恐ろしい赤色
俺は金網越しに女子テニス部の試合を観戦している。
コートでは今まさに、決勝戦が行われていた。
トーナメントを見事に勝ち上がった舞が、県内強豪校のエースを相手に激しい戦いを繰り広げている。
一進一退といった攻防が繰り広げられる最中、益体なしの俺はといえば、彼女のスコートから伸びる細くて長く、そして美しい足を眺めていた。
別に足フェチだというわけではないのだが、彼女のそれであれば床の間にでも飾って延々と……いや、永遠に鑑賞していたいとさえ思った。
相手の選手がサービスを打とうとした、その瞬間。
突然審判が笛を鳴らすと、舞を指差して警告か指示のようなものを出す。
それを受けた彼女は首を小さく縦に振りラケットを足元に置くと、こちらに向かって真っ直ぐに歩いてくる。
金網越しに相対した彼女は、おもむろに右手でスコートを捲くり上げた。
そして左手で自らの太腿をむんずと掴み、事も無げに鼠径部から足をもぎ取って、断面から大量の血液を滴らせたそれを俺の目の前に突き出した。
「――っ!」
『イツキにあげるよ。欲しかったんでしょ?』
その恐ろしい光景に目を見開いた瞬間、世界は暗転すると即座に消滅し、俺はベッドの上で身体を大きく痙攣させながら目を覚ました。
千切れんばかりの勢いで首を横に振る。
そこには舞がいた。
その長い睫毛を微かに揺らしながら、静かに寝息を立てている、舞が。
「……よかった」
それにしても、何という悪趣味な夢を見たものだろうか。
これならば空を飛んでいる最中に急に揚力を失って、頭から真っ逆さまに墜落する夢でも見たほうが遥かにマシだ。
「ごめん、舞」
彼女の黒髪に顔を近づけ口づけをすると、ベッドテーブルの上に置いてあったスマホの画面を表示する。
眩しさに目を細めながら見たロック画面には『4:44』と三つの4がデカデカと並んでおり、先ほどの悪夢の続きを見ているような嫌な気分になった。
彼女を起こさないようにそっと布団から這い出ると、訪れた時とはまったくの逆手順で自室である504号室へと戻った。
眠くなるまで窓辺の席で外に広がる夜景を見下ろしていると、とても不思議なことに気付く。
あんなことがあったばかりだったので、頭の中は当然彼女のことで一杯なのだが、そこには感情の抑揚が一切存在していなかった。
俺の心の地平には彼女のことを愛おしく思う気持ちだけが、ただ静かにどこまでも限りなく広がっていた。
それを一言で表現するならば、凪――だろうか?
今ならば、このホテルの屋上から飛び降りたとしても、舞い落ちる木の葉のようにゆっくりと地面に軟着陸出来るような、そんな万能感までも伴っており、そこには心地のよさと気持ちの悪さが同居していた。
そんなことを考えていると、東の山間から昇ってきた朝焼けが、視界に映る景色のすべてを真っ赤に染め始める。
窓から差し込むそれに触れた手が、まるで血塗られたように見え、思わず椅子から飛び退いてしまう。
そうしているうちにも赤は見る見ると世界を侵食し、俺は部屋の入り口近くまで追いやられていた。
このままでは、俺は朝焼けに殺されてしまうのではないだろうか?
彼女も赤く染め上げられてはいないだろうか?
舞の部屋のブラインドは、果たして降ろされていただろうか?
そんな得体のしれない恐怖と戦っているうちに、太陽は高度をぐんぐんと上げ、やがてその色も赤から白へと変わっていった。
自分が異常な思考に囚われてたことにようやく気付き、それと同時に全身から力が抜ける。
(俺、どうしちゃったんだ?)
もたれ掛かっていたドアにズルズルと背を擦りつけながらその場に座り込むと、そのまま目を閉じて気持ちを落ち着かせることに専念する。
三十分ほどもそうしていると、部屋の奥でモゾモゾと動く気配を感じ目を開けた。
どうやら聖が目を覚ましたようだった。
ゆっくりとベッドから起き上がった彼は、辺りをキョロキョロと見回す。
ややして部屋の隅に俺の姿を見つけたようだった。
彼は怪訝な顔をして近づいてくるやいなや、「五月、そんなとこで何やってんだ?」と、気だるそうに言葉を発した。
「寝相が悪すぎて気がついたらここで寝てた」
俺としては冗談でしかなかったのだが、どうも聖は真に受けてしまったようだった。
気の毒なものを見るような表情を浮かべると、「朝飯の時間になったら起こしてやるから布団で寝直したら?」と、実に慈悲深い言葉を掛けてくれた。
それはある意味普段通りの彼とのやり取りだったのだが、俺は親友の優しさに少しだけ感動してしまった。
自覚はなかったが、きっと疲れているのだろう。
ゆっくりと立ち上がりベッドへと向かうと、聖の言葉に甘えて少しだけ寝ることにした。
もう、怖い夢をみませんように。




