今まで会った事のないタイプの女性に、トーマは少なからず苦手意識を持ってしまった。
種付けおじさんにあるまじき事態である。




