シャロン 昔語り 伯爵令嬢誘拐事件 前編
まったく、アレスはいつもそうだ。
私と約束をしても誰がが泣いていると後先考えずそちらに向かってしまう。そう、自分のことを全く考えずにだ。
今回だって賊討伐からの連戦だ。ましてや、本来は軍を編成して討伐に当たる「龍種」を相手にしたという……いくら体力のあるアレスだって、あの疲れた顔を見ていればちょっと無理をしたんだろうということぐらい解る。
「なんであいつはそうやってすぐ無理をするんだろう……?」
心配を通り越して不安になってくる。
◆
アレスとの出会いはもう随分と前のこと。彼とは物心つく頃から一緒にいた。
我がロクシアータ伯爵家は、シュバルツァー大公家の寄子として、庇護を受ける立場にある。
アルカディア帝国の貴族の間では「寄親・寄子」制度がある。
全ての貴族が皇帝陛下に対して忠誠を誓うが、それとは別に小さな貴族が侯爵家以上の大貴族に対して忠誠を誓う制度である。保護する大貴族のことを寄親、逆に守られる貴族を寄子と呼んだ。
寄子の貴族にとって、どの寄親を選ぶかは死活問題である。保護される代わりに寄親の命令は絶対であるからだ。
また、寄親にとって多くの寄子をもつことは、1つの派閥を作る上でも重要なことである。
例えばシュバルツァー大公家やザクセン大公家は武門の家柄。彼らの元には武門の家柄の貴族がつき、アルカディア帝国軍の中では一大勢力となっていた。
ロクシアータ家はそのシュバルツァー家の寄子として、北方の守護を務める武門の家柄であった。
そして私はそんな伯爵家の一人娘として生を受けた。
現大公閣下、エドガー様は誰とでも気さくに話される方なので、我が父ロイドとも幼少の頃から深い付き合いがあった。そのため、年が近いことを理由に私もアレスの遊び相手として、よくロマリアの城に遊びに行ったものだ。
アレスが幼い頃は体も弱く泣き虫だった。私が一緒にいないと外に遊びに行くこともできない大人しい子だった。ただ、どんな人にも差別なく、優しく、礼儀正しいので誰からも好かれていたのを覚えている。
ロクシアータ家は代々武門の家系である。そのため、私も幼い頃から剣術を学んでおり、軟弱な事を言うことが多いアレスに対しては随分とキツくあたっていたように思う。それでも彼はいつも笑って接してくれていたが。
ある日、アレスは原因不明の病になった。高熱にうなされ、意識も朦朧としているアレス。見舞いにいった際、その姿を見た時……私は初めてアレスがいなくなるかもしれないという事実に恐怖を覚えた。そしてそれだけ大きな存在であることに気付かされた瞬間だった。
その後、伯爵領に戻った私は何度も何度も、こっそりと教会の女神様にお願いをした。どうかアレスを治してほしいって……
その願いが通じたのか、アレスの病が治ったと聞いた。しかし、それから一年間、私は会うことを許されなかった。何故だと父に聞いてもはっきりとした答えは返ってこなかった。
一年後、アレスと会うことが許された時…彼が何か変わった事を感じた。あの時はそれが何かは分からなかったけど……
アレスは、本をたくさん読むようになった。それこそ、何が書いてあるかさっぱり分からない様な難しい本を読んでいた。
剣の稽古に誘うも、その時はハッキリとした口調でアレスは毎回断るようになった。いつもだったら下手くそながらもついてきたのに……その時も私はいつも以上にキツい言葉をアレスにかけていたように思う。他の人たち……例えばカイゼル達と比べて軟弱者と馬鹿にしたこともある……勿論彼の奮起を期待してだったけど。
アレスを知っている人間のほとんどがあまりの変わりように訝しがり、あれほど可愛がられていたのに……気味悪がって少しずつ人が離れるようになった。
でも、私は知っていたのだ。確かに以前と性格に変化がおきたのかもしれないが、その本質は全く変わっていないことを。
誰に対しても分け隔てなく接する優しさ、そして、どんな事でも諦めない意思の強さ。
アレスは変わっていない。そう思っていた。
そう……あの日が来るまでは。
◆
それは私達が15になった頃のことだ。
ちょうどこの時、皇立学院の長期休暇で一時帰国の時だった。
私は乗っていた馬車ごと、とある貴族の私兵に攫われるという事件がおきた。
魔の森を挟んで東にある、ゴドン子爵家の跡取り息子がどうやら私を攫うよう、私兵に命じたらしい。
ゴドン子爵家はあまりいい噂を聞かない家だ。
金に五月蝿く、そのためなら山賊まがいの事もすると聞いている。とくにその跡取りのバカ息子にいたっては私が帝都、皇立学園の騎士科に遊学していた際にも乱行が聞こえてくるぐらいだ。
領民に対して横暴な態度を取り、搾取する。村や町の娘どもをかどわかし乱暴するなど日常茶飯事。普段から酒を飲んで暴れ、気に入らなければ、領民を斬り殺す。
また、皇帝陛下の耳に入らないよう、それらを家の力で隠していると聞く。
そういえば……思い返すとと私に求婚を申し込んできた貴族の中で、しつこい連中の一人にそんな名前の奴がいた。
となると、今回の件は返答を無視したことによる腹いせか。
その後、私はゴドン子爵とその跡取り息子の前に連れていかれた。そして予想通り、息子との婚姻を進めることを脅迫させられた。
バカ息子は私が目当。そしてゴドン子爵はロクシアータ伯爵家の家柄と結納金が目当。
「今あなたがここを出るには、それしかありませんよぅ。大人しくゴドン家に嫁いだらどうです?」
一度見たことは会ったが……子爵もその息子も品のなさが体中から滲み出ているな。
「何度も言っている。寝言は寝て言え。そもそも、お前がこのような事をやったことが表立って知られたら、ゴドン子爵家は取り潰しだ。私の家は伯爵位。貴殿よりも立場は上だが?また寄親の大公家も黙ってはいないぞ」
普通に考えれば、この様な暴挙はしない。ゴドン子爵家など取り潰す事はいくらでも可能であるからだ。
「いえいえ、そうでもないんですよ」
そう言って、ゴドン子爵とその跡取り息子ニヤニヤと笑う。
下卑た笑いだ……
私は吐き気が出るほど不愉快になった。
「最近私は第二皇子殿下の覚えがよいですから……頼めばなんとかなるものです。第二皇子殿も貴殿のことを見たいと申しておりまして。帝都でも有名らしいですからな。皇立学院の騎士姫殿」
(第二皇子ときたか…)
第二皇子ジョセフ殿下もまた、アルカディア皇家では良い噂が聞こえない人物である。
アルカディア帝国皇帝にして、「雷帝」の異名をもつセフィロス陛下も随分手を焼いていると聞く。そして「雷帝」セフィロスは親族には割と甘い。
(類は友を呼ぶとはよく言ったものだ…)
皇家の名がでてきた事で、雲行きが怪しくなってきた。
第二皇子なら揉み消すのも簡単だろう。賊に攫われ行方不明ということにして、私を性奴隷とすることも可能というわけだ。もしかしたら第二皇子こそ。その黒幕でそのつもりなのかもしれない。
例え大公家と言えども敵に回すには厄介な相手である。伯爵家程度なら相手にもならないだろう。
しかし、少し納得したところもある。なぜ、私が攫われて……まだ無事なのか。きっと第二皇子が絡んでいるため、動く事ができないのであろう。
いざという時、自害するために使う短剣は懐に忍ばせてある。ここで、この様な小者に屈するのは屈辱の極みだが、辱めを受け家名を穢すぐらいなら自害した方がマシだ。
様々な考えを巡らせている間に、このボンクラ親子は私に様々な勧誘をかけてくる。もう、いい加減にして欲しいーーそう思っていた時。
「おーい、シャロン。迎えに来たよ」
「は??」
時が止まった。
この場の空気に合わないノンビリとした声に、某然とする私とゴドン子爵親子。
振り返ると、片手に剣を握ったアレスがニコニコ微笑みながら立っていたのだ。しかし、その姿は壮絶だった。返り血が顔にも飛び散っており、服は真っ赤に染まっていた。
「あ、ゴドン子爵ですか?初めまして。ダメですよー、このような形で人の友人攫っちゃ。お陰でちょっと本気になって暴れちゃったじゃないですか。いいですか、貴方の選択肢は一つだけです。それはこのまま黙ってシャロンを、返すこと。それ以外は認めま……」
「お前は何を言っている?」
そう言って跡取り息子の方が鼻息荒くアレスの言葉を遮る。どうやら突然現れ淡々と話すアレスに対し、キレたようだ。
「貴様がこの俺をどうすると」
「いや、君と話をしているわけでなく。僕はゴドン子爵と」
「ふざけるな!!ここは俺の館だ。勝手なことをすると、お前も」
その様子を見て アレスはため息を一つついたあと跡取り息子の言葉を最後まで聞かずに呟いた。
「黙れよ」
アレスがそう言ったのと同時に跡取り息子の手首が宙を舞う。
「がああぁぁぁぁぁあああ!!!??」
叫び狂う、跡取り息子。
私は思わず息を飲んだ。
「手がぁ!手がぁぁあ!?」
「だから黙れって」
再びそう呟いたのと同時に、今度はその頭が飛んでいく。跡取り息子の首は大きな血のアーチを描きながら、窓側の方まで飛んでいった。
「ひいいいいぃぃ!」
ゴドン子爵が尻餅をついて叫ぶ。
全く剣筋が見えなかったーーアレスは恐らく右手に握っている剣を使ったのだろうけど、振った様子が全く見えない。
「ま、元々話を聞くつもりも、生かすつもりはなかったけどね。」
そう言ってくるりとアレスは顔の向きをゴドン子爵に向けた。何が起きたのか分からず完全に混乱しているゴドン子爵にアレスは言い放つ。
「すでにシュバルツァー大公家から皇帝陛下の耳には今回の件は連絡済みです。皇帝陛下のご判断をお伝えしますね。」
一息置いた後、アレスはゴドン子爵に壮絶な笑顔をむけた。
それを見た時、私もゴドン子爵も体が動かなくなるほどの威圧を受ける。
ーー怖いーー
これがーーあのアレスなのか??穏やかで私の言うことをただ、聞いているだけのーー?
「ゴドン子爵家は取り潰し。領地はシュバルツァー大公家に組み込まれ、領主は処刑」
「ばっ、馬鹿な!!」
「嘘じゃないですよ。ここに皇帝陛下の勅許もあるでしょ?」
「貴様は…貴様はいきなり現れて何なんだ!?」
「あぁ、名乗ってなかったですね。僕はアレス・シュバルツァー。シュバルツァー大公家の跡取りです。本当は我が領内から兵が送られる予定でしたけど、そこのシャロンは幼い頃からずっと一緒だった人なんで。ちょっと頭にきて、先に直接来させていただきました」
「そんな事を聞いているわけではない!!」
子爵の大きな声が響きわたる。
「ここまでくるのにどれだけかかったと思っている…儂がどれだけ今までやってきたか…」
ワナワナと震え、睨む子爵。
「こいつを切って捨てろ!!誰かいないのか!!」
子爵がそう言うと……隣の部屋から数人の傭兵らしきものたちが現れる。恐らく金を使って子爵が集めた用心棒だろう。しかし、私はその中の一人に見覚えがあった。
(あれはもしや……『紅の死神』か!?)
傭兵崩れ達の後ろから無表情でついてくる一人の痩せている男。胸の紅三日月の首飾りがその証。
(帝都でも有名な殺し屋がなぜここにっ!!?」
ゴドン子爵は叫ぶ。
「こ…殺せ……殺してしまえ!!」
「いいのか?こいつも貴族なんだろ?」
「構わん。生きていればなんとかなる。やってしまえ!」
子爵の言葉を聞き、男たちは雄叫びをあげる。
「よし、この優男は殺せ。女は犯してから殺せ……?」
その、瞬間……
男たちの首が空高く舞い上がった。
「邪魔だなぁ……とっとと眠っててよ…」
一体何が起こったのか……呆然とする子爵と私。
アレスが剣を一振りした瞬間……傭兵崩れの首が飛んでいったのだった……ただ一人を除いて。
見れば『紅の死神』は一人だけ距離をとっている。しかしその顔は驚きに彩られていた。
アレスは何事もなかった様に『紅の死神』の方に体を向け、言葉を続ける。
「そしてどうやら君は……一筋縄ではないいかなそうだね?」
アレスはゆっくりと長剣を握りなおすと……そう言って笑うのだった。




