この先、平民出没注意
「じゃあ、気を付けて行ってくるんだよ。キチンと日が暮れる前には帰ってくる様に。それからそれから…………いや、やっぱり心配だ! ここは僕も一緒に行って」
「ダメです、貴方にはお仕事があるでしょう。それに彼女も付いているんですから大丈夫ですよ。――そういうわけでクロエ、ロゼッタをよろしくね」
「はい、承りました」
「――では、行ってまいります。お父様、お母様」
クロエとの相談から数日経ったある日の午前中。
ワイゼル公爵邸の正面入り口にて、私とクロエそれから両親の四人が集まっていた。といっても二人――つまり両親は見送りに来てくれただけで、実際に外に出るのは私とクロエの二人だけ。
そう――つまり私たちはクロエが最初にした提案である『平民との交流』というとてつもなく上流貴族らしくないことを今からすることになっているのです。
***―――――
ここで時刻は再び数日前に遡る。
「はいっ…!?」
クロエの口から出たその提案に思わず令嬢らしからぬ素っ頓狂な声が口から出てしまった。
それほどまでにそれは私に衝撃を与えたのだ。
「何を馬鹿なことを言ってますの…!? そんなことを上流貴族がやるなんて――」
「いや、やるわけないことをやりたいんですよね?」
私が言い終える前に苦笑しながら、クロエがそう口にする。
「~~~っ!」
まぁ、確かにその通りではあります…! 今の今まで頭の隅の隅においても、そんなこと私は一切思いつきもしなかったのですから、上流貴族がやらなそうなことという条件は十二分に満たしていると言えるでしょう。
ですが平民との交流…。ただでさえ、そうただでさえそれは全く気乗りせず、心からやりたくないしやる意味のない行為。それに加え私は、平民娘に惚れた婚約者に刺されたという前世の記憶を思い出したてほやほやなのです。
当然、すぐに「採用!」とはなりません。
むしろ、ぜひ他の案を再度提案して欲しいところです。
「…他に名案はありませんの?」
縋る様な私の言葉。
しかし、「う~ん、これに並ぶ良案はあまり思いつきませんね~」とクロエは否定した。…今微かに口元が緩んでませんでした? まるで微笑んでいるかのように…いえ気のせいですわね。クロエが笑う理由がありませんもの。
「ん~~~~~~~」
しかしそうなれば手詰まりだ。やはり生粋の上流貴族たる私にはそんな名案は浮かんでこない。
これは…どうやら覚悟を決めないといけないらしい。
ベットに背中から仰向けに倒れ、両腕を組んで唸る。そして決心した。
――あの未来に至る可能性を排除できるのなら…仕方ありませんわね。
「クロエ。もう一度言っておきますが、貴女も一緒に来てもらいますわよ」
「まぁ、それは別に構いませんけど。どっちみち流石にお嬢様を一人でお外に行かせるのは無理でしょうしね」
「そう。…ときに貴女、武術の心得などはあったりします?」
「? 一応、護身術は嗜む程度に」
「――よし。もし急に平民が殴りかかってきたり、刃物で襲い掛かってきたときには、その護身術で必ず私を守るのですわよ」
「いやいや…、お嬢様は平民の人達を獣か何かと勘違いしてらっしゃるんですか…?」
若干呆れたようにクロエがため息を吐くが、私は何も間違ってはいない。
少なくとも私の前世で一人だけ関係性のあったあの薄汚い平民娘は獣だったのですから。まぁ、獣は獣でもさかりのついたメス犬ですけれどね!
「――わかりました。なれば善は急げですわ。さっそく今週にでも、少々平民の暮らしでも見てくるといたしましょう。上流貴族らしくね」
「えっ、貴族らしく…? というか交流は?」
「それはまだレベルが高いですわ、まずは遠巻きに眺める程度です。交流に至るかは…まぁ、時と場合によりますわ」
「えー…」
***―――――
「よっと。お嬢様、お手を」
「はい」
両親と別れを済ませて、クロエの手を借り馬車の荷台へと乗り込む。まぁ別れと言っても数時間程度ですけれどね。
二人には『平民の方々の生活を見てみたいから』という嘘と本当を混ぜた様な理由で今回の件の了承を貰っている。ちなみにそれを話したときに父は何故かいたく感動しており、母は意外そうにしながらも「へぇ」と感心する様に頷いていた。
「じゃあ、出してください」
クロエが荷台から、御者へと告げる。
ちなみにこの御者はワイゼル家の専属の御者であり、馬車自体もワイゼル家の所有物である。今日は外出の予定はないからとお父様が使わせてくださったのですわ。
ヒヒンと馬が唸り、馬車が前へと進み出す。
窓からのぞく両親が段々と小さくなっていく。あーもうっ、あんなに寂しそうな顔で大きく手を振って…みっともないですわよ、お父様。が、そんな娘思いの父の姿も少しすれば見えなくなった。
「…そういえば、平民の生活を見るのなんて初めてですわね」
周囲の景色の移り変わりを見ながらポツリと呟く。
「それはそうでございましょう。ワイゼル家は敷地も広いですから、少し外で遊んだくらいでは平民の方を見かけることもないでしょうしね」
「――いえ」
「?」
前世も通して、ですわ。
それはクロエに言っても仕方がないので、口の中でだけに留めておく。
そんな私を少し不思議に思ったのであろう首をかしげたクロエだったが、「あっ、そろそろ田畑が見えてくると思いますよ」と同じく移り変わる景色を見ながらそう私に伝えてきた。
さて、私も郷愁に浸るのもこの程度にしておきましょう。
「さぁ、クロエ。いつでも迎撃できる体勢は整えておきなさい、油断するんじゃありませんわよ」
「…いやっ、ですから平民はそんなバーサーカーみたいな種族じゃないんですよっ」
私とクロエの平民交流記が始まった。