大好きだよ
舞の転院先の病院があるのは、ここから新幹線で数時間も掛かる県の、そのさらに外れにある自治体だった。
そこは決して利便な場所ではないが長期間の入院を約束してくれたそうで、経済的にゆとりのある岩水寺家では、かの地にすでに一軒家を購入済みだというのだから恐れ入った。
姉妹の母親と祖父は翠の手によりわずか二日で絆され、俺は以前と同じように、放課後には舞の病室を訪ねるという生活を送っていた。
訳あってその頻度は少しだけ低下していたのだが。
「都筑くん、本当にあっちの県の大学を受けるの?」
リンゴの皮を剥きながら翠がそう尋ねてくる。
「うん。ただし国立大に受かるのが両親との約束だけど」
もともと勉強が出来るほうではなかったが、大学時代には塾講師の経験もある現教師の両親に毎晩教えを請い、上手くいけば一番下の学部にならば手が届きそうな予感がしないこともない程度には成績を伸ばしていた。
「あ、リンゴ剥けたよ」
「ありがとう」
受け取ったリンゴは長い耳のついたウサギ型だった。
「舞ちゃんのもここに置いておくね」
ベッド脇のテーブルの上に、紙皿に乗ったウサギが据え置かれる。
「……そうなんだ。じゃあ、私だけこっちで一人なんだ」
彼女は心底寂しそうな顔をつくると、自分の分のウサギの耳をピコピコと動かしながらため息をつく。
「どうせしょっちゅう会いに行くつもりなんでしょ?」
「あ、わかっちゃった?」
「バレバレだよ。なんたって大好きな妹と離れ離れになるんだから」
「うん。でも私、都筑くんのことも好きだよ」
「それはどうも」
「本当だよ? もしあれなら、舞ちゃんが起きるまでは私がしてあげようか?」
「してって、何を?」
彼女はリンゴを手にしていた右手を上下に振ってみせた。
「下品すぎる……」
「だって都筑くん、ずっとしてないんでしょ? さすがに妹の彼氏とエッチはできないけど、手でするくらいなら――」
「結構です」
「そう? 舞ちゃんだったらきっと怒らないと思うよ」
この姉をしてまさか本気で言っているわけではないだろうが、その双眼は爛々と輝いているように見えた。
「……本気で言ってる?」
「冗談に決まってるでしょ。だって私、処女だし」
……。
彼女とは病室でいつもこんなふうなやり取りをしていた気がする。
それもあと二日で出来なくなると思うと、色々と思うこともあった。
「……誤解を恐れずに言うけど」
「うん?」
「俺も翠さんのことが好きだよ」
自分で口にしたセリフで顔が熱くなる。
目の前にいる相手が舞であったなら、こんな時はどんなふうに返してくるだろう。
たとえば、『ありがとう。私もイツキのこと大好きだよ』とか。
それとも、『やだちょとイツキ、恥ずかしいよ』だろうか。
妹と同じ姿と思考ルーチンを持つ姉のリアクションが気になり、伏せていた顔を上げて彼女に目を向ける。
俺の正面で椅子に座りこちらを見ていた彼女は、手にしたリンゴの皮よりも更に顔を赤らめていた。
あまりに予想外だったその反応に、思わずリンゴを床に落としてしまう。
「あっ」
リノリウムの床の上に落下したウサギは無惨にもその片耳が取れてしまい、透明の血液を流しながら舞の眠るベッドの下へと滑り込んでいった。
「ごめん」
そのごめんとはリンゴを剥いてくれた彼女と、図らずも酷い目に合わせてしまったウサギの双方に対するものだった。
俺は急いで床に這いつくばると、ベッドのちょうど真ん中で静止していたウサギに手を伸ばす。
あとほんの一センチでウサギに手が届くかといった、その時だった。
「大好きだよ」
特段聞き慣れた声とセリフに、思わず動きを止めそうになる。
姉妹であるのだから声や姿が似ているのは当たり前にせよ、彼女らのそれは一卵性の双子よりもさらに近しいほどに思えた。
「妹の次にでしょ? 俺も舞の次に翠さんのことが好きだって、そう言いたかったの」
ようやく保護することに成功したウサギを手にベッドの下から這い出ると、再び彼女の方に顔を向ける。
彼女は十数秒前にもそうだったように、顔全体を真っ赤に染めたままでいた。
ただ先ほどと違っていたのは、リンゴを持った右手を口に当てると、もともと大きな目を零れ落ちそうなほどに見開き、俺の肩のあたりを凝視していた。
ベッドの下に潜った時に何か付いたのかと自分の肩に目をやるも、特に何か変わったものを見つけることは出来なかった。
視線を三度、彼女に向ける。
すると今度はナイフを持ったままの左手が、やはり俺の左肩を指さしていた。
「え? やっぱなんかついてる?」
「……うし……ろ……」
「後ろ?」
回れ右をして体ごと後ろを向く。
「イツキ、大好きだよ」
「……」
……ああ。
「……俺も。俺も大好きだよ、舞」




