ハインツ攻防戦 その2
霧に包まれた陣内。静寂を引き裂くような、けたたましい馬蹄の音を聞き、陣幕にいたアレスは表に出た。
「アレス様、準備はできております」
ふと横を見ると、シグルドが槍を構えて立ち、アレスが現れるのを待っていた。
「何もかもアレス様の読み通りですね」
「まぁ、どう考えてもグランツの取る道はそれしかないからね…籠城しても落ちるのは時間の問題だし。だから最大の戦力を軍の要に当てる…セオリー通りの戦い方だよ」
そう言うとアレスは目を凝らして、声が響いている方角を眺める。
「この本陣を見つけだし、ここまで来るのは流石だね…さぁ、噂の男の顔を見にいこうか。陛下の所にいればきっと会えるはずだよ」
◆
「おおおおおおおおお!」
掛け声と共に長槍を振り回し、多くの兵を屠っていく。
ダリウスを初めグランツにとってこの機会はまたとない絶好のチャンスであった。
難攻不落のハインツといえど、30万の軍勢を相手にすれば保つ事は不可能である。決定的な兵力差を覆すには奇襲において相手の頭を叩くしか方法がないのである。
「皇帝を探せ!奴さえ討てばなんとかなる!何としても探し出せ!!」
ダリウスが血眼になって探していると…少し小高い丘の上で黄金の豪奢な鎧を纏い、こちらを見ている男を見つけた。また周りには多くの者が侍っているが、いずれも立派な身なりをしている。
「奴だ…皇帝セフィロスだ!!」
このような場において豪奢な身なりを持つ者…貴族達が侍る人物は一人しか思い当たらない。
舌なめずりを一つするとダリウスは獰猛な叫び声を上げながら丘の上を一斉に駆け上がった。
「ひぃっ」
「来るな…こっちに来るなぁ!」
突然の来襲に驚き、怯え、腰が引けている近侍の貴族たちには目もくれず、ダリウスはセフィロスに向かっていく。
「狙いは陛下だ…近づけるな!!」
近衛兵たちはダリウスの前に立ちふさがり人の壁を作る。しかしその努力もむなしく多くの兵や騎士がダリウスの一振りで命を散らしていった。
「へ、陛下。この場を急ぎお離れ下さい!!」
「させるかぁぁあ!」
ダリウスは縦横無尽に近衛兵の命を刈り取りながらセフィロスに近づいていく。
セフィロスは近侍の者に指示を出している。流石に歴戦をくぐり抜けている事もあり、彼自身に動揺の色はない。ダリウスを睨みつけながら王者の威風を放っている。その指示に従い、的確に近衛の騎士達はセフィロスを守るため動いている。
だが……その間、他の諸侯たちの多くは散り散りに逃げ去っていた。
ダリウスは近衛騎士を蹴散らしながら迫ってくる。彼がセフィロスの元に辿り着くのは時間の問題であり、最早なすすべなし…誰の目にもそう思った時。
「待たれよ、ダリウス卿」
ダリウスの前に赤黒い巨馬にまたがった男が道を遮り声をかけてきたのだった。
赤黒い馬に乗った一人の騎士…シグルドは静かな…それでいて猛獣を思わせる凄惨な笑みを浮かべダリウスを眺めている。
「どけ、下郎!貴様の様な男には興味はない!無駄に命を散らすな!」
ダリウスが叫ぶと、シグルドは笑って答えた。
「つれないな…ダリウス卿。こちらは貴公が来るのを待っていたのに」
そういうとシグルドは自身の魔力を解放する。それに合わせて、愛馬ブラドは低くいなないた。
「我が名はシグルド。シュバルツァー大公、公子アレス様の臣なり。いざ、勝負!」
「陪臣風情が…いいだろう。相手をしてやる!」
そうは言ったものの、ダリウスは目の前の男が今までの相手とは格が違うことを肌で感じていた。
圧倒的強者の気配。
それはダリウスが今だ感じたことのないものであった。
シグルドが魔力を高めていくのを見て、ダリウスもまた己が闘気を高め、そしてシグルドに向け突撃した。
◆
ダリウスは自らの長槍を猛烈な勢いで突き出す。しかしシグルドは冷静にそれを自身の槍で捌きいなした後、今度はお返しとばかり、こちらも目に見えないほどの速さで突きを繰り出した。顔に突き出された槍をダリウスは首をひねってかわす。
僅か数秒の出来事。
だがシグルドもダリウスもその一合の槍合わせでお互いの実力を知る。
ダリウスとシグルドはお互いにらみ合った後、共に静かに微笑んだ。
「面白い…やはり世の中は広い。このような男が陪臣程度で収まっているとは」
「こちらとしても嬉しいものだ。アレス様以外で本気になれることがあるとはな」
「ほぅ…お前の主か?その男にも会ってみたいものだ。だが…」
そう言うとダリウスは静かに息を吸い込む。と同時に体がさらに黄金色に輝き出した。
「…魔力?いや…闘気か?」
「さぁ、始めようか。本気でやらせてもらう」
ダリウスはそう叫ぶと跨っている雄牛に蹴りを入れる。それに合わせて雄牛はシグルドに向かって突っ込んできた。
シグルドはその様子を冷静に見ると同じようにブラドを走らせる。
ダリウスの金色の闘気とシグルドの青い魔力がぶつかり合い、それと同時に強烈な爆風がおこった。
「おおおおおおおおおおおおおお」
ダリウスが頭上から猛烈な勢いで槍を落とす。
「はあああああああああああああ」
シグルドはそれを受け止め、弾き飛ばした。
体勢が崩れたダリウスの胸元めがけて今度はシグルドが槍を繰り出す。
ダリウス崩れた体勢から体をひねり、その突きを交わした。しかしシグルドは攻撃の手を休めずさらに鋭い突きを繰り出す。
「があああああああああああああ」
ダリウスは崩れた体勢から槍を大きく振り回し今度はシグルドの槍が弾き飛ばされた。
その風圧で地面が抉れていく…。
◆
幾度となく繰り返される攻防。
彼らの「魔力」と「闘気」がぶつかり合うたびに、地面は割れ、周囲の物は破壊されていく。
アルカディアの兵も、ダリウスに付き従い遅れてこの場に到着したグランツの兵も共に静かにその様子を見守っていた。
「馬鹿な…旦那と互角に戦える男がいるなんて…」
ダリウスに今まで付き従っていたディルクは信じられないものを見たように固まっていた。
妖魔貴族をも一蹴し、戦闘民族アーリア人や北の蛮族の大軍を単騎で笑いながら駆け抜ける…それがダリウスである。今までどんな戦士も10合と槍を合わせることができた姿を見たことがない。
すでに槍を合わせた回数が7,80合になろうとしている時。
「シグルド、もういい。そこまでにしよう」
アレスはシグルドに向けて静かに声を掛けた。
そしてその声を聞き、シグルドはハッとした表情になり、静かに馬首を返す。
「小僧、邪魔をするとはどういう了見だ?」
あっという間にシグルドが引き、高ぶる気持ちを抑えることができずダリウスは勝負に水を差したアレスをにらみつける。
「残念ながら皇帝陛下はもうこの場所から退いてもらったよ。あなたの目的は半分達成し、半分失敗したようだ」
アレスは静かにそう言うと言葉を続ける
「あなたの当初の目的はこの30万の兵を引かせること。そして最大の目的はここで陛下を討ち、アルカディアを破ること」
そういうとアレスは胸にかけていている『武天七剣』から『神剣オルディオス』を抜く。
「陛下はすでにここにいず、アルカディア軍は今、体制を整えるために全軍包囲を解除し一時退くことを命じられた。あなたの勝ちだ」
しかし とアレスは続ける。
「陛下をここで討てばアルカディアは退くどころか、一転して窮地に追い込むことができる…グランツとしてはそれが一番安泰だろうけど…そうはさせるわけにはいかないよ!」
「!?」
言葉を終えるとアレスは『オルディオス』の見えない斬撃を繰り出した。
そして同時に目に見えないほどのスピードでダリウスのもとに飛び込み、剣を振るう。
ダリウスは見えない斬撃を冷静に弾き飛ばすとアレスの振り下ろした刃を受け止めた。
「本気でいったんだけどね…簡単に受け止められたか…」
そういうとアレスは後ろに下がって距離を取る。
ダリウスもまた今のやり取りで、先程の騎士と同等の化け物が現れたことを感じた。
「そうか…貴様は先程の男の主だな?」
「そうだよ。さぁどうするかな?君が引かないなら僕は卑怯とはわかってもシグルドと2人で仕掛けていくけど?」
アレスはそう言って自らの魔力を解放する。
それを見てダリウスは後ろの兵たちに声を掛けた。
「引くぞ!」
「は?旦那?でも相手は小僧で…」
「貴様はあいつの恐ろしさが分からないのさ。一人ならいざ知らず二人でこられたら勝てん」
そういうとダリウスは先程と打って変わってさわやかな笑顔を向けた。
「貴公、名は?」
「シュバルツァー大公、公子アレスシュバルツァー」
「覚えた。また会おう、アレス殿」
そういうとダリウスは牡牛の横腹を再び蹴り上げ、去っていく。
ダリウスが去っていくのを眺めながらアレスはシグルドに
「あぁいうところを見ると、ただの粗暴な男ではないことが分かるよね。さぁ…また陛下のところに行かないとね。さて、お休みもそろそろ終わりになるころじゃないかな?」
そういって笑うのであった。
◆
ハインツ攻防戦は後の世において歴史学上大きく取り上げられることが多い。それは当時最強とうたわれたアルカディア軍が数ではその10分の1でしかない3万のグランツ軍に敗北したからであった。
この戦いにおいてグランツ兵の精強さが世に知らしめられたと言ってもよい。それと同時にアルカディア帝国の凋落の始まりともとらえられている。
この戦いでにおいて大陸全土に名をあげ、歴史にその名を刻んだ人物がいる。
ダリウス・グランツ
ある歴史家は言う。ハインツ攻防戦はアルカディア軍30万対ダリウス個人であったと。
そしてこのハインツ攻防戦で重要なことはもう一つ。ダリウスが英雄皇アレスと出会ったこと。
時代の歯車はゆっくりと、そして確実に回り始めていくのであった。




