プロローグ
ぼちぼち更新してくと思います。
やる気など端からなかった。
そんなものがあるのならば、こんなボロ神社の小さな境内で、いい若者であるはずの自分が、案山子のようにボーっと突っ立っているわけはないのである。
突っ立っているだけならまだいい。だが、十七歳にもなろうという健康優良男児が、化粧崩れを気にする妙齢の女性さながら、日陰を探し求めてここに来たのだから始末に終えない。
隣町に存在するそこそこの社格である神社に比べ、この荒れ放題の馬島神社は猫の額ほどしか土地がなく、おまけに管理する人間もいないようだ。これならば、近くに住んでいながら神道系の学校に通う自分が知らないのも仕方のないことだろう。
ほんの少しだけ首を動かすことによって神社の全体図を確認できると、辰巳紫央は誰もいるはずもないのに誰も聞こえぬほどの小さな溜息を吐いた。
「……やってられるか」
この小さな神社と同様に辰巳の心は荒んでいる。いや、本来の景観を害してはいれど、雑草という逞しい生命が野放図に成長している分だけ、ただ刻々と時を刻みながらも何の変化も訪れない辰巳の空心よりは幾分マシかもしれなかった。
「甲組のやつら、相変わらず俺をみそっかす扱いかよ。待機要員なんて方便使わなくても足手まといだって思ってんのは丸分かりなんだよ」
口から流れるように出た恨み節を晴れ渡る青天にぶつけながらも、心の中ではそれも仕方のないことだよなぁと矛盾した感情を有している。辰巳は思春期特有の悟りきったしたり顔で、いつも通り一人納得した。
朽ちかけた本堂の縁に呆けたように腰掛けていると、ズボンの尻ポケットに入れていた携帯が生き物のようにブルブルと振動し始める。
画面には今しがた文句を垂れた相手の苗字が二文字羅列していた。一瞬躊躇いが胸の内に湧き起こるが、それを無理矢理押し殺して携帯を耳へと押し当てる。
「――中型一匹、そっちに行ったぞ。足止めくらい出来るよな?」
前置きも無い横柄な物言いにも腹が立ったが、それ以上にムカついたのは辰巳の返答も待たずに一方的に通話を切ったことだった。事切れた機械を手に、辰巳は半開きの口から本日二度目の溜息を大仰に吐く。
「これが国を背負う未来のエリート祓魔師ってんだから世も末だな……」
粗末な木板にへばり付いた重い腰を上げると、辰巳は一枚の札を学生服のポケットからのそのそと取り出した。
学校から支給された緊急用の特製霊符。高名な術者が作った高価な符だが、それを使うことは辰巳の学校では臆病者と劣等生を意味している。
その霊符を、辰巳はいつでも使用出来るよう絶えず懐に忍ばせていた。
だが取り出したはいいものの、いざ一人で立ち向かうことを考えるとそれ以上体が動かない。
「……俺一人じゃ、どうしようもないよなぁ」
足の震えが体全体に伝わり、手に持った霊符がさざ波を打っている。先ほどまでの威勢は、今の辰巳にはあるべくもない。
辰巳がどうするべきか迷いながら一人震えていると、本堂の裏手から突然静寂を断ち切る甲高い悲鳴が響く。
本能によって恐怖が叫び声へと変わる、女性特有の金切り声。
男にとって無視出来ないその声に、瞬発的に辰巳の体が動く。心は恐怖を感じてはいても、この一年でまがりなりにも鍛えられた条件反射のような反応は、祓魔師として一端のものだった。
音の正体は、辰巳にとって予期していたものだった。だが、考え得る中で最悪のものでもあった。
黒い影のような靄が、十歳にも満たないであろう少女の体の内へするすると入っていく。
少女が大事そうに抱えていたゴム製ボール。それが彼女の挙動不審な動きによって放てられると、小刻みにバウンドしながら本堂の軒下へと吸い込まれた。少女はボールを気にすることもなく、気が触れたようにけらけらと笑っている。
辰巳はその一連の様子を見て、苦い顔を作った。
「《ケガレ》……よりによって子供かよ」
辰巳が将来なるであろう祓魔師は、国に蔓延る凶事の顕現であるケガレを祓うのが最大にして最上の使命。
そしてそのケガレには際限がない。つまり国という巨大なシステム上に、ある意味なければならないバグやエラーのようなものだ。だがありすぎると当然機能不全を起こす。だからケガレというバグを取り除く為、デバッガーである祓魔師がいるのだ。
そしてケガレは多種多様なやり方で国を混乱に落とそうとする。その中で最も厄介と類されるのが、人間への憑依だった。その最も危険な状況が、見習い祓魔師である辰巳の目の前でまさに起こっていた。
「どうする……! 力づくで祓っても子供の精神は柔らかい。最悪意識昏倒で二度と目覚めないぞ……いや、憑依感染系だったらこの女の子一人じゃ済まない。ここで取り逃したら町中に感染する恐れがある。リスクはあるが、今俺がやるべきか……クソ! 甲組のやつら、厄介なもん取り逃がしやがって!」
思案しているうちに女の子の体はケガレに蝕まれていく。不規則に踊り狂う手足は最早人間の動きではない。辰巳の見立てでは、既に三割は精神を侵されていると見当づけていた。
「浄化の霊符で完全に祓えるとは思えねぇが……やるしかない……!」
覚悟を決め、足に力を込めた瞬間、辰巳の体が総毛立った。
突如として現れたそれが、辰巳の体をピタリと止め、そしてその眼を瞬間的に奪っていった。
――天へと貫くかの如き、真紅の大火柱。
圧倒的な赤。圧倒的な熱量。暴力的、幻想的、神秘的、視覚から入るその色の情報と共に、辰巳の剥き出しの皮膚に熱風が叩きつけられた。
その炎柱によって熱された空気に息苦しくなって、辰巳は両手を顔の前にかざす。だが炎の勢いは留まるどころか、熱がる辰巳を無視してより一層激しく燃え盛っていく。
「この炎、普通じゃない……! 中級のケガレが跡形すら残さず消えている……このレベルの炎氣を使える祓魔師は甲組のやつらはおろか、この辺の神職者でもいないんじゃないか? いや、それよりも……」
美しい――。
至近距離でここまで強力な炎氣を見たことはない。何よりも物理的な恐怖が辰巳を襲ったが、すぐにその感情は別のものへと変化していく。
炎は恐ろしいものだ。文明人の辰巳にも本能としてそれは刻み込まれている。だが目の前にある鮮やかな緋色には、その恐怖を忘れさせ、目を奪わせる何かが潜んでいた。
そしてその何かは、ケガレが完全に浄化され、ぐったりと女の子が意識を失うと、緋炎の中から生まれ出るように現れた。
白衣に緋袴。手には神楽鈴を持ち、もう片方の手で気絶した女の子をしっかりと支えている。風になびく紅蓮の長髪に、遠目からでも分かるほどの均整のとれた体。その表情は安堵しているようにも見えるし、不機嫌そうにも見える。
辰巳は金縛りにあったかのように動けず、ただ紅髪の巫女に見入っていた。
数秒に満たない時間そうしていると、遠くから微かに聞き覚えのある声が届く。巫女にもその声が聞こえたのか、一瞬ちらりとこちらを見た。そして女の子をふわりと地面に降ろすと、完全にケガレが祓われたか確認していく。
「おい! 辰巳!」
突然肩を強引に掴まれ、辰巳はビクリと振り返った。目の前には苛立った青年が、自分を睨みつけるように立っている。一瞬目の前の相手が誰だか分からなかったが、すぐに思い出した。今日の定時巡回の同僚、同じ高校の同級生で辰巳をいつも見下しているやつだ。そいつの後ろにいるのは彼のパートナーの女子。もう一人は無能の辰巳と嫌々組まされた女の子だ。
「ケガレは? ここに来ているはずだが」
「ああ……それならあの巫女さんが……」
辰巳の視線の先にいるのは、砂利の上ですぅすぅと可愛らしい寝息を立てる女の子だけだった。周囲の気配は何事もなかったかのようにしんと静まり返っている。つい先ほどのことが夢かのように、紅髪の巫女は忽然と消えていた。
「精神汚染のケガレがここに逃げ込んだはずだ。あと一歩のところまで追い込んだんだが、なかなか厄介な奴でな……そもそも俺たち見習い学生が相手にするようなケガレの大きさじゃないのに……」
幾分余裕のある話し方だったが、辰巳の小賢しい目はごまかせなかった。
彼の額には薄っすらと汗が滲み、呼吸は押し殺しているが荒く感じられる。おそらく戦闘中予想以上に足の速いケガレを取り逃がし、余程焦ったのだろう。通話を一方的に切ったのも時間が惜しかったからに違いない。彼はここにくるまでに、その余裕たっぷりの表情とは裏腹に、必死の形相で走ってきたのだ。それを頭の中でコミカルに再現させると、先ほどの不遜な言い方も許せた。
「それでケガレは? どうせ支給されている封印札を使ったんだろう? 巫調もできない君が一人で祓えるとは思えないし。……で、どこに封印したんだ? 祓わないと上に報告できないだろう」
「あー……それが……」
言いよどむ辰巳に、彼らは不審な目を向ける。
「祓っちゃったんだよな、オレ一人で」
そう言いのけた後、辰巳は後悔した。なぜそんな嘘をつく必要があったのか分からなかったし、何より彼らが自分を信用など欠片もしていないことを態度で再認識させられたからだ。
「いや~信じられないのは分かる。でもやったもんはやったんだしよ。ほらケガレの気配はないだろ。なんなら探索系の術使って調べろよ」
居た堪れなくなった辰巳は投げやりにそう言い放つ。余計に猜疑心のこもる眼を向けられたが、もはや一から説明する気など起きなかった。
「……嘘はつくなよ。もしケガレが俺たちの担当エリアから出ていれば見習いといえど職務規定違反で停学……大事になれば最悪退学だぞ。本当にお前が祓ったんだな……!」
その問い詰めは当然だろうと辰巳は思う。あの精神汚染のケガレが監視もなく町に放たれれば、一般社会に軽微とはいえど、それなりの被害が見込まれる。彼の詰問は祓魔師を目指す者として至極当然のことだ。
それにしても、自分のミスを能無しと思っていた奴に尻拭いされたのが余程不快なのか、その顔に浮かぶ表情に少々個人的な感情が入りすぎているように感じるのは気のせいだろうか。
「だったらお前が報告しておけよ」
黙る辰巳に業を煮やしたのか、やはり不遜な態度で言い放つ。彼は後ろに控えていた二人の女子に目配せをし、倒れていた女の子を抱えさせた。そして忌々しいともいいたげな足取りで、境内から足早に出て行った。
一人ぽつんと残された辰巳は、今しがた轟々と緋色に燃え盛った場所に目を向ける。黒く煤けた砂利が、辰巳の脳裏に先程の幻想的な光景を思い出させた。
あれほど心が震えるような炎を辰巳は見た事がない。
決して珍しくも特別優れた術でもない。だが、確かに自分の心はあれに奪われたのだ。
そう――紅蓮の炎の中で、儚げに、悲しく、力強く舞う、一人の少女の横顔に。




