距離感
愛すべき我が担任教諭のお蔭で、財布を一切痛めること無く昼食にありつくことが出来た。
俺と南海は諸手を挙げそれを喜んだのだが、転校生である岩水寺さんは流石にバツが悪かったようで、深く首を垂れると校則から逸脱したことに対し謝罪の弁を述べた。
しかし当の先生はといえば、「お昼は他の先生がいるかもしれないから気をつけなさい。それ以外の時間ならまず大丈夫」と、実にちぐはぐ且つ的確なアドバイスまで与える始末だった。
先生に再度礼を言い店を出ると、電車通学組の俺と岩水寺さんは駅に、バス通学の南海は校門のすぐ前にあるバス停へと向かうため現地解散と相成った。
「じゃあ二人とも、また学校でね」
小走りで去って行く南海の背を見送った後、彼女と二人で駅へと向かい歩き出す。
学校の最寄り駅は町の中心部から一キロメートルほど西に位置しており、周囲にはわずかな商店こそあったが、それ以外は古い建物ばかりが疎らに配置された住宅地となっている。
自動車社会の田舎ゆえに駅の利用客は、うちの学校の生徒かこの辺りに住んでいる他校の学生がそのほとんどだった。
さらに今日に関していえば、お好み焼き屋で悠々と昼食を取っていた俺たち以外に人影は見当たらず、駅舎の中は完全に貸切状態になっている。
天井の近くにデカデカと掲げられている時刻表を見ると、次の電車まではまだ二十分ほど時間があるようだった。
広々とした待合室にある、何十年前からそこに存在しているのかわからないような黒光りする木のベンチに腰を下ろす。
このベンチというのが曲者で、一度座ってしまうと二度と立ち上がりたく無くなるような、まさか人間工学の権威が作ったのではと疑ってしまうような、そんな逸品だった。
それは彼女にも感じられたようで、俺の隣に腰を下ろすなり「え……何これすごい」とボソリと言うと、背もたれに身体を預けて大きく息を吐いていた。
しばらくの間ベンチの座り心地を堪能したあと、彼女はおもむろにバッグからスマートフォンを取り出した。
「都筑くんってこれ、使ってる?」
そう言って彼女が見せてきた画面には、海外製の有名なアプリの画面が映し出されていた。
「うん」
ポケットから自分のスマホを取り出し、アプリのホーム画面を見せる。
「お友達登録してもらってもいい?」
「もちろん」
彼女の画面を見せてもらいながらIDを入力してボタンをタップすると、数秒後には申請が通った旨を知らせるメッセージが、バイブレーションの振動とともに画面上に表示される。
出番を終えたスマホをポケットに仕舞おうとすると、再び激しい振動が新着メッセージの着信を知らせた。
それは果たして彼女からで、『今後ともどうぞよろしくお願いします』といった、やけに改まった挨拶の文字列であった。
『こちらこそどうぞよろしく』
手を伸ばせば触れることの出来るような位置にいる相手と、わざわざ電波を介して語り合うというのは、アナログ世代の大人たちから見たらどれほど愚かな行為に映ることだろう。
そんなことを考えていると、直様に返信が飛んでくる。
『都筑くんにお願いがあります』
『なんだろう?俺に出来ることなら』
『私も南海ちゃんみたいにイツキって呼んでもいいかな?』
『全然いいよ。じゃあ俺も名前で呼ばせてもらうね』
「ありがとう、イツキ」
突然耳のすぐ横で名前を呼ばれたことに驚いて、危うくスマホを取り落してしまいそうになる。
それはともかく、俺はてっきり『五月くん』とでも呼ばれるものだとばかり思っていたのだが、南海のようにというのはそういう意味だったのか。
だとすれば俺も呼び捨てで呼んだ方がいいのだろうか……。
「……」
「……」
少し悩んだあと、ものは試しとばかりに彼女の名を口にしてみる。
「……舞」
「なに?」
「……よろしく」
「うん!」
まるで打ち切りの憂き目にあった少年漫画のような急展開に戸惑っていると、遠くから遮断器が閉まるカンカンという音が聞こえてくる。
時計を見るといつの間にか電車の時間が間近に迫っていた。
昼過ぎの中途半端な時間帯の電車は空きに空いていた。
出入り口近くの適当な座席に腰を下ろすと、肩と肩が触れ合うようなすぐ隣に彼女が座る。
その距離感がよくわからない。
正直にいえば俺も男なので、彼女のような美少女と肩を並べて座ることに嫌な気がするわけはないのだが、その理由がわからぬ状況下では不安のほうが勝っていた。
聞くべきかどうか悩んだが、このまま彼女と別れれば、その機会は永久に失われてしまうことだろう。
「あの、気のせいだったらごめん」
「うん?」
言葉をしっかりと選んでからふたたび口を開く。
「さっきから距離、近くない?」
彼女は俺の発言の意味を理解すると、「ああ」と呟き手を打ち鳴らした。
「南海ちゃんが『イツキと仲良くしたければ多少強引にするといいよ』って、教えてくれたの。強引の意味がよくわからなかったから、だから自分なりに考えてみたの」
彼女はけろりとした表情でそう言った。
俺が勝手にその見た目から想像していた彼女はもっとこう、おとなしやかで奥ゆかしい女性だった。
小池先生に続いて人は見た目によらないということを痛感させられる。
彼女の家は俺の家よりも二駅向こうにあるとのことだった。
運転台の前にある精算機に定期券をかざして電車から降りると、車窓の奥に見える彼女のほうに体を向ける。
座席から立ち上がって手を振る彼女に、俺も小さく手を振って応える。
電車はゆっくりと動き出し、やがてカーブを曲がり見えなくなった。
家までの五分の距離を歩きながら、先程までの奇妙なやり取りを思い出す。
完膚なきまでにしてやられた自分の不甲斐なさに、逆に笑いがこみ上げてきた。
「……舞」
自分を打ち負かした相手の名をそっと呟く。
今朝初めて彼女を見た時に感じたものとは違った、親しみやすくて人懐こいその人物像を、俺は早くも好ましく感じ始めていた。を思い出す。
完膚なきまでにしてやられた自分の不甲斐なさに、逆に笑いがこみ上げてきた。
「……舞」
自分を打ち負かした相手の名をそっと呟く。
今朝初めて彼女を見た時に感じたものとは違った、親しみやすくて人懐こいその人物像を、俺は早くも好ましく感じ始めていた。




