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「すみませんっ!」
歩き出そうとしていた親子がゆっくりと振り返った。
近くで見ると男性は更に大きく感じる。
花もこちらの女性の中では背が高い方だが、しっかりと首をあげないと目線が合わない男性は初めてだった。
「あのっ……」
良かったら食べてください!そう言おうとして、つい言葉が止まってしまった。
年齢は30代くらいだろうか。薄い緑色の目は涼しげで、目尻に少しシワがあるがそれがダンディーさを醸し出している。顎から首にかけてのラインはかなりガッシリとしているが、やや薄めの唇とスッと通った鼻筋はあるべくしてあるところに配置されており、花のドタイプの顔であった。
「あ……の、へへ。」
いかん。鼻の下が伸びてしまうところだった。話しかけておいてこの反応は気持ち悪すぎる事に気づき、気を取り直して伝えた。
「これ、買いすぎちゃったから良かったら食べない? 熱々で美味しいよ!」
もう男性の目は見れないので、子供に伝えることにした。しゃがんでにっこりと微笑み紙袋を差し出す。
男の子はビックリした様子だったが、ごくっと唾を飲み込むと手を伸ばしかけた。が、しかし受け取ろうとはせず、何度もチラチラと男性を見上げている。
「いえ、気持ちはありがたいですが、貴女が召し上がってください」
先程も思った。淡々とした声の中に様々な思いが入っているようで、冷たくは聞こえない不思議な声だ。
男の子は後ろにガーンという文字が見えるような気がするくらい落ち込んでいる。
「突然で不審でしたよね。すみません。ただ、この子すごくお腹が空いているんじゃないですか? もし毒入りじゃないかと心配するなら、私も食べますので! 良かったら一緒に食べませんか?」
男性はわずかに微笑みながら首を横に振ろうとしたようだったが、とてつもなく落ち込んでいる男の子が視界に入ったのだろう。
「では、ひとつだけ頂いてよろしいですか?」
花からも男の子からも熱い視線を受け、根負けしてくれたようだった。
3人は広場のベンチに腰掛けていた。
ドーナツ一つだけと言ったが、男の子改めカイくんは両頬を膨らませてむしゃむしゃと5個目を食べている。
よっぽどお腹が空いていたのだろうか。
しかし、男性改めラウルさんは一つも食べていなかった。
「突然声をおかけしてすみませんでした。ビックリしましたよね?」
あの時は、咄嗟にしたことだったけど、よくよく考えたら受け取り手にとっては施しのように感じることだったかもしれないと少し後悔していたのだ。
「いえ、きっと先程の場面を見ていたのだろうと思いました。騒がせてしまって申し訳ない」
ラウルさんは言葉少なではあるが、聞いたことにはしっかり答えてくれるようだ。花は先程からどうしても気になることがあった。今この広場には3人しかいない。
ちらほらと周りを歩いている人はいるが声は聞こえないだろうと思ったが、念のため聴覚遮断の結界を張った。
「ラウルさん、カイくんって竜人の子ですよね?」
唐突な言葉にラウルさんは目を見開いてこちらをみる。カイくんもこの言葉が聞こえたのであろう、ムシャムシャと食べていたドーナツをポトリと落とした。
アストラ王国には様々な種族が住んでいるが、竜人族は居ないとされている。
竜人族はクジャール王国に僅かに確認され、その先の大陸に集まって住んでいるという話だった。
竜人族の特徴としては、二の腕と背中の鱗、そして金色の瞳が挙げられる。
最初はただ無造作に伸ばされた前髪だと思っていたが、認識阻害の魔法が顔にかけられていることに気づき、先程ドーナツを渡すときに一瞬魔法をブロックしたのだ。
そのときに金色の瞳が見え、竜人と気づいたのだった。
「気づいていて声をかけたのか」
先程までとは違う、硬い声。
ラウルさんがこちらをみる目は厳しさを含んでいる。
「いえ、気づいたのはさっきです。顔に認識阻害がかかってたので、少しだけ解いちゃいました」
てへぺろ。
きっと花に効果音がつくとしたらこれだろう。
そういうと、ラウルさんは先ほどよりもさらに目を見開いた。
「あれは、そう簡単にとけるものではない。お前、何者だ」
ラウルは素早く立ち上がりカイを片手で抱き上げ花と距離を取ると、腰に刺したナイフらしきものの柄に手をかけた。ここまで10秒もないくらいだろうか。
花は内心パニックだった。
花が竜人かと聞いたのも他意はなく、認識阻害までしてるので何か特別な事情があるのかもと思い聞こえないよう結界を張ったまで。なんなら認識阻害もそんな難しい魔法だと思わなかったのだ。
言葉を一つでも間違えたら、瞬時に私の首は無くなるであろう。そんな緊張感に包まれているが、本当に悪意は無いので必死で説明する。
ラウルさんはしばらくこちらを絶対零度の瞳で見据えていたが、若干訝しみながらも、ナイフの柄から手を離してくれた。
念のため首を触る。良かった、繋がったままだ。
「ハナはクジャール王国で竜人がどのように扱われているか知っているか?」
唐突に聞かれた。確かローナから教えてもらったことがあったはず。
「どのようにって、貴重な種族だから王宮の管理する私有地に家があって、裕福な暮らしをしていると聞いていました。違うんですか?」
「それは1年前までの話だ。あの聖女が来てから全て変わってしまったんだ。」
ラウルは表情を硬くするとクジャールでのことを話し始めた。