第46話 あの子とこの娘とそして君もなの? ACT 12
珈琲の甘い香りが部屋に立ち込めた。
濃い香りが洟をかぐわしく抜ける。
「お、いい香りじゃないか」
「あ、ホントね」
「うん、なんだか安らぐ気がする」
3人が店から上がってきた。
「どうしたんだ結城。珍しいじゃないか、ドリップしてるなんて」
「お疲れ様です。なんとなくですよ。飲みますか?」
「ああ、頂こうか」
「お二人は?」
ミリッツアさんと葵さんは軽くうなずいた。
「もう少し待ってくれますかあと少しなんで」
「ああ、大丈夫だ」正樹さんはそう言って、ソファに腰を落とした。
あの大きな体の背中が、見える。
大きな、そしてとても重そうな背中。彼は今までどれだけの苦難を乗り越えてきたんだろうか。
その苦難を背負い、立ち止まることなく歩み続けるその背中。
大きかった。そして似ていた。
父さんの背中と。
体格こそは違えど、その背中の大きさは正樹さんに引けを取らないと思う。
その背中を眺め、僕には……大切な人がたくさんいたんだと、改めて感じた。
「お待たせしました正樹さん。どうぞ」
「おお、ありがとう」そう言い彼はカップを持ち上げ、香りを楽しみ、珈琲を口に含んだ。
ダイニングテーブルの椅子に座るミリッツアさんと葵さんの前にも珈琲を置いた。
その背中は唸るように僕に向けてこう言った。
「うまい」と。
なんかその言葉を聞いたときほっとした気がした。今まで胸の中に詰まっていた何かがすとんと落ちたようなそんな気がした。
「ほんと美味しい。結城、あなたにこんな才能があるなんて。やっぱりあなたは太芽の子だね」
しみじみと言うミリッツアさんに正樹さんが「本当に懐かしい、こんな気持ちになったのはもう何年振りなんだろなミリッツア」
「そうねぇ――、あの時以来かしらね」
「ああ、そうだな」
あの時以来って、いつなんだろう。でもそれを僕は二人から聞こうとはしなかった。
二人とも何か遠い本当に遠い向こうを見つめているような、そんな感じがしたからだ。
「ほんと美味しいや。仕事終わりにこういうのもいいもんですね。正樹さん」
「ああ、そうだな。ありがとう結城」
「ううん、何でもないですよ。喜んでもらえればそれでいいんです」
「そうか」とそれだけを言って、正樹さんは「シャワーを浴びてくる」と言いシャワー室へと向かった。
そんな正樹さんの姿を見つめていたミリッツアさんがそっと言う。
「ありがとうね結城。あなたは……本当に、親孝行な子よ」
その意味は僕にはわからない。でも何か感じるもは伝わっていた。
それは言葉にすることは出来ないものだった。
でも……少しづつ、本当に少しづつ。何かが変わろうとしている。そんな気持ちがした。
次の日の朝。いつもより早く僕はキッチンに立っていた。
3つの弁当箱がダイニングの上に置かれている。
多分、もうじき恵美が部屋からやってくる。多分いつものようにバケットとコーヒーだけで、僕が作った朝食は口にしないと思う。
それでも、今日はこの弁当を渡そうとしている。
何故3つの弁当かって? それは恵美の分と満里奈の分。そして僕の分という訳だ。
また満里奈に弁当を取られちゃ、大変だ。昨日は本当に腹が減っていた。でも、思いがけず杉村の手料理を食べることが出来た。
そして言われた。『好きだ』と。まぁ―満里奈からも言われたけど、彼女のはなんとなく意味が違うような気がするんだよな。
「後でね」なんて言っていたけど、SNSも登録したんだけど、彼女からは何もメッセージは着信していなかった。
受け取ってもらえるかどうかも分からないこの弁当。でも保険は満里奈の分だ。
恵美のだけだと多分。いや、絶対に手は付けないだろう。
満里奈の分もあるから持って行ってくれないかと言えばどうだろう?
淡い望みをかけてみた。
いつもように恵美がやってきた。
「おはよう」とみんなに一応挨拶はするが、珈琲サーバのポットからカップに珈琲を注ぎ、それをミルクで割ってバケットをちぎりながら、急いでその珈琲で流し込んでいく。
いつもの姿だ。
「恵美」
僕から声をかけられたのを聞き彼女の顔が僕の方に向けられた。
「あのさ、弁当作ったんだけど、持って行ってくれないか。満里奈の分もあるんだよ」
「―――――満里奈の分? なんで満里奈の分もあるのよ」
「いいじゃないか、多分渡してやれば喜んでくれると思うんだけどな」
「ふぅ―ん、いつからあなた達、そんなに仲よくなっていたの?」
「べ、別にそんなんじゃないよ。とにかく持って行ってくれればいいから」
「そっかぁ、私のはついで。仕方なくついでに作ったんでしょ。材料あまちゃったんでしょ。どうせ!」
そんなことを言っていたが、何とか弁当を恵美は受け取った。
「仕方なくよ。せっかく作ったんだから、もったいないでしょ。でもこんなこともうしないでよ!」
プンとして言う恵美。
「くっぅぅ!」と葵さんが笑いを必死にこらえていた。
正樹さんもなんか神妙な顔つき、ミリッツアさんはあきれて「もう」ていう感じの顔をしていた。
そんなみんなを見て恵美は顔を赤くしながら
「何よ!」と言い、弁当を握りしめタタタタタタと玄関に向かう。
今日も朝練がある。だから僕よりも大分早く家を出る。
一緒に登校することなど今まで一度もない。
バタン! と戸が閉まる音がした。
「まったくほんと素直じゃないんだから恵美ちゃんは。でも可愛いなぁ――。本当はうれしかったくせに、あんなこといちゃって」葵さんがちょっとうらやましそうに言う。
それに続きミリッツアさんも「本当にもうぉ、ごめんね結城。素直じゃなくて」とため息をつくかのように言う。
「あ、別にいいんです。でもちゃんと持って行ってくれましたから。それでいいんです」
そう言いながら、僕も席に付き朝食を食べ始めた。
横に座る正樹さんが、ちらっと僕の方に視線を向け何か言いたげそうな顔をしていたけど、彼は何も言わなかった。
今日も一日が始まろうとしている。
昨日のことをひきづりながら……。そして、外に出て空を見上げれば。
夏が終わったことを感じさせる青空が広がっていた。




