第一章「辰巳紫央の正常なる日常」 2
「やあ、辰巳くん。今年もまた同じ九科だね」
駆け足で教室に入ると、聞き覚えのある馴れ馴れしい口調が辰巳の耳に届く。
視線をやると、一年次でも毎日といっていいほど顔を合わせていた上木場が、やはり馴れ馴れしいニヤついた顔をこちらに向けていた。
「予想通りだろ。俺たちゃ予備学科(半端物) なんだからよ」
「笑えないよ。仮にも国を守護せんとする祓魔師を目指す僕らが、落ち着いていていい場所じゃない」
そーだな、と適当に相槌を打つと、意味ありげに上木場が目配せしていることに気が付いた。
「こんな場所でも八百万の神は僕らを見捨ててはいないようだよ」
「はぁ?」
辰巳は友人の視線の先に目をやるが、特段変わった所はない。強いていえば、生垣のようにクラスメイトが密集していることだろうか。
「いつもの面子じゃねーか。知念に阿波根に五郎丸、それに群がるむっさい男が多数。こうも変わり映えがないとむしろ安心するね。……あ、」
褐色の肌に金髪が目立つ知念に、誰かに押し付けられたかのような委員長キャラの阿波根、それに超幼児体型の五郎丸。それらに群がるやはり上木場同様見慣れたが覚える気は全くない男子共。そこまで見て興味を失いかけたが、その集団の中にチラチラと見えた緋色の髪が、辰巳の意識を呼び戻させた。
まさか――、
そう思いながら辰巳は、蠢くクラスメイトの間を覗き込む。
割り込むように前へ出る阿波根のお陰で人垣が割れ、一瞬辰巳の眼に中心にいる人物が目に入る。
すると、脳裏に焼き付かれた昨日の情景が強制的にフラッシュバックされた。
――やはり、彼女だった。
見間違うはずもない。緋色のクセのある長髪に、椅子に座っていても判るほどの均整のとれたプロポーション。出るところは出ていて足はすらりと長い。顔は緊張しているのか無表情に近いが、それが却って顔立ちの良さを現していた。
そして何よりあの瞳。
意志の強さを感じさせるあの鋭い眼光は、辰巳が眼を奪われた時と同じものだ。
あの時は自身が放つ炎に囲まれて、瞳も輝くような朱に染まっていたが、今もその気高さを現す美しさはありありと感じさせる。
「火ノ見来夏って名前だそうだよ。ここに限らず学校中彼女の噂で持ち切りさ。二年次に転入なんて珍しいし、何よりあの外見だからね。それになんと、今まで歩き巫女をして生活していたらしいよ」
「へぇ……」
火ノ見来夏、その名前を頭の中で反芻しつつ、辰巳の眼は名前の持ち主から離れなかった。
「ちょっとあんたたち向こう行ってよ! うっとうしいのよ! 火ノ見さんも嫌がってるのが分かんないの!」
場を仕切っていた阿波根の一喝に、草食系男子共は軒並み怯んだ。だが中には気骨のある者もいるようで、若干怯えた様子で、睨む女子相手に食って掛かっている。
「こ、これは転校したばかりで心細くなっているであろう火ノ見女史への紳士としての配慮でもあり、歩き巫女という現代ではほぼ廃れてしまった職への学術的好奇心でもあるんですぞ! それをうっとうしいと一方的に断罪されるのは心外ですぞ!」
周りの男子がそれに同調し、騒ぎ立てる。形勢逆転かと思われたが、阿波根は気圧されるどころか前のめりで反論しだした。
「な~にが紳士の配慮よ、学術的好奇心よ。火ノ見さんのこといやらしい目で見てたの気付かれないとでも思ってんの! あ~、おぞましい!!」
「な……! さすがにその言動は許せませんぞ! 言うに事欠いて人を破廉恥呼ばわりなど! 発言を撤回してもらいたい!」
坊主の彼は憤っているが、周りの男子は図星だったらしい。さっきまでの勢いはどこえやら、今では敗戦ムード一色に染まっている。
その様子を遠巻きで見ていた上木場はくすりと微笑む。高校二年生にしては幼すぎるきらいがあるが、そのふとした時の横顔は男の自分でもドキリとするところがある。
なので辰巳は、本気でこの友人と距離を置いた方がいいのでは、と思うことがこの一年少なからずあった。
「阿波根さんはああ言ってるけど……しょうがないよ。火ノ見さんのスタイルの良さはこの学校じゃ反則級だね。みんなが盗み見るのも無理がない。辰巳もそう思うだろ?」
「まぁ……そうかもな」
火ノ見という転校生の浅黒い生足を注視していたのを見透かすかのような問いに辰巳は動揺した。やはりこいつは油断ならないやつだと再認識する。
「それにしても今の時代歩き巫女をしてたっていうのは珍しいよね。いや、珍しいを通り越して絶滅危惧種といっていいんじゃないかな。やっぱりあれかなぁ。表の顔は無害な歩き巫女、しかし裏の顔は主君の密命で情報収集をしているくのいちだった、とかなのかなぁ」
「この情報社会全盛期でそれはないだろ」
「あ、やっぱりぃ」
上木場のおどけた顔をよそに、火ノ見の周囲では口論の熱が収束しつつあるようだ。
「そもそもですな~。自分は火ノ見さんとコミュニケーションをとるつもりであって、阿波根女史と口論しにきたわけではないのです。そろそろ質問させてもらってもよろしいですかな?」
「はぁ? なによそれ。あとから来たのはあんたたちなんだから質問するのは私たちが先に決まってるでしょう! 馬鹿なんじゃないの!」
どうやら男の方が幾分大人だったようだ。やれやれといった様子で後ろに下がっている。
転入生である火ノ見の真正面には、雑魚を蹴散らした阿波根が意気揚々と身を乗り出していた。
「ねぇねぇ、なぜ歩き巫女なんて古風なことしているのかしら? 火ノ見さんて御家族も神職者よねぇ。昔は食い扶持の為にやってたらしいけど、現代では神職も巫女も人材不足じゃない? 神祇院に頼めば相応な神社に奉職できると思うのだけれど……やっぱりあれかしら、各地の情報をお上に伝えるっていう――」
バンッ!!――
終始頬杖をついていた火ノ見が突如机を叩くと、周りの連中が一斉に目を丸くした。皆、火ノ見の意外な挙動に呆然としている。
「……チッ! さっきからお前ら耳元ででピーピーうるっせぇんだよ! あたしが歩き巫女だろうがなんだろうが、てめぇらには関係ねぇだろうが!!!」
予兆はあった。
周囲が喧騒に包まれる中、火ノ見の感情の読めない顔はじわじわと不機嫌になっていき、最終的には本業のやーさんも感心するようないかつい顔になったのである。
そして爆発したこの啖呵。教室内はものの見事に静まり返り、誰もが火ノ見の苛立つ顔を見ざるを得なかった。
「……は、ははは。そ、そうね。ちょっと強引すぎたかしら。ま、まぁゆっくり仲良くなっていけばいいものね」
最も近くにいた阿波根は見たこともないくらいに顔が引きつっている。
離れた場所で観察していた辰巳が少し跳ね上がるくらいなのだから、阿波根の驚きは想像に難くない。動きこそぎこちないが、冷静な対応が出来ただけ賞賛を浴びせたいとも思う。
「こりゃあたまげた。ドMの方には堪らない人材が九科に御降臨なすった。辰巳くん、昔の血が騒ぐんじゃないのかい?」
「……いってろ」
上木場の軽口を上手くかわす余裕もなく、シンプルに悪態をつく。
無感情を装いながらも辰巳の視線の先には、腫れ物のように距離を置かれ、一人きりになった転校生の横顔が捉えられていた。




