イストレアの一手
「正直、こんなに早く手を打つとは思わなかったな」
アレスは笑いながら、横にいたゼッカに呟いた。
彼の手には一通の書状がある。ゼッカから渡された、ここ数日の報告書である。
そしてそこにはアルフレド達がイストレア貴族を『粛清』した顛末が克明に書かれていたのだった。
「まぁ、これで僕は動きやすくなり、彼らも僕に弱みを握られなくなる……両者両得、と言う事にしようか」
そう言うと、アレスはその報告書をそっと机上に置いた。
イストレアの勢力図については彼の地に入る前から既に把握済みであった。
アルフレドを始め、政務を携わっていた官僚達が所属する宰相派。
そしてラージュ・ゴメスを筆頭にイストレアの名門貴族達が属する貴族派。
お互い対立し、その力は拮抗しており……そして国家存亡が関わるほどの危機的状況にもかかわらず非常に不安定な状況であったと言う事を。
アルフレド達、宰相派が国を守るために奔走しているのを、ただ、己が権力保持のために足を引っ張る貴族派貴族達。
その貴族派の筆頭、ラージュ・ゴメスがバイゼルドと繋がろうとしていたのもまた、イストレアに入る前からアレスは情報を受けていた。
小者の行動と思って侮るなかれ、こういう者ほど、予想だにしない動きをする時がある。
それ故に、今後バイゼルドと戦う中で足を引っ張って来る可能性も予測し、事前に対策も練っていたほどだ。
「そして万が一そうなれば、さらにそれを利用しようとは思っていたけど……その必要はなくなったね」
と言ってアレスは笑った。
彼らに偽の情報を流して撹乱したり、バイゼルドに合流する背後から奇襲をかけたり……やりようはいくらでもあった。
そしてそれだけではない。アレスが彼らを利用しようと考えていたのは、彼らを一掃した後である。
叛逆者をこちら主導で一掃する事はアルフレドら宰相派に多大な恩を着せることとなる。そうすれば今以上にイストレア国内に影響力をもたせる事が可能となり、今後の東大陸の統治はよりやりやすいものとなるであろう。
イストレアは今、完全にこちらの手中にある。恐らく裏切る事などはないとも思ってはいる。
しかしこの乱世。いつ、味方がこの掌から飛び出すかはわからない。
そう考えると、相手に対して沢山のカードがある方が有利には違いない。
「まぁ彼らとしても、あまり恩を受けるのはやりにくくなるだろうしね。また、こちらとしても毎回足を引っ張られたら多少の影響は受けるかもしれない。これで良かったんだろう」
そして思う。その派閥の長のエルダンも有能だが、彼だけの青写真ではないだろう。恐らくはあのアルフレドが、戦の後の事まで考えて、早急に手を打ったに違いない。
やはりアルフレドという男は優秀だ。だからこそ……
「東大陸を手に入れる事もそうだけど……やはりあの男は何が何でもこちらに引き入れないとね……」
そう言って愉快そうに笑うアレスであった。
◆
イストレアに入ってから5日ほど経つ。貴族派が一掃された事で、多少の混乱はあると思われたが、そこは流石のアルフレド。このような事態について事前に用意しており、それほど大きな混乱は見られなかった。
粛々と処理が終わっていくその間、アレスはイレーヌやエルダン、そしてアルフレドと共に、今後の動きについて様々な打ち合わせを行ってきた。
主たる内容はやはりドルマディア、バイゼルド両国に対する戦についてである。
「シグルド、ダリウス両将軍が戻り、補給および休息をとった後、ホルスとトロント、二国に軍を進めようと思っています。イストレアは後方支援……物資などを送ってくださるよう手配してください」
アレスは地図を指差しながら彼らに説明をする。
「閣下の作戦は承知しています。そして、それを可能にするほどの戦力である事も。しかし……それを含めて考えたとしても、やはりこの二国を相手にするならば数が少なすぎではありませんか?勝つとは言え、被害も全くないとは思えないのですが……??」
アルフレドの言葉にアレスは頷く。
「えぇ。そのために……」
アレスはそう言うとホルス、そしてトロント……そしてその先にある滅亡したいくつかの国々の都があった街を指差した。
「彼の地の民はいずれも塗炭の苦しみを味わっています。彼らに暴動を起こさせ、国の内部からも奴らを追い詰めていきましょう」
そう言って三人の顔を眺めた。
「……しかしそれでは無辜の民草に被害が及びませんか??」
アレスの言葉に、憂いのある表情を見せたのはイレーヌである。その言葉を聞き、アレスは彼女を安心させるような笑みを見せ、そして口を開いた。
「何もせず手にした自由はすぐに壊れるものです」
彼はそう一呼吸置いて、言葉を続ける。
「与えられた自由に甘んじてしまえば、彼らは次の困難が来ても助けを待つだけになるでしょう……しかし、それを本当の自由と呼べるとでしょうか?」
アレスは言う。
本当の自由とは己が手で勝ち取るものである、と。
そして人は、その自分で勝ち取った自由を守るためならば、知恵を絞り勇気を出して命がけで守ろうとするに違いない。
そして、それこそが……本当の自由を得る、と言う事なのだ、と。
アレスの言葉に3人は言葉を失った。
そしてイレーヌは深々と頭を下げ、そして謝罪をした。
「閣下の深慮遠謀……深く感じ入りました。私がでしゃばるような場面ではありませんでした。申し訳ありません」
「いえ、イレーヌ陛下のお気持ちもわかります。本当は……もっと素直に助けたいんですけどね……」
そう言ってアレスはイレーヌに笑いかけた。
「いずれにしても、この戦を終わらせるためにも……東大陸の皆さんの協力が必要です。しっかり連携を取りながらやっていきましょう」
◆
会議から始まり、様々な相談、そして打ち合わせ……
イストレアに入ってから、アレスの一日はあっという間に終わる。
「やる事が流石に多いな……シオンがジョルジュを連れてくるべきだったかな……?」
そう言ってアレスは2人の顔を思い浮かべた。
「いや、あの2人が来るわけないか」
シオンはあの生来の面倒くさがり、そしてジョルジュは領内の開発に夢中だ。
「北の地には行きましたが……今回は主だけで充分ですよねっ!!たまには私に本を読む時間をください」
そう言って東征を断固拒否したシオンの顔を思い出し、アレスはクスリと笑った。
そんな夜も更けた頃……
突然アレスはイレーヌから話があると彼女の自室に招かれたのであった。
部屋の中央に置かれているソファに腰をかけながら、アレスはキョロキョロと辺りを見渡す。
(うぅむ……居心地が悪い……)
プライベートな女性の部屋。室内は綺麗に整えられており、控えめに飾られている白い百合が彼女の嫋やかさを象徴しているようだ。
そして……視界には王族らしい豪奢なベッドが目に入り、どうにも落ち着かない。
大陸中に名の知れた英雄であり、沢山の妻をもつアレスではあるが……やはり女性の部屋では緊張もする。
(一体、こんな時間になんの呼び出しだろうか……)
もしかしたら何かの策略かも知れない……そんな事を考えた時。
ガチャリ
アレスの耳に扉が開く音が聴こえ、そしてイレーヌがおずおずと入ってきたのであった。
「お待たせいたしました……」
「あぁ、いえ、そんな事は…………って、はい!?」
とっさに返事をしたアレスはその声の方向に目をやり……そして思わず目線をそらした。
アレスが目を背けた理由……それは、そこに裸体が透けて見えるほどの薄いピンク色の寝衣を身に纏ったイレーヌの姿があったからである。
豊満なまでの胸がはっきりと見え、薄い下着を纏っているのがよくわかる。
これにはアレスも流石に動揺を隠せなかった。
「へ……陛下!流石にこれはちょっとまずいのでは!?」
大いに慌てるアレス。
そう……軍事、政治ではあれほど冷静に、そして恐ろしいまでの策略をみせる彼ではあるが……この手の事に関してはギルバートをして『ひよっ子』と言われるほど、まだまだ未熟であった……
一方イレーヌは入ってきた時とは別の感情でその姿を見ていた。
(沢山の奥方がいらっしゃると聞いているのに……思った以上に初心な……)
イレーヌもまた、この部屋に入ってくるまでは緊張の中にいた。
この数日、政略や軍略と恐ろしいまでの冷静さを見せる彼に多少の畏怖の気持ちがあった。
では、このような場面ではどのような姿を見せるのだろう??
妻が多いと聞いている。ゆえに。
非常に性豪なのかも知れない。
女を道具として見るだけなのかも知れない。
乱暴に扱われるかも知れない……
覚悟を決めたとはいえ、彼女も1人の女性である。よく知らない男の元にいく事は……非常に勇気のいる事であった。
だが。
今、アレスの姿を意外そうに見ながら……イレーヌはくすりと笑った。そしてそれは同じように緊張していたイレーヌの心をほぐし、彼女に年上の余裕を生み出す事になったのであった。
「とりあえず、一国の主人がこれはまずい!!まずすぎます!!まずはその寝衣を着替えていただき……」
「アレス殿……私はいつも寝るときはこの服を着ます……何かおかしいでしょうか?」
「いえっ!1人の時は別ですけど、こう言う場合はっ!!」
アレスの言葉にイレーヌは優しく微笑んだ。慌てるアレスを見て、あれほど『恐ろしい』と思っていた人物が『可愛らしい』と思えるようになった。
「昨今の英雄にして奥方が沢山いると言うアレス殿の言葉とは思えません。英雄とは……色を好むものだと聞いていますよ?」
そう言うとイレーヌはズズいっと、アレスに近づき、その手を取った。
「アレス殿……お願いがあります」
「な……なんでしょう??」
アレスはひたすらに汗をかく。
そして次に口から紡がれた言葉にアレスは言葉を失う事となる。
「どうか私と共に寝所に入り……抱いてもらえませんか?」




