シオン・トリスタン 昔語り その1 皇立学院の奇人
私はアルカディア帝国のとある小さな領主の長男として生まれた。爵位は準男爵である。
トリスタン家は元々帝国騎士の家柄であり、剣で準男爵にのし上がった一族である。
父は初め、長男の私に期待をかけた。
爵位を上げるには、戦で活躍するのが最も手っ取り早い。ゆくゆくは男爵家になるために……父は私に剣術を仕込もうとしたが、残念ながら全くと言っていいほど剣の才能がなかった。
失望した父は私より剣の才がある、弟のルークに期待をかけることになる。そのため私は屋敷の中ではお荷物になってしまった。
剣の一族に生まれながらも、才がない……父も母も私の扱いに頭を抱えていた。他家からの目もある。
そのため、屋敷の中で私は徐々にいないものとされてしまう。父からも母からも、そして仕えている召使い達からも。
ルークを初め、他の兄弟達とは仲が悪い訳ではなかった。そのため彼らは随分と私に気を使っていたのが気の毒だったが……
家を継ぐことはできなくなったであろうことは理解していた。そして……私自身、別にそんな地位にこだわりはなかった。
家を継げなくなったことで、私にとってその地位よりももっと大切なものを手に入れたことが、とても大事だった。それは………
「読書をする時間」
だった。
私は幼い頃から本を読むのが好きだった。寝ても覚めても暇さえあれば本を読んだ。
本はいい。この中には様々な人類の叡智が詰まっている。私の知りたい事は全て本の中に書いてあった。
私の領地はアルカディア帝国でも片田舎であり、またとても小さい。そのため、常に本がある訳ではないため、時折近くにあるザクセン大公家の領都に言っては本を仕入れてきた。しかし、それでは良い本に巡り会う可能性は低い。できることなら多くの本がいつもある環境にいたい。
私はそこである事に目をつける。それは皇立学院への留学であった。
屋敷の厄介者として扱いに困っていた私を父は喜んで帝都へ送ってくれた。最低限の路銀を貰い、私は十数年住み慣れた故郷を後にする。
私にとって故郷に対する未練などまったく存在しなかった。
◆
私が所属したのは皇立学院の戦略・政略科であった。
皇立学院は複数の科から成り立っている。
一般市民が試験を受けて進学する普通科。
貴族が領地経営などを学ぶ貴族科。
魔術師たちが研究に勤しむ魔導科。
騎士の家柄が騎士道を修める騎士科。
商人や職人達がその技を身につける商工科。
そして私が所属したのは、主に戦術、戦略や政務全般を学ぶ戦略・政略科だった。
皇立学院に入学するためには、貴族以外では試験に合格する事が必要になってくる。すなわち男爵以上の爵位が必要になるため……準男爵の家柄である私も試験を受ける事となった。
試験は思ったより簡単な内容だった。今まで本で読んできた事が出題された。また、そうでなくとも、本で学んだことを応用すればほとんどの問題を解くことができた。
試験の数日後、私は戦略・政略科で合格したことを知る。
本来、私は普通科で入学する予定だったのだが……どうやら試験の結果を見た、ある教授からの推薦で変わったそうである。
ただ私にとってはどこで学ぼうと関係はなかった。私にとって大切なのは皇立学院の学生という立場だ。事実、そのおかげでこの帝都の大図書館でいつでも本を読む事が出来るようになったのだから……
私はこうして自分が望んでいた最高の環境を手に入れたのだった。
◆
入学してからすでに3年が経とうとしていた。
講義の内容は、はっきり言って面白いと思った事がなかった。なぜなら、ほとんどが私にとって知っている知識だからだ。そのため、私はよく授業をサボった。時折出ても、講義を聞かず、本を読んでいるか寝ているかだった。
そんな態度からか……当然成績は悪い。だが試験は無難にこなしていたため、落第をする事はなかった。
友人は、そんな私を見限るか……面白がって付き合うかのどちらかだった。特に……首席だったジョルジュとは馬が合い、サボった授業に関してはよく助けてもらった。
ある日の事。私はとある戦術の講義を寝惚け眼で聞いている際、その教授の言の不合理さに気が付いた事があった。
その教授が言っていたのは
「短い槍の方が長い槍より有利である」
という内容。私は目をこすりながら指摘した。
「先生が言っている事は間違っています」
その場が凍りつく。
「ふ…ふざけるなっ!!これに関しては古代の英雄も言っているっ!!」
「時と場合によるということです。確かに短い槍が有利の場合もあります。でも、広い戦場では明らかに長い方が有利です」
「サボりばかりの奴が……いったい何をいうか!」
「じゃあサボらないような内容にしてくださいよ」
その教授は先日配属された新進気鋭の若い教授だった。
彼は私に自分の考えに対して水を差されたのが非常に腹立たしかったらしく、その後事あるごとに私の悪口を言っていた。さらに、学院の副学長であり、戦略・政略科の名誉教授でもあったアルトリウス先生に私の退学を進めたそうである。
アルトリウス先生はその話を聞き、
「なら他の生徒に協力してもらって、どちらが有益か模擬戦で判断しては?」
とのことになった。
もし、教授が勝ったら私は停学。
私が勝てば、教授が謝罪をする。
訓練期間は5日間。
模擬戦で協力してもらうのは武術の経験のない普通科の男子20名。
教授はこの話を聞くと喜び勇み、すぐさま知り合いの槍の達人に連絡をして5日間、学生を徹夜でしごき上げたそうだ。
そして模擬戦の日となった。
噂が噂を呼び、この日は多くの観客がいた。学院長他、教授、学生といった多くの学院の者達。また噂を聞きつけた貴族まで。模擬戦が行われる騎士科の練習場は多くの人で埋め尽くされていた。
さて、そんな中、始まりの鐘が叩かれる。
教授が指揮する短槍の学生が一斉に襲いかかってきた。そんな中、長槍の学生は一箇所に固まり陣形を整える。そして長い槍を相手の方に向けた。一瞬怯む短槍の学生達。
私はその様子を見た瞬間、合図の鐘を鳴らす。合図とともに、長槍の学生は大声をあげ、槍を振り上げた。
短槍の学生の足が完全に止まる。
その瞬間、長槍が振り下ろされた。追い討ちをかけるように無数の突きが繰り出される。
短槍の学生は、槍を投げ捨て踵を返して走り去る。
遠くで顔を赤くして、例の教授が叫んでいるのが見えた。
私の勝ちはもはや誰の目にも明らかだった。
◆
この模擬戦は学院で非常に話題となった。
私に敗れた教授はその次の日退職届を出したそうだ。
ちょっと申し訳ない事をしたと罪悪感を感じたが……まぁ仕方あるまい。
そして一週間後、私はアルトリウス先生に呼ばれた。
先生は戦略・政略科の名誉教授であり、またこの学院の副学長を務めておられる方だ。
先生の授業は本で得られぬ知識が多い。実際の実地体験に基づく、講義内容。
「なぜアルカディアには飢えている民が多数いるのか、その政治の問題点」
「身分による差別とそのデメリット」
「政略から見る戦略的視点」
中々際どい内容も多かったが……それが私の興味を掻き立てる。
私はアルトリウス先生の講義だけは居眠りも読書もせず聴いていたものだ。
そのアルトリウス先生に教授棟に私は向かう。
そしてそれが私の運命を大きく変えることとなる。
◆
「やぁ、わざわざすまないね」
そう言うとアルトリウス先生は私に椅子に座るよう勧めた。私もそれに従って、ゆっくりと腰をかける。
「君にちょっと話しておきたいことがあってね……あぁ、カッファでいいかな?南方の飲み物で癖はちょっと強いが……」
「なんでも構いません。お構いなく…」
そう言うとアルトリウス先生はにっこり笑い、慣れた手つきでカッファの準備をする。
カッファは南方の大国ツァルナゴーラでよく飲まれる飲み物である。口当たりは苦いが、実に奥深い味のする飲み物だ。
私の前にカッファを置くと先生もまた椅子に腰掛け、そして口を開いた。
「最近、また授業をサボっているようだが?」
「………」
突然の言葉に私はバツの悪い顔をする。
「どうせ君のことだ。帝都の大図書館にでもいるのだろう?」
そう言って笑うとアルトリウス先生はカップを、上品な仕草で持ち、口に運んだ。
私もそれに合わせてカップを口に運ぶ。
口の中がなんとも言えない苦味で満たされる。
「さて……模擬戦の件で聞きたいことがある」
そう言うと先生は視線を下に向けて口を開いた。
「君は5日の訓練のうち3日を遊び、1日休憩、そして1日で大声を出す事と叩きつける事、そして槍を前に出すことしか伝えなかったらしいね」
先生の横にはおそらく今回の件の資料であろう、書類が置かれており、それに目を通しながら言葉を続けた。
「なぜ、このような訓練を?」
「先生は5日でなんとかできるとお考えですか?」
私もまた、カップを机に置き、口を開いた。
「なるほど、確かに達人でしたら短槍の方が使い勝手がいい場合もあるでしょう。しかし一般の兵……特に武術の心得のないもの達が扱う場合は話が異なります。では、その素人が戦さ場に出た際に有効なのは……やはり長い槍なのです」
アルトリウス先生は私の言葉を興味深く聴いている。
「実際の戦でも同じことが言えると思います。万の人間が短い槍を達人のように扱う事は例え何年かかっても不可能でしょう。では……長い槍ならば使い方を統一すれば、素人でも脅威となります」
「なるほど……だから三つだけ教えたわけだ。では3日……いや4日も遊んだわけは?」
「普通科の学生にとって、こんな事別にやりたいわけではないでしょう?だったら思う存分遊んでやる気を出してくれた方がいいじゃないですか」
それを聴いてアルトリウス先生は初めはキョトンとし、そして大きな声で笑った。
「いや。愉快愉快。どうやら君には将の才もあるようだ」
そう言うと先生は真面目な顔をして私の顔を覗き込んだ。
「さて。本題に入ろうか。君に会わせたい人間がいてね」
そして一枚の紙を懐からだした。覗き込むとそこには住所らしきものが書いてある。
「大図書館にこもる君には深い知識が存在する。将としての才がある事も分かった。だが、経験が足りぬ。それをこの男から学んで欲しい。儂から推薦しておく」
「正直あまり興味はありませんが……先生がそこまで言うなら、一度会いに行こうと思います。して何者ですか?」
私が住所を眺めながら問うた内容に先生は驚くべき返答をした。
「カシム・サイード。人は彼を『放浪の大軍師』と呼ぶ。名前ぐらい聞いたことがあるだろう?」
『放浪の大軍師 カシム』
聞いたことがあるだろう、どころではない。
彼がつけば勝利が確約されるとも言われた大軍師だ。
多くの王侯貴族、はたまたこのアルカディア帝国の皇帝も喉から手が出るほど彼を欲しがってると聞く。しかし、誰が相手でも首を縦には振らないらしい。
私はしばらく考えた後、先生に一つの質問を投げかけた。
「なぜ、先生は私に彼と会うのを進めるのですか?」
「一つ目の理由として……君が最も必要としていることがそこにあるからさ」
そう言うと先生はにっこりと笑った。
「なるほど、確かに君の頭脳には莫大な知識が詰まっている。それを使えるよう『経験』を積み、自由に飛び回る翼を手に入れてみないかね?」
「他には?」
「二つ目は……どうやらあの教授が君に報復をしたがっている。ここにいるのはあまり良くはない」
「あぁ……なるほど。それは薄々勘付いていました」
恨まれてもおかしくない事をした。なら、あの教授が次の手を考えるのは必然であろう。
私は小さく溜息をついた。
「最後に……向こうが君の事を聞いて会いたがったいるのだよ。だから悪い話ではないと思うがね」
そう言うとアルトリウス先生はニヤリと笑い、再びカップを口に運ぶのだった。




