イストレア貴族の乱
「くそっ!!アルフレドの売国奴めっ!!」
イストレア貴族ラージュ・ゴメスは、自室に戻るなりそう大声をあげた。
「誠に遺憾でありますな」
「陛下の血縁だからと調子に乗ってるに違いありません」
「このままいけばシュバルツァー辺境伯に全てを奪われるだけ……!!我らも手をこまねいているだけではいけませんぞ!」
追随するのはその後を追ってきた彼に従う貴族達である。
彼らはラージュに同調し、先程から好き勝手に自分の意見を述べている。
ラージュ自身は自室の椅子に腰をかけると、爪を噛みながら不機嫌そうな表情を浮かべた。
その顔からは焦りの色が見える。
ラージュ・ゴメス。歳は30代半ばほど。
金髪に薄い髭を蓄え、イストレア貴族の中でも屈指の美男として浮名を馳せていた。
彼の爵位は侯爵である。平和なイストレアという国の高位の貴族の出という事もあり、何不自由なく育ち……それ故からか、貴族特有の傲慢さも同時に彼の中で生まれたのである。
欲しいものは全て手に入れてきた。地位も、名声も、物も、女も。
そんな『何でも手に入れてきた』彼が今一番欲しいもの、それは
『イストレア王国そのもの』
であった。
以前より彼が狙っていたのは王妃イレーヌの再婚相手となる事であったのだ。
王配となる事で彼女が現在担っている『摂政』の地位に着き、そのままこの国を乗っ取る……そんな計画を彼は彼に従う貴族達と共に爵位をついだその日より練っていたのである。
野心を隠す事なく、様々な動きを見せるラージュ。貴族達を次々と味方につけ、今や宰相エルダンも無視する事のできない一大勢力を築きあげたのであった。
しかし、順調かと思われたその計画は破綻する事となる。
一つはイレーヌが全く見向きもしなかったことだ。
イレーヌは齢30を越えど、その美しさに陰りはなく、むしろその色香は年をとるごとに高まっているように感じられる。
そして……何か不思議な魅力を醸し出しており、女慣れしてきるラージュでも、時に襲いかかりたくなる衝動を受けるほどだ。
だからこそ、この筆頭貴族である自分に相応しい女だとも思っていた。
そして彼女を手に入れるためにラージュは何年も綿密に計画を練ってきたのである。
彼の計画では、一大勢力を築いた後、それを後ろ盾として堂々とイレーヌを妻として迎える予定であった。
またラージュは『女』という生き物を知り尽くしていると言っても良い。
未だ独身を通し、数々の女達を落としてきた。だからこそ、先王以外の男を知らない彼女を落とす事は容易い……そう思ってきた。
しかしイレーヌの態度は常に釣れなかった。そう……多数の貴族の圧力も意に介さず、自分の誘いにも興味を示さず。
イレーヌがラージュに振り向く事は全くと言っていいほどなかったのである。
そして二つ目は、ドルマディアとバイゼルドの侵攻である。彼にとってこれはまさに青天の霹靂ともいうべき内容であった。
情報を集めれば集めるほど……このニ国に対して悲観的な情報ばかり耳にする。
このままではイストレアを手に入れるどころか命が危ない。
平和なイストレアだからこそ、これまで好き勝手できたのだ。
そこで彼は方針を変える事とした。
ドルマディアは魔族の国。それ故にこちらから手を打つ事はできない。
しかしバイゼルドなら。
バイゼルド王は『獣の如き』とは言われるものの人間だ。話がわかるかもしれない。
こうしてラージュはそう判断し、バイゼルドと密約を結び……王妃イレーヌへの降伏勧告、および攻め込んだ際に城門を開ける事を条件に命と立場を守ってもらう『口約束』を交わしたのである……
……ザッカードがそのようなものを意に介さないことを知らないで。
これで一安心、とラージュはほくそ笑んだものである。このままバイゼルド王に仕えイストレアを任せてもらう……彼は浅はかにも、そのような青写真を描いたのであった。
しかし、ここでもまた彼にとって予想外の展開になる。
それがシュバルツァー辺境伯の参戦であった。
彼らはドルマディアおよびバイゼルドを一蹴すると英雄としてイストレアに入ってきたのだ。
情報を集めるとどうやら政敵でもあるアルフレドの手引きのようである。
ラージュは今、進退窮まった状況に陥っていたのであった。
◆
アレス・シュバルツァーが入城してわずか数日後。
王国貴族らは今日もラージュの自室で協議を重ねていた。
その話の中心は今後の身の振り方である。
ラージュは一人焦りを覚えていた。もし、バイゼルドに内通していた事が明るみに出たら……死罪は免れるとは思うが、恐らくイストレアにいる事は叶わないだろう。
エルダンやアルフレドの密偵は有能だ。今はバレてはいないが、いずれ自分の元に辿り着く可能性がある。
そうなる前に。
彼には今、二つの考えがあった。
一つは……この目の前の貴族達に罪をなすりつけ、逃れる道。
しかしこれはタイミングを逸したかもしれない。本来なら辺境伯が入る前に行うべきだった。彼が入城してからでは不自然さがあり怪しまれる事は間違いない。
となると、もう一つの道……すなわち今この場で協議をしている内容……クーデターである。
まさか辺境伯もあれだけ歓待を受けて入城したばかりで、貴族の多くがこのように動くとは思うまい。
バイゼルド方面に向かっていた辺境伯軍も明日あたりにはこちらに到着すると聞く。
その前に。
エルダンやアルフレドと言った者たちや辺境伯軍の主だった者を討ち、王妃イレーヌを手土産に降伏する。
イレーヌは惜しいが、ここはしょうがない。今は自分の身が大切だ。
ラージュは目の前の貴族達を見る。話し合いは異様な様相を呈している。彼らはこのような血生臭い体験がほとんどなく、ラージュから見ても恐ろしいまでに興奮しているのだ。
「我らでイストレアを変えるべし!!」
「ラージュ殿こそ、新王に!!」
そう貴族達が叫び、興奮が最高潮になったその瞬間であった。
盛大な音とともにラージュの自室のドアが開いたのは。
雪崩れ込んできたのはイストレアの治安を守ってきた『イストレア騎士団』である。数は少なく戦に不向きなれど、少数精鋭の猛者達だ。
「ぶ……無礼者っ!!」
「場をわきまえろ!下郎!!」
「我々を誰だと思っているんだっ!!」
突然の乱入に焦る貴族達。しかし騎士団の面々はそんな罵声に応えることもなく、淡々と彼らを縛り上げていく。
あまりの速い展開にラージュも立ち竦むしかない。そんな呆然としている彼の前に騎士でなく一人の男が眼前に立ち塞がった。
「貴様は……アルフレド……!」
「ゴメス侯爵閣下……いや、この場は叛逆者ラージュ殿と呼ばせていただきましょう」
「……貴様のような下賤の者に名を呼ばれる筋合いはないわ!」
ラージュの顔は怒りで真っ赤になっている。そんなことを意に介さずアルフレドは淡々と言葉を続ける。
「……ラージュ殿、いや、叛逆者ラージュ・ゴメス。バイゼルドとの内通、及び叛逆の罪で其方の身を拘束する」
その言葉を聞き、ラージュの顔色は赤から青に変化した。
「なっ……馬鹿な。何を証拠に……」
「証拠ならあがっている」
そう言うとアルフレドは複数の書簡を投げ捨てた。
「いずれも汝とバイゼルド王国とのやりとりの書簡だ」
「なぜこれをっ!?」
「詰めが甘いのだよ。ゴメス侯爵」
そう言ってアルフレドはその整った口元に笑みを浮かべた。
「貴方も……そしてここにいる貴族の方々も……恐れ多くも叛逆を企てていた事もすでに承知の上だ。これだけ大声で話していれば……その内容も外に筒抜け。そしてこれだけ外に騎士がいたのに気付かないとは……情けないものだな」
「くっ……」
顔を歪めるラージュ。
「さて……国家叛逆者に対しては容赦はせぬ。貴方達はいずれも死罪。私財は最低限のものを残し没収。一族郎党はイストレアから追放となる……」
それを聞き、焦ったのはラージュだ。
また他の貴族達は狂乱した。
「馬鹿な!我らは貴族ぞ!死罪なんて!!」
「嫌だ嫌だ!死にたくない、死にたくないぃぃぃいい!」
「下郎の分際で……適当な事を言うなぁぁぁぁぁ!!」
しかし、そんな彼らにアルフレドは冷たく言い放った。
「あなた方が行おうとしていた事は国家の叛逆罪です。死罪は当然の事。貴族なのに知らなかったとは言わせませんよ?」
今まで彼らは貴族という特権に甘え、好き勝手やってきた。
どこの国でも良くあることではあるが、こと、イストレアに関しては平和な事をいい事に彼らの増長が酷かったのである。
泣き喚きながら連れて行かれる貴族達。その姿を見ながらラージュは縋るようにアルフレドに言う。
「陛下は!陛下はこのような横暴を知っているのかっ!?」
王妃イレーヌの性は慈愛の心である。しかしそれが甘さとなっている事にラージュもそしてアルフレドも気づいていた。
アルフレドはその表情を冷たい目で眺めながらそっと一枚の紙をラージュに見せつける。ラージュはその紙に目を通し……青い顔をしたまま崩れ落ちた。
それはイレーヌ直筆の逮捕状と今後の事を全てアルフレドに任せるという委任状であった。
「陛下は全て分かっていらっしゃる。貴方達がこの後受ける処罰も含めて、な」
その言葉にラージュは無言で項垂れる。
「一族郎党の命を取らず、最低限の財貨を渡したのは陛下の恩情だ……」
そう言ってアルフレドはラージュと同じ高さに腰を下ろし、言葉を続けた。
「陛下は辺境伯閣下にイストレア全てを捧げ、ついていく事を決意されたのだよ……ゴメス閣下……時代は変わるんですよ。この大陸も、そしてイストレアも」
ラージュはそれに応える事もなく、騎士達に連れていかれた。
こうして、アレスが入城してわずかな日数で……アレス自身も予想できない早さで、イストレアもまた大きな変化を迎えたのである。
ダメだ……どうにもイストレアの話は筆が進まず……
ストックもあと僅か……なんとか頑張ります……




