掻き乱された心
翔が採用になった日の夜、宮崎家では…
「ねぇ、父さん、楽しそうね。翔くんがうちに来るからじゃないの?」
「馬鹿、そんなんじゃねぇよ。でもな、調理師の資格がある奴は給料ばかり気にしてるし今、専門学校だなんだに行ってる奴はどこぞのホテルや三ツ星か?そんな所で修業しないと名前にハクがつかないとこういう考え方だ。
でもアイツは人を喜ばせたいと言って俺の店へ来た。大層なごたくをとも思ったさ。でもアイツの目を見て、料理に向かう姿勢が俺には見えた。そんな変に型にはまってない奴のほうがいいと俺は思うぜ。お前にもう少し料理の才能があればな。すごいのは音楽の…」
「父さん、その話は…」「そうだな…すまん。」
翔は覚えなければいけないことが多すぎて困っていた。しかし、興味あることに費やす時間は彼にとって有意義なものだった。
お店で使う食材の種類、スパイス、香草の名前や使い方、調理の手順や時間、もう少し慣れたら雪さんが一人で任されているホール光熱費や仕入れのことなんかも考えなくてはいけないようになってくる。学校とお店と自宅を行ったり来たりの生活がしばらく続いた。入店した時に貰った厨房服のエプロンがみるみるうちに汚れていった。
「翔ちゃん、びっくりするやろなぁ。」
「邪魔したらダメだからね。もう!」
楽しそうな優花に結衣がクギを刺す。
「翔の料理楽しみだな!アイツ本当に上手いからなぁ」
結真がお店のドアを開ける。「いらっしゃいま…」結衣と雪はお互いを見て驚く。
二人ともお互いのギターの音が耳に蘇る。
雪はふと我に返って「こ、こちらの席にどうぞ。」優花が「知り合いなんか?」と結真に尋ねる。「ちょっとね…」
結衣が雪に「翔くん頑張ってますか?」と訊くと
雪は「ああ、翔くんの…はい!頑張ってますよ。
今も厨房でうちの父親と調理しています。」
その時、結真が「あんた、どこかのバンドマンかい?」と雪にぶっきらぼうに訊いた。雪は「いえ、す、すみません仕事がありますので。」と厨房のほうに入っていった。
厨房の親父さんに雪は何か耳打ちした。
親父さんが、「翔、その盛りつけ終わったらお前のお客さんが食べに来ておられるそうだ。挨拶してこい!」「分かりました。」
客席のほうに出ると結衣、結真、優花さんが料理を食べ終わって、談笑していた。
「本日はようこそいらっしゃいました。」と僕が
冗談ぽく挨拶すると、結衣が「あーん。私の彼氏、シェフってみんなに自慢したーい!」とみんなを笑わせた。
「じゃあ、厨房に戻らないと。ありがとう!」と言って僕は仕事に戻った。
雪は翔とは対照的に右手をギュッと握りしめて、
厨房の隅で必死に気持ちを落ち着けていた。