シオン・トリスタン 昔語り その2 カシム・ザイード師
アルトリウス先生の推薦状を持って、私がカシム・ザイード師の家に向かったのは翌日のことだった。
事前に連絡を受けていたのだろう。
「君がトリスタンか。アルトリウスから話は聞いているよ。入りたまえ」
そう言うとカシム師は私を招いてくれた。
カシム師の容貌は肌が日に焼けており、それに比して鬢髪は綺麗な白色。頭にターバンを巻いている姿は異国の地の好々爺のようである。
部屋の中を見渡すと……家具などほとんどなく、机と椅子が僅かにある殺風景な部屋だ。
不審そうな私の顔を見て
「儂は、一つの場所に長く滞在せぬでな。それゆえ家具は置かぬよの」
とカラカラと笑った。
「して、お前は面白い男だの。この前の模擬戦はアルトリウスからじっくり聞かせてもらった。儂もいくつか質問したいで、教えてもらえぬかな?」
人懐っこい笑顔を見せて、そう話しかける。
その後私たちは模擬戦の話から始まり、その後は軍略の話に花を咲かせる事となった。
◆
カシム師が聞いてきたのはアルトリウス先生が尋ねた事と同じだった。そのため同じように返答をすることとなる。
しかし、その返答は全く違うものだった。
「なるほど。だいたいは儂の考えと同じか。だが儂なら、大声を出す、槍を叩きつける、一斉に突く、の他にもう一つ教えるがの」
「他に教えることがありますか?」
「あるさ。それは『逃げること』よ」
カシム師はそう言うと笑った。
私も聞くと同時に「はっ」とする。その表情を見てカシム師はニヤリと笑った。
「ほぅ、気付いたか?」
「なるほど、迂闊でした。確かに『逃げる』ことは戦術上では大切な事ですね」
「『逃げる』と言うのは恥ずかしい事ではない。戦においてもっとも大切なことの一つであると思う。崩れたら引いて立て直せばよいし、最悪の状態を回避することができる。命あっての物種よ。しかし最近の将兵は引く事を好まぬでなぁ……あれでは匹夫よ……」
私はその後一晩、寝ることも忘れてカシム師の家で語り合う事になった。軍略の話、政治の話、歴史の話、古今東西の英雄の話。
カシム師の話は面白かった。また、彼は全く見たこともないような本を持っており、それを紹介してくれた。馬が合ったのかもしれない。その日一日があっという間に過ぎていった。
最後に彼はこう言った。
「のう、シオン君よ。どの道、お前さんはあの勝負をしたバカ教授から命を狙われる事になるだろうしの。儂について大陸中見て回ってみんかね。アルトリウスに頼んで学院は休学という事にしておくわい」
そう言うとカシム師はゆっくり手を差し伸べる。
「儂は別にこの年まで弟子というものも取らずやってきた。中々見所がある奴もおらんかったしの。しかしな……当初はアルトリウスの法螺かと思うたが、今日共に話をして確信したわ。主は我と肩を並べる……いや我以上の『大馬鹿者』とな。これもまた運命かもしれぬ」
そして最後に笑って言った。
「どうじゃ。一応形上は儂の弟子と言うことで……いっしょに来んかね?」
私にとって何一つ文句のない提案だった。
カシム師の話は面白い。そして私の知らない事をたくさん知っている。それだけでなく、彼についていけば、その土地の珍しい本にも出会える……何も不満はなかった。
私は膝をおり、その手を取り笑って口を開いた。
「貴方から僅か1日だけで多くの事を学びました。今後も様々な事を教えていただけると嬉しく思います。どうか『大馬鹿者』を導いてくだされ。師よ」
こうして私は……放浪の大軍師カシムの最初で最後の弟子となった。
◆
学院を休学し、私はカシム師と共に様々な地域を回る事となった。
アルカディア帝国内の貴族同士の争いに介入したり、大陸東の小国の戦に加わったり。南方ツァルナゴーラの内乱鎮圧にも加わったこともある。
カシム師はどの陣営にも引っ張りだこだった。事実、見事な献策をし、味方を勝利に導いていた。
そのためその後の論功賞において、そのまま仕官を、と必ず請われることとなる。しかしいずれも首を縦に振ることはなかった。
私はカシム師になぜ仕官しないのか一度尋ねたことがある。
その際カシム師は
「仕えるべき主人に出会ってないだけよ」
と笑っていたが。
仕官してもらえないと分かるとその国の対応も変わってくる。他国に行かれればこれ程厄介な相手はいない。幽閉をしようとする国もあれば、暗殺者を送り込んできた国もあった。
しかしいずれにしてもカシム師は笑いながらそれを読んで躱し、他国に脱出するのだった。その行動力は見事としか言う事ができない。
毎日が本当に刺激的だった。また、カシム師の弟子という立場を利用して各国の首脳と出会ったり、様々な本も読ませてもらったりする事ができた。
カシム師は言う。
本を読め、学問をせよ。本の中には古代の叡智が眠っている、と。
また、時が経つにつれてカシム師の代わりに策を立てるようになっていった。
時折、カシム師は軍議の最中、私に話を振ってくる。その都度、私は大勢の前で策を披露する事となった。その姿をカシム師は満足そうに眺めていたものだ……
毎日が目まぐるしく変わる日々。
私は学院では得られない様々な体験をする事ができたのだった。
◆
カシム師について数年の年月が経つ。
学院の方はアルトリウス先生の協力のおかげで卒業する事ができた。おそらく、強引に他の教授を説得してくださったのか、単位を偽造して下さったのか、そんなところだろう。
多くのもの達は訝しがっていた……まぁ、それほど出席もしていないのに卒業できたなら、それも納得か。私はというと、そんな他人の目など別に気にはしていなかったが。
当然学院の卒業式にも出席する事はなく、異国の地でその事実を知った。
皇立学院の存在も、すでに私の中では過去のものとなっていた。
そんな私の元に今、二通の手紙がある。
一通は友人であるジョルジュからだ。
彼は学院の首席として卒業した後帝都での役人づとめをしているらしい……彼の頭脳は非常に鋭い。政務に関しては私は彼にかなわないだろう。おそらく学院史上最大の秀才ではなかろうか……だが、あの性格を抑えるのは難しい。おそらく何処かで揉める事だろう。頭脳と同時に性格も舌鋒も剃刀のような男だからだ……
早速彼の手紙には帝都の役人の仕事に対する意欲やスタンスについての悪口が書かれていた。また、貴族達への不満も。
そして最後には他の友人達の事にも触れてはいたが……どいつもこいつも一癖二癖はあるもの達。どうやら皆苦労をしているらしい。
彼らが無事に勤め上げることを……祈るしかない。
そしてもう一通はアルトリウス先生からだ。
私の卒業するまでの手続きの事や、最近の帝都での近況などが書いてあった。
やはりアルトリウス先生には頭が上がらない。今、カシム師から学んでいるということを、論文にまとめ提出することで単位として認めてられるよう手配して下さったのはアルトリウス先生だ。
いつかは先生にお礼を言わねば……そう思っている。
閑話休題。
さて。
卒業してからもカシム師について様々な国を訪れた。最近ではカシム師に代わり私が主に策を立てる事が多かった。
カシム師ももう、お年である。やはり過度の移動は厳しい。そのため遠方の場合は私が赴くようになっていた。
ある日の事。私はカシム師の庵で二通の書状を目にする事になる。
「師よ……これは……?」
「まずは二通の手紙を見てみよ」
双方共に軍師としての協力依頼の書状だった。場所は……アルカディア帝国西部、モルオルト侯爵領。そしてそこは……私の故郷であるトリスタン準男爵領が含まれる地であった。
一方の差出人は領主であるモルオルト侯爵。
民衆や騎士、そして小領主達が手を結び反乱を起こそうとしている。これを自らの手で鎮圧したいという趣旨の内容。
「極力自分で鎮圧し、帝室の影響を受けたくないという考えでしょうねぇ」
現在アルカディア帝国地方部は貴族達の自治で治めている。それゆえ領地では領主は絶大な権力を持つが……彼らが一番恐れているのは、その領地を没収される事だ。民衆の反乱などが起これば当然責任を問われる事となる。
もし仮に帝都に依頼してアルカディア本隊でも動かそうものなら……確実に領地の半分は没収されるであろう。
現在の皇帝、セフィロス・アルカディア陛下は貴族の力を削ぎ、皇帝直属、もしくは皇族やそれに連なる者の領地を増やして影響力をさらに大きくしようとしている。容赦無くそのようにするだろう。
「まぁモルオルト侯爵はあまりいい噂は聞きませんから……自業自得と言えるでしょう。ただ、あの家は武門の家柄。持っている領兵や騎士団の数も多い。反乱ぐらいなら自分で鎮圧できるはずですが?」
「まぁ、儂らに頼ってより確実に勝利が欲しかったんじゃろ」
そういうとカシム師は別の資料を机の上に投げる。
見るとそこにはモルオルト侯爵が行ってきた悪行が箇条書きで書き連なっていた。
「民衆から富を搾り取るのをはじめ、賊と手を結んでの隣領への略奪、中央貴族への収賄……果ては民衆の虐殺……常軌を逸しているわい」
そう言うと今度はもう一通の書状を手渡す。
「こっちの方は……反乱側の者達からの依頼ですか?」
そこにはモルオルト侯爵への悪行に対する困窮ぶりが見て取れた。そして、現状の苦しさも。
おそらく反乱軍はその場の勢いで立ち上がり、現状をどうするか手立てがないのだろう。
「モルオルト侯爵の騎士団が三千。領兵が五千……それに対して反乱軍は農民主体の二千ですか……厳しい戦いでしょうね」
そう言いながら、反乱軍の書状を見て愕然とする。そこに書かれた名前にはモルオルト侯爵の頼子達であろう、数名の男爵や準男爵、そして騎士達の名前が連名で書かれており、その中に
帝国準男爵 ルーク・トリスタン
そう。弟の名前が書かれていたのだった。
「さて……はっきり言うと反乱軍が勝利をするには中々厳しい状況じゃ。モルオルト侯爵は武門の出。騎士団も領兵も訓練を積んでおる。対して反乱軍は数が半分以下であり、戦の仕方を知らぬものが多い……まともに戦えるのはおそらく数名の騎士や下級貴族達の兵ぐらいじゃろう……さて、お主ならどちらに味方する?」
カシム師は私に問いかけてくる。
しばらく考えた後、私はカシム師の方に顔を上げ、自らの考えを伝える。
この内乱……本来ならば侯爵家の反乱。歴史の流れの中では注目されないものである。しかしこの争いは、その後アルカディア大陸の歴史の中でも注目されるものとなる。後に「奴隷戦争」と言われる戦……貴族と獣人達のような差別されたものの争いはここから始まるのであった。




