皇女の想い
叙勲式後。アレスは屋敷には戻らず帝都各地を飛び回る。
やるべき事は多々ある。
「辺境伯」および「征夷大将軍」就任。
多くの貴族は彼と繋がりをもとうと試みるものの、彼の行方は誰にも分からなかった。
アレスはグランツ運営に向けて着々と動いていたのだ。彼自身も彼の国の運営の難しさをよく理解している。それを円滑に進めるための準備を。
そして数日が過ぎた。
◆
アレスは第ニ皇女シルビアに呼ばれ、皇宮に向かった。
呼ばれたのはシルビアの自室。
「失礼します」
呼ばれた内容は薄々気づいている。アレスはため息をつきながら、シルビアの部屋に入り……そこで驚愕した表情を見せる。
「おぉ、よく参った。アレス。先日の事でゆっくり話を聞こうと思ってな。まずは……おめでとうとでも言おうか」
そう言うとシルビアはイタズラっ子のような表情を見せ、言葉を続けた。
「そしてちょうどコーネリアが貴公と話したいと言っていたのだ。今日はゆっくりと話をしようではないか?」
シルビアの横には凛とした佇まいを見せるコーネリアが座っていた。
「お久しぶりです。アレス様」
以前出会った時と変わらぬ美貌と笑顔を見せながらコーネリアは深々と頭を下げるのだった。
◆
「今回は私がお姉様にお願いをして来ていただきました。本来なら私が行かねばいけないところですが……申し訳ありません」
そう言うとコーネリアは再び頭を下げ。そして顔を上げると同時にアレスを見つめた。
「…………そしてお伺いしたい儀がございます」
「殿下が頭を下げるなんて恐れ多いのでやめてください。で、どのようなご用件でしょう?」
アレスは苦笑する。だがアレスをして胸の鼓動が収まらない。緊張しているのだ。この姫君が何を言うのかを。
そしてコーネリアが発した言葉を聞き…………動きが止まった。
「アレス様のお気持ちです」
「は?」
「本当に私との婚姻を進めてよろしいのか、それを聞きたく」
「…………」
「もし、どなたか愛すべき方がいらっしゃるなら、仰って欲しいと思います」
アレスは黙ってコーネリアの顔を見る。コーネリアもまたアレスの目から視線を離さない。
シルビアは思いもよらないコーネリアの言葉に目をキョロキョロさせている。
シルビアから呼び出しがあった時。もしかしたらコーネリアも一緒ではないか?そう思うところはあった。事実、一緒ではあったが…………まさか第一声でこのような事を言われるとは想像していなかった。
アレスは元々色恋沙汰は苦手だ。ギルバートは常にもどかしい思いをしているようだが……アレスは無意識にそこから逃げてきたように思う。
シャロンやシータ、マリア、ロザンブルグの三姉妹、そしてニーナ……彼を想う人間は多い。そしてアレスもそれに気がついている。時折母であるセラが意味深な事を言っているが、それには一切反応せず。自身は全く気が付かないように努めていた。
しかし今回のコーネリアの言葉は……嫌でもそれと向き合わなければならない事を思い知らされた。
なんと言ってもコーネリアとの縁談は勅命なのだ。受けるにしても断るにしても…………様々な想いを受け止めなければならない。
自分を慕ってくれる者たちの想いも。そしてコーネリアの想いも。
しばらくの沈黙の後、アレスは静かに口を開いた。
「私なんかの事を、ずっと以前より想いを寄せてくれる人たちがいます」
「…………」
「彼女達の想いを知りながら、私は今までずっと目を逸らしていたのかもしれません。情けないことに」
「…………」
「今回の縁談もそうです。陛下のご命令でしたが、どこかいい加減に、真剣に考えていませんでした。殿下に対して失礼なことに、数日前に拝命を受けて考えていた事は辺境伯としてグランツをどのように栄させていくか……それだけです。殿下の事を……殿下のお気持ちを考えておりませんでした」
「…………」
「男として最低だなぁと思っております。申し訳ありませんでした」
「…………」
そこまで言うとアレスは少しスッキリとした顔を見せた。
「まず初めにここからなんとかしなければいけませんでしたね」
そう言うとアレスはガバッと頭を下げる。
「どうか私との縁談はなかったと思っていただきたいと思います」
「なっ!!!」
思わず立ち上がったのはシルビアだ。
「貴様!コーネリアの面子を潰すきか!ただでさえコーネリアは……」
「お姉様はお静かにお願いします」
シルビアの言葉をピシャリと遮ったのはコーネリアだった。
「続きをお願いします」
「…………先程も申し上げた通り、私なぞに想いを寄せてくれる女性が複数おります。そして……私はその者達から誰かを選ぶことは……できない。そして、縁談を受け入れて彼女達を切り捨てることも」
アレスは真剣な顔をして言葉を続ける。
「殿下に言われて本気で向き合うべきだと認識しました。私は彼女達全員を迎え入れようと思います。私のわがままだと他の者から思われてもです。そしてこれから殿下の夫となろう人物が同時に他の女を、しかも複数を受け入れる……これはあってはいけないことです」
「…………」
「縁談を私が断り、大々的に他の女性を娶る事になれば……私は世の人から浮気者、女好きとでも言われる事でしょう。殿下の面子が潰れることは少ないと思います」
「それでもその方々への悪評はつくと思いますが?」
「えぇ。だから選んでもらおうとも思います。彼女達は何も悪くないので」
そう言うと微笑みながらアレスは続ける。
「もし、そんな私でも彼女達がついてきてくれるなら……私は全力で守りたいと思います。例え、この世の全てが敵になっても」
そう言いながらアレスはちらりと鬼のような形相のシルビアを見る。
「勿論、殿下に対してもそして陛下に対しても贖罪をしなければいけません。後ろ盾……ではなく、私はあなたに忠誠を誓います。陛下に対しては……勅命を断るため何かしらの罰が与えられる可能性はあります。でもそれはしょうがない……」
アレスがそう言うと、コーネリアは深い溜息と共に呟いた。
「貴方と言う人は…………やはりそういう人なのですね」
そして静かに微笑むと唐突に立ち上がり…………アレスのところに近寄る。そして彼女はアレスに跪いた。
突然の行動にアレスもシルビアも言葉が出ない。
「では…………もし私が貴方に想いを寄せて、私の方から求婚したら貴方は断れますか?」
「………………」
「貴方の事を調べさせて貰いました。今まで貴方がやってきた事、貴方の評判。そして今日貴方の想いを聞きました」
コーネリアは顔を上げてアレスを見つめる。アレスもまた彼女の目から視線を離さなかった。
「調べれば調べるほど……私が幼き頃より描いていた殿方に近い事、それが分かりました。貴方の事を想うようになりました。それ故に数日前に陛下の言葉を伝え聞いて嬉しかった。でも……同時に怖くなりました」
そこで静かにコーネリアは俯く。
「私が貴方と結ばれる事で泣く者たちがいるのではないか?そう思ったのです。そのため、昨日貴方の母君とも会わせていただき、そしてお話をさせてもらいました」
「え゛、母と?」
突然の事に思わず変な声が出てしまったアレス。
セラの何もかも見透かしている顔が脳裏に浮かぶ。あの人が一枚噛んでいたら……自分に付け入る隙がない事はよくわかる。
「アレス様の母君から、貴方に想いを寄せている方が複数いる事も聞きました。それ故に……全てをハッキリさせるために今回このような事を申し上げたのです」
そう言うと再びコーネリアはアレスの方を見る。
「アレス様の決断。とても素晴らしいと思いました。女性達を大切にするアレス様を素敵だと思いました。それだけ大切にされている方々が羨ましく思いました……そんな決断をしてくださったアレス様に…………私からのお願い。それが、どうかその方々のお仲間に私も入れてもらえないか?という事です」
「…………」
「私はその方々と異なり、貴方との歴史はありません。厚かましいお願いだとは分かっています。が、どうかお願い致します」
アレスはコーネリアを見つめる。よく見ると……コーネリアはこれからのアレスの言葉に怯えて、そして自分からこのような事を言った羞恥からなのか……微かに震えている。
アレスは思う。あぁ、やっぱりここでも自分は情けない。女性にこんなことをさせてしまうなんて、と。
「頭をあげてください、殿下」
アレスは近づくとコーネリアの手を取った。
それと同時にゆっくりとコーネリアは立ち上がらせる。
「私は夫として最低かもしれません」
「かまいません」
「すでに複数の妻を持つ事になります」
「同じように愛してくれますか?」
「戦で命を散らすこともあるかと思います」
「その日まで、貴方の手をつなぎ、横にいましょう」
アレスはその返事を聞きながら一つの決心がついた。それはコーネリアを正妻に迎えることである。
そして最後にコーネリアにこう言った。
「殿下……どうか私の妻となっていただけますか?」
その言葉を聞き、コーネリアはその美しい美貌に花のような笑顔を見せるのであった。
◆
コーネリア・アルカディア・シュバルツァー
英雄皇アレスの正妃として著名な人物である。
アレスは沢山の妃を持つ事になるが、いずれも争う事なく終わったのは、彼女の存在が大きかった事だろう。また、後継問題で骨肉の争いが起こらなかったのは彼女の影響力であるとも言われている。
内政面で手腕を発揮し、アレスを内面からも外面からも支えた人物である。アレス不在の時は常に彼女が指揮をとっていた。アレスも彼女の決断に信頼を置き、安心して外征に行ったとされている。
また教会から見込まれるほどの聖術の腕前とその沢山の慈善事業から、多くの者は彼女を「アルカディアの聖女」呼んでおり、また後に「アレスティアの聖母」と讃えられる事となる。まさに民衆にとっても「母」のような存在であった。
アレスティアが繁栄したのは彼女の存在が非常に大きかったと言われている。




