大丈夫
合宿二日目の今日は、トーナメント形式で練習試合が行われる。
それは昨日の朝の強歩に続き、やはり合宿の恒例行事であった。
8面あるコートの半分で二年生が試合をし、残りの半分では一年生が通常通りに練習をする。
これは、普段はあまりコートを使用することのできない一年生への配慮なのだそうだが、結果的に我ら二年生は日々の過酷な練習から一時解き放たれるという、ご褒美的な意味合いもあるらしい。
もっとも俺は普段からあまり練習に参加していない人間なのだったが。
試合を行う者と審判をする者以外は、基本どこで何をしていてもいいという自由っぷりだった。
例えば今の俺のように、コートから少し離れた河原の日陰に腰を掛けて、川の浅瀬を泳ぐハヤだか何かを手掴みすべく、無駄な体力を懸命に使っている聖を眺めていても、誰に文句を言われることもない。
「どうだ聖? 捕まりそうか?」
「ああ。コツは掴めたから見ててくれや」
彼は一緒にテレビゲームをしている時でも『ああはいはいそういうことね完全にわかった』などと言いながらも、何度も何度もゲームオーバーになるような男なので、魚たちの身に危険が及ぶことはないだろう。
聖がようやく自分のしていることの無益さに気付いた時、彼の下半身はもはや無事ではなかったのだが、それこそ俺の知ったところではなかった。
「聖お前、そろそろ試合の時間じゃないの?」
「えっ! もうそんな時間か!」
ビシャビシャと音を立てて走り去っていった彼の後ろには、その音にふさわしいだけの水の跡が残されていた。
これがもし夜だったり冬だったりすれば、ちょっとした都市伝説にでもなりかねないが、今こうして見ている間にでもその跡はどんどんと乾いて薄くなっていく。
ちなみにトーナメントの一回戦で敗退していた俺は、このあとの数時間本気でやることがなかった。
何ならロッジに戻って昼寝を決め込んでも良かったのだが、舞と付き合うようになって以来、彼女の殊勝さが多少なりとも伝染ってしまったようだ。
誰に請われたわけでもなかったが、一年生の練習の手伝いでもしてやろうと河原を後にする。
もっとも俺には彼らを指導するだけの技量はないで、ボレーのトス出しや球拾いなどの雑用に徹することになるだろう。
まだ夕方と呼ぶには幾らか早い、日がわずかに傾き始めたばかりの時間。
どうやら二年生の試合は終わったようで、コート脇をぞろぞろと引き上げていく同僚たちの姿が目に止まる。
そこに舞の姿を認め、練習を切り上げてテニスコートを後にする。
背後から「ありがとうございました!」と、可愛い後輩たちの声が聞こえてきた。
それに手を振って応えつつ、急いで彼女の背中を追う。
「舞!」
名を呼ばれ振り返った彼女の表情は珍しく沈んでいるように見えた。
「あ……イツキ」
「浮かない顔してるみたいだけど、なんかあった?」
表情だけではなく、その顔色も優れないように見える。
「ごめん。ちょっと疲れちゃったみたいで、熱っぽくって」
辺りを見渡してから彼女の手を握ると、明らかに平熱とは異なる温度が伝わってきた。
「確かにちょっと熱いかも。とりあえずロッジに戻ってすぐに横になりなよ。俺、先生のところで薬貰ってくるから」
「ごめんね。でも、大丈夫だから」
彼女の言葉を無視し、教員用のロッジを目指し駆け出す。
熱があるなら練習など切り上げて部屋で身体を休めろよと思ったが、彼女は基本的には優等生中の優等生だったことを思い出す。
うちの学校で彼女のそうでない部分を知っているのは俺と聖、それに南海くらいのものではないだろうか。
人に心配や迷惑を掛けたくなかったのだろうが、彼女の体調が回復したら少し叱ってやらないといけない。
ロッジの前に置かれているベンチで、他の教員と楽しそうに喋っていた池田先生の姿を見つけることができた。
事情を説明して解熱剤と、それに数枚の冷却ジェルシートを貰い受ける受ける。
先生に礼を言いながらも、足は既に舞のいるロッジの方へと向けられていた。
肩で息をしながら女子のロッジの前に辿り着く。
流石にハアハアと息を荒くして女子部員のロッジに押しかけるのはまずいので、しばしその場で息を整える。
そこに運良く同じクラスの女子部員が通りかかってくれたので、事情を説明して彼女に薬と冷却シートを託した。
「岩水寺さんも心配だけど、五月君こそ大丈夫? 汗、すっごいよ?」
それもそのはずだった。
二年の男女テニス部員で本日の運動量ナンバーワンを決めるとすれば、一年生の練習を終えてから野山を散々駆け回ってきた俺か、もしくは川で魚を追いかけ回していたあの馬鹿にその不名誉が輝くことになるだろう。
「ありがとう。俺は大丈夫」
彼女に礼を言うと、今度こそゆっくりと歩いて自分のロッジへと戻った。




