喧嘩を売りながら真剣な相談をする
クロエ・トライア。
それが私の名前。
一応貴族階級の出身ではあるものの、階級自体はその末席も末席。男爵家の三女というまぁ何とも言えない生まれだ。
そんな私は十三歳の頃――つまり二年ほど前からここ、ワイゼル公爵家にてメイドとして働かせて頂いている。何故ここで働くことになったかというと…まぁそれは今は別にいいか。
そもそもその公爵家メイドとしての生活ももう少しで終わりを迎えることになっている。何故かと言えば、今月いっぱいで私は退職する事が決まったためである。一応、奥様にもその事については伝えてある。ありがたい事に結構本気で引き留めて頂きはしたが、私の決意は固い。
そして、今の私はそんな御恩あるワイゼル公爵家に仕えるメイドを辞めるに至った大まかな原因たる人物の部屋へと向かっていた。
なんか昨日急にぶっ倒れたと思ったら、何か今日急に呼び出しを食らったのだ。
あ~、なんだろ? 愚痴かな、それとも例の婚約者候補の公爵ぼっちゃんののろけ話かな?
どっちにしろ――、
「あ~、めんどくさっ」
周囲に誰もいないのはわかっているので顔にも声にも感情を乗っけながら、隠すことなく胸の内を言葉にしてみる。
そしてそれから少し歩き、私は彼女のいる部屋のドアをノックする。
――コンコン。
「待ってましたわ。入りなさい」
どこか上機嫌そうなその応対の声に、これは後者かなと予感を感じつつ「失礼します」とドアを開ける。
開けた視界。そこは子ども一人が生活するには十分すぎる程に広い部屋。そしてその部屋の中央、こちらもまた子ども一人が寝るには大きすぎるベットに上半身だけを起こした状態で横になりながら彼女は私を迎え入れた。
ロゼッタ・ワイゼル。
そうこの可愛くないクソガ……ゴホンゴホン、可愛らしいお嬢様こそが私の使えるご主人にして、私がメイドを辞める原因である。
ここに来た当初、私は十三歳。
その年齢は当時のメイドの中で誰よりも若かった。それは言い方を変えればワイゼル家の一人娘である彼女と一番歳が近いということを表していた。
そして、そんなメチャクチャ簡単な理由で私は彼女のお付きのメイドとなった。
まぁ別にそれ自体は悪くなかった。
私は姉はいるが妹はいなかったので、妹ができたぐらいの気持ちで仕事に取り組もう。最初はそんな感じでゆる~く考えていた。
…のだが、現実は非情である。
このロゼッタ・ワイゼルという令嬢はまぁ性格がよろしくなかった。
上流階級の貴族の悪いところを全部混ぜて煮詰めて、隠し味に子どもらしさを加えたかのような。もうホントわがまますぎて一緒にいるだけでイライラするしストレス溜まるし顔だけいいのがまたムカつくしと悪いことだらけ。
が、メイドという立場上は彼女のご意向に逆らうことも出来ずにせっせと世話を焼きながら馬車馬のように働き、他のメイド仲間から同情の視線を向けられる日々。
一応、自分でも容量は良い方だと思う。それでものらりくらりとやって、なんやかんや二年続いたのだから。
だが、流石にもうそろそろ潮時だ。これからさらに成長すれば、今度は別のベクトルのめんどくささとか鬱陶しさが出てきそうだし。それに耐えるにはこの令嬢のお世話はやりがいが無さすぎる。
旦那様も奥様も素晴らしい人物だけに若干後ろ髪を引かれるがしょうがない。
二人とも娘を相手にすると信じられない程に甘くなるのだ。まぁ一人娘だし、甘やかしたくなる気持ちもわからんでもないですけど…それでもすること為すことほぼ全肯定はいただけない。
すみませんね、御両人。私はあなた方と違ってこの子に無償の愛は提供できません。もうそろそろ限界です。…まぁそこそこいいお給料を頂いてたからそもそも無償の愛ではないんですけど。
閑話休題。
そんな私の心労になどまぁ間違いなく欠片も気づいてないであろうご令嬢は、「ささっ、こちらへいらっしゃいな」と私を手招きした。
それに従う様にベットの側にあった椅子へと「失礼します」と断りを入れて腰を下ろす。
「クロエ」
「はい。…?」
が、名前を呼ばれお嬢様の顔を真正面から見たところで私はとある違和感を感じた。
表情が今まで見たことが無い程に真剣なのだ。
あれ? これはもしかして私の予想とは別の、もっと何か真面目な――、
「ときに貴女。出身は男爵家の三女、率直に言わせて頂くと貴族の中では最下層。むしろどちらかと言えば平民寄りではございません?」
「…………」
……は? いきなり喧嘩売られたんですけど? もう退職間近だし買ってやろうかな?
つーか、確かにメッチャ田舎の男爵家だけど…別に平民寄りではねぇよ! あっ別に私は貴族平民の差別意識とかは無いけど、一応の訂正ね。一応の訂正。
余りにも予想外なその話し出しに呆気にとられながら、心の中で今まで抱いたことの無いタイプのムカつきが発生するが…まぁ伊達にこのお嬢様に二年も仕えていない。
表情にはその感情を一切出さずに「ふ~っ」と小さく息を吐いて、
「…お嬢様、急にどうされたのですか?」
と問いかけ返す。
クールになれ、私。こいつがムカつくのなんて今に始まったことではない。ムカつきの種類が若干変わること程度、どうとでも対処してやる。
「いえ、実は今あることで少々悩んでおりましてね。そこで貴族と平民、両方の視点に立てるクロエに聞きたいことがありまして」
「…両方の視点に立てるかは微妙ですね~。あの一応は、爵位のある家の出身ですのでぇ~」
あっれえ~、おかしいな?
別に家柄とか全然気にしない性質だったのに、何かこの謎のいじられ方すると無性にこめかみがピクつくぞ~?
うん、ここは我慢せずにやっぱり辞める前に一発ど突いておくべきか。
――が、その次に発せられたお嬢様の言葉でそのバイオレンスな思考とこめかみの痙攣は唐突に収まることになる。
「お願いしますわ、クロエ。私と一緒に貴族がやらないようなことを考え、一緒にやってみませんか?」
「………はい?」
もしかしたら、この家に来て初めての事かもしれない。
使用人としてではなく、一人の人間クロエ・トライアとしてお嬢様の言葉に取り繕っていない完全な素の反応を示してしまったのは――。