とある聖者の昔話
今回、大分ブラッディな表現があります。
流血表現や死亡表現があります。
休日でも図書館は開いていた。サルビアさんは熱心ですねと微笑んで俺を奥の部屋に通してくれた。
1人になったのを見計らって、本を開く。
「やあ、険しい顔をして。どうしたんだい?」
クローバーはいつも通りの表情で本から現れた。
「あなたは、立派な聖者だったんですね。」
俺の言葉にわずかにクローバーの眉が上がる。
「もしかして私の出身地に行ったのかな?」
俺は頷く代わりにとある聖者の日記を机の上に置いた。
「恥ずかしいなあ。だいぶ前に書いた私の日記だね。」
クローバーは相変わらず飄々としている。
「だいぶ……昔のことなんですか?」
「そうだね。前の前の王朝より、もっと前の頃かな。」
静かな、水面を撫でるような声だった。
本当に、昔なんだろう。
「だからあなたは、そんなに穏やかなんですか?」
クローバーは俺の言葉に微笑むと首を横に振った。
「いつも世界の理不尽さには燃えるほどの怒りを。責任を放棄した神にはいつの日か断罪を。しかしこの世界を守り、愛する聖者として、今を生きるものには敬意と加護を。私の激しく醜い感情は間違っても君に向けるものじゃない。」
(ああ、彼は本当に聖者なんだ。)
俺はその言葉を聞いて、どうしても彼が聖者で、何があっても聖者にしかなれなかっただろうことが分かってしまった。
「いつだって私は、その時代の者に見る世界を広げて欲しいと思っている。与えるのは知識。育てるべきは考える力。間違っても私の思想を、その時代に生きる者に刷り込んではいけないと思っているんだ。」
それでも少し、影響は与えてしまっただろうけど。
クローバーは眉を下げて微笑んだ。
「ああ、そんなに泣きそうな顔をしないでくれ。私はすでに死んでいる。ここに残っているのは神聖魔法で作った思念だ。村に残っている教えは、怒りに狂った私の叫びだ。」
日記にはとある聖者の半生が書かれていた。
この聖者には親友で最高の相棒とも言える仲間がいた。それが勇者だった。勇者と聖者は仲間を増やして魔王を倒すために毎日戦っていた。
それでも魔王城は見つからない。日々、悪のオーラは増大し、襲ってくるモンスターは強くなっていた。大変な旅。一緒に旅をする仲間同士の絆はとても強いものだった。
「大丈夫。きっと見つかるよ。」
不安そうな顔をしていたのだろう。仲間の回復をしていた聖者に仲間の一人がそう言って笑った。彼女は魔法使いだった。両親が幼いころに亡くなり、孤児院で育った彼女は
「この旅が私の人生で一番幸せな時間だよ。」
とよく言って笑った。大変な旅でも彼女にとっては大切な仲間と過ごす、幸せな時間らしい。
聖者は世界を愛していた。
仲間も勇者も大切だった。
勇者のことを尊敬していたし、世界で一番信頼していた。
けれど違う。そのどれとも違う愛を、聖者は彼女に抱くようになった。
そう、聖者は魔法使いに恋をしていた。
けれど彼はすぐに気づく。
自分の命を預けても良いほど信頼している勇者も、彼女に恋をしていることに。
だから聖者は静かに想っているだけにした。
勇者と魔法使いが幸せになってくれれば自分も幸せだと本気で思った。
そのために魔王を倒そうと努力していた。
けれど世界は思っていたよりずっと残酷だった。
「どうして……。」
「俺は、勇者だからだよ。」
ドアを開けて、聖者は目を見開いた。
光が差し込む部屋の中で虚ろな目をした勇者がゆっくりと振り返る。顔にまで真っ赤な返り血を浴び、その口元は僅かな笑みをたたえていた。その手には血に濡れた剣が握られている。
信じていた。
世界で一番信頼できる勇者と、世界で一番恋しい魔法使い。
世界できっと、一番幸せになってくれるだろうと。
けれど、勇者は勇者だった。
「俺は、魔王を殺さないといけないんだ。ずっと……隣にいたお前だったら分かるだろう。」
聖者には分からなかった。
好きな人が魔王だったとして、それを殺せる勇者が分からなかった。
でも、勇者も人間だ。
好きな人を殺すことは耐えがたい苦痛だったのだろう。
「だから、後は任せる。」
「勇者っ。」
「もう、楽になっていいよな?」
聖者の手は、届く距離だった。
でも返り血を浴びた勇者が、あんまり辛そうに笑うから、勇者の手をとるのを躊躇ってしまった。
そして勇者の持つ剣は寸分の違いなく、その持ち主の首を突いた。
きっと他の回復魔法で回復できない傷でも回復できる聖者の力なら、そこからでも勇者を救うことはできただろう。
けれど、そうしなかった。
愛しい相手を殺した勇者に、その人がもういない世界で生きろと聖者は言えなかった。
聖者も後を追えたら幾分か楽だっただろう。
けれど、できなかった。
(私は勇者に、後を任された。)
聖者は勇者が世界で一番好きな親友で、魔法使いが世界で一番好きな恋しい人だった。
だけど同じくらい、世界の全てを愛さずにはいられなかった。
理不尽な世界を恨んでも、聖者はできるだけ誰も傷つかない方法で、世界を守ることを選んだ。
「魔法使いと勇者は、突然襲ってきた魔王を、命と引き換えに倒しました。この世界は勇者の活躍によって、悪のオーラの脅威から救われたのです。」
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