始まり
アストラ王国の冬は長く1年のうちの半分以上が深い雪に覆われている。
そのため、雪が溶けはじめ草木が息を吹き返す頃になると皆そろって次の雪の季節に備え保存食作りに精を出す。
私、我妻花もそのうちの一人だ。
「ふぅ……。やっと抜けたかあ」
今年の冬はここ3年の間で一番雪の量が多かった。朝日にかがやく真っ白な雪は何度見ても美しいけれど、なにしろ外にでるだけでもとんでもない体力を使うし、ポーションの買い取り屋さんも雪の間は来てくれないから懐の心配もしないといけなくなる。
とは言っても花の場合は他のポーション販売をしている人たちと比べ膨大な量を売りさばいて冬に入るため、あまり節制して暮らす必要はなかった。
雪溶けの季節に入ったからといって、気温自体はまだまだ低い。ベッドの横に設けた大きな木枠の窓からは容赦なく冷気が漂い、あくびをすると吐く息が白く染まる。
「ふぁ~……これだけ雪が溶けたってことは、ローナさんも取りにくるかな」
ふかふかの温かい布団を抜け出し、もこもこのブーツに履き替える。この国では、家で靴を履き替える文化はないけれど、そこは日本人。どうしても不衛生な気がして外履きと内履きは履き替えている。
クローゼットから厚手のガウンを取り出し袖を通すと一晩の冷気に充てられひんやりとしている。
「寒っ。やっぱり暖房設置するべきだったかな〜」
同じくクローゼットにかけてあったマフラーをひっつかみ、晒された首をぐるぐる巻きにする。ふと、鏡に映った自分の姿が目に入った。
水色の髪に桃色の瞳。やはり私はハナであって我妻花ではなくなってしまったのだと改めて実感するのであった。
私は3年前まで確実に日本人だった。
なんの変哲もない、ただの平凡な会社員。
それがある日目覚めたら、この家のこのベッドに寝ていたのだ。
最初はやけにリアルな夢だと思った。
見たことがない部屋なのに懐かしさを感じるし、寝室から見える扉のその先には廊下が続き暖かな暖炉があるリビングにつながることも知っている。
ボーッと周囲を見渡していたが、やけに寒いなと思った。続いて急激な尿意を感じた私は、トイレに行こうとしてあ、これはおねしょしちゃうやつだと思った。
夢よ覚めろ、覚めろ、覚めろ。
目をつぶって何度唱えても、一向に夢から醒める感覚がない。
そうこうしているうちに、尿意は限界まできて、流石に目をつぶっていられなくなった。
そうして目を開けて、まったくさっきと景色が変わらないことを知り、初めて夢ではないことを理解したのだった。
頭はパニックになっているのに、身体はさも当然かのようにトイレへと向かおうとしている。
トイレへ着いたが明らかにマンションのものとは違う。
けれど、私はこのトイレが浄化スライムによって処理され、スライムから出される水がウォシュレットのかわりになっていることも知っている。
これが、ここアストラ王国での私の生活の初めの始めだった。