思惑
「どうやらシュバルツァーの小倅が帝都に到着したらしいな」
「はい。先週5千の兵を率いて到着したとか」
帝都の北地区。その全体が一望できる丘に第一皇子カルロスの屋敷はある。
その一室にて金髪碧眼、その鍛え抜かれた肉体をこれ見よがしに見せつける半裸の男と、整えられた褐色の髪をもち、痩せ型の正装をした男が話をしていた。
半裸の男がこの屋敷の主であり、第一皇子のカルロス、そして正装の男はカルロスに幼き頃から付き従っている、フーバー公爵ダグラスである。
第一皇子カルロス・アルカディアは年齢は20代後半である。帝国随一の猛将として名高いが、彼が行くところ虐殺と略奪でどの地も荒野原になると言われる。それゆえ、彼は自国、各国の者達から『狂皇子』の名で恐れられていた。
フーバー公爵ダグラスも齢20代半ば。幼き頃からカルロスの学友として過ごしており、彼の一の家臣を自認する。本来次男のため公爵家を継ぐことはできない身分であったが、原因不明の病により当主と長男が倒れたことで若くしてその地位を手にいれた。
現在はカルロスの知恵袋として、常に同行する間柄である。
その二人が話しているのはカルロスの自室である。
彼の周りにはこれまた半裸の女性が数名傅いている。どの女性も生気はなく目は虚ろだった。
「此奴らも壊れた。そろそろ替え時か。違う領地に行って奪ってこないとな」
そう言って、カルロスは女達を見下ろす。
その女たちは近頃アルカディア…カルロスに滅ぼされた国の王女たちであった。
彼に滅ぼされた後、連れてこられ強引に性奴隷にさせられたのだ。
「時にダグラス。奴が登城するのはいつだ?」
「陛下が各諸侯を集め、勅命を出す日が明後日となっております。明後日、各諸侯とともに登城するかと」
「帝都に到着したのが先週。事前に登城する気配もない。あまり宮中には関わるつもりなし…と言うことか」
「ですが、どうやらマクドール公爵やアーノルド公爵、ロザンブルグ侯爵といった有力諸侯、はてはマーゴッド商会など何名かとは面会している様子ですが?」
「ふん!マクドールのクソ親父め。奴に尻尾を振ったか。アーノルド公は病弱のため恐るにたらん。ロザンブルグ侯は貧弱。商人は話にならんわ」
「現在、実質的な権力をもつアーノルド公爵代行は我らの陣営です。ご安心ください。他の貴族もこちらに靡くよう働きかけを続けます」
そう言ってダグラスは笑みを浮かべた。そして問いかける。
「殿下はシュバルツァーの小倅を異様なまでに気にされます。いくら大公家とはいえ、宮中での政争から逃げ帰った家。そこまで恐る必要は…」
「恐れているわけではない」
そう言うとカルロスは立ち上がった。
「俺は奴が気に食わない。あのすかした顔も、態度も全てがだ」
そして奴は父を始め多くの者から人望がある。何より…
そう思い起こしたカルロスは自らの腕を掴んだ。
以前、奴と模擬試合を行った時があった。
その際この帝都で向かうところ敵なしだった自分を遊んだ男……それがアレス・シュバルツァーだった。試合は引き分けだったが、あれは完全に手を抜いていやがった。多くの者は気付いていなかったが、分かるものには分かるのだろう。現にその際、父セフィロスから
「汝、勝ちを譲ってもらったか」
と一瞥されてしまう。
そして何よりその時の顔が……こんなものかと奴が馬鹿にするあの顔が忘れられない。
また、以前下民どもが反乱を起こした時。本来ならば自分が討伐する予定だったが、事もあろうに奴は巧みに詭弁を用いて俺からその機会を奪った。父上や諸侯の前で恥をかかせた恨みを忘れるつもりはない。
「あの借り、必ず返してやる…」
そう、奥歯を噛み締めるカルロスだった。
◆
「シュバルツァーの跡継ぎが帝都に着いたようですね」
四大公家の一角、ローゼンハイム大公家の嫡男、サイオンは父の大公オットーにそう話しかけた。
サイオンはアレスより2、3歳ほど年長であり、皇立学院では同じ貴族科に属していた。
艶やかな黒髪に多少つり上がった切れ長の目からは、彼が切れ者である事が伺えた。
「どうやらそのようだ。」
そう言ってオットーはゆっくりとワインの入ったグラスを傾ける。
「シュバルツァーが帝都に戻ったことで、他の貴族達また騒がしくなるでしょう。」
息子の言を聞きながらオットーはグラスを傾ける。続けろという合図だ。
「もし、シュバルツァー大公自らなら、それほど気にする必要はありませんでした。しかしアレス・シュバルツァー…あの男は用心するに越したことはありません。あの男は火の粉を撒き散らす大きな炎です。火をみれば多くの人間が気持ちを高ぶらせます。油断をしていれば飲み込まれます。「雷帝」と呼ばれる陛下でさえも一目置かれている男です。迂闊に突けば、我らもまた無用の火の粉を浴びることになります。」
そう言ってサイオンは不敵に笑った。
「だが心配ありませぬ。我らがこの数年で行ってきた宮廷工作。早々揺らぐ事はありません。暫くは静観するのが良いでしょう。また、第一皇子や第二皇子の派閥、さらにはザクセン大公が無用に彼を突つくことでしょう。我らはそれを奴がどう切り抜けるか高みの見物としましょうか」
楽しそうに語るサイオンを見てオットーは思う。我が息子は覇王の器であると。内政で実績をあげたサイオンはセフィロス陛下の覚えもめでたい。またサイオンがここ数年かけて行ってきた宮廷工作で、ローゼンハイム家は第一皇子の派閥と同様の力を持つようになった。さらにサイオンはすでに第三皇女との婚約も決まっている。
「面白いことになってきた…我がローゼンハイム家がアルカディアの頂点に立つかも知れぬ」
そう言ってオットーは笑うのであった。
◆
「そうか。シュバルツァー公子が到着したか」
そう言って第二王女シルビアは獰猛な笑みを浮かべた。
シルビア・アルカディアは帝都では有名人だ。
第ニ皇女という身分もそうだが、彼女が指揮する「薔薇騎士団」は帝国でも常勝の部隊として名を馳せていた。その団長たる彼女も『雷将』という通り名で知られる帝国屈指の名将であった。
癖のある赤髪をたなびかせ、戦場を駆け回る姿はまるで戦女神のようであり、兵士達から絶対的な信頼を得ていた。
「はい。どうやら先週に到着した様子です。」
「先週?どう言うことだ??それならもっと前から情報が届いてもおかしくないはずだが」
「はい。どうやら…到着早々、登城もせず何処かに行っていたらしく…また、その後は知人の元へ通っていたそうです。他の貴族達が動いたのもここ数日でして……情報が届いておりませんでした。申し訳ありませぬ」
そう言って、シルビアの副官であるアストリアは頭を下げる。
「よい。して、他の貴族の出方はどうだ?」
「いくつかの貴族が早速シュバルツァー大公の屋敷に挨拶にいった様子。ただ…」
「ただ?」
「形式上の挨拶のみに終わったとか。贈り物も受け取らず、短い時間だけの面会だった、と憤っている者もおるとか」
「はっ!見え透いたやつは相手にもされずと言うところか」
笑いながらシルビアは腕を組む。
第一皇子カルロス、第二皇子ジョセフの両名は派閥の拡大に勤しんでいる。恐らく今後の皇位継承を有利に進めていくための布石であろう。また第一皇女エリザベートは夫のロンバルディア大公とともに主導権を握ろうと虎視眈々と狙っているし、第三皇女のアンネローゼは最大派閥のローゼンハイム大公家と婚約している。その背後には外戚のヘリオン公爵家の思惑も見える。
シルビア自らは帝国最強の三軍の一つ、薔薇騎士団をもち、派閥に属さない一つの大きな勢力となっているが…彼女の心配は他にあった。
「大切なコーネリアと幼いセリアスを護るためにも…手を結びたいところだな」
第一皇子カルロス、第二皇子ジョセフ、第一皇女エリザベート、第三皇女アンネローゼ……またその後ろ盾になっている貴族には、いずれも野心があり、東方征伐が終われば皇位継承を巡って争いが起きるはずである。
その時、第四皇女コーネリアと第三皇子セリアスを彼らは邪魔者として手始めに始末をするであろう。
そして父セフィロスは我が子の争いに興味を示すことはあるまい。彼にとって、子供は道具に過ぎないのだから…
話題の主、アレス・シュバルツァーとは一度轡を並べて戦った事がある。確か、東北の地の大規模な山賊を討伐した時。援軍として参加していたはず。幼いながら卓越した剣技と指揮能力をもっていたと記憶している。
「本音で話し合ったことはないが…果たしてどのような男か」
願わくば、心根も正しきものであるならば…
そう思い、ため息をつくシルビアだった。
◆
その三日後、各諸侯が皇宮への登城を命じられた日となった。
「さて、それでは行ってきますか」
アレスは屋敷の入り口でそう、家中のものに笑いかける。
「父上はすでに先に行ったらしい。アレスも気を引き締めて…」
「そんな、戦に行くわけではないんだから…」
心配そうなシャロンの言葉にアレスは笑った。
「大丈夫、今回は東方諸国に向けての宣戦さ。僕がどうこうと言うわけではないよ。」
そしてアレスは最後にこう言い残した。
「ただこれを機に間違いなく帝都は荒れるだろうよ。それは覚悟した方がいいね。僕は…その中で一番いい風に乗るとするさ」
そう言うとアレスは皇宮へ向かうための馬車に乗り込むのであった。




