北方砦近郊、ルナードの街にて
アルカディア帝国と北の大国ヴォルフガルド帝国の間では、小さな小競り合いはあるものの、他の地と比べれば争いは少ないと言えるだろう。
なぜ、少ないか?と問われると、やはりヴォルフガルドに面しているシュバルツァー領とその北方砦ルナードの存在が大きい。
四大公家の中でもシュバルツァー大公家は代々武勇に優れていると言われている。そして、その北方砦には彼らの軍の中でも精鋭達が揃っており、迂闊に手を出せばタダでは済まないことは火を見るよりも明らかだ。
特にここ数年、砦を「シュバルツァーの双璧」と呼ばれし名将、ローウェン・ベルガーが指揮をとるとなれば尚更である。今、北方砦ルナードの近郊にあった兵士達のための小さな村は、平穏な日々のため徐々に発展し始め、小さくない程の街に姿を変えたのであった。
◆
ーールナードの街中央部、人気酒場「白猫亭」店主の話ーー
はい、いらっしゃい。え?アレス様?
ああ、あの「ミルク隊長」のことですかい。え?「ミルク隊長」って何かって?この酒場でのあだ名ですよ。あの人、酒場だけどミルクばかり頼みますからね。乳離れ出来てないって皆からよく笑われてましたよ。まぁ冗談ですけどね。本人も別にそれ聞いて笑ってたし……あぁ、そんな怒らないでくださいよ。大丈夫ですよ、もう皆正体も知ってるし、馬鹿にしてるわけではない……本当に誰からも愛されていたんですよ、あの人は。
それにね、昨年も来てくれたんですよ。忙しいはずなのにね。その時なんかはお祭り騒ぎでさ。店の外にもテーブル置いて、兵士も住民も老若男女問わず大騒ぎでさ。こんな事、あの人がいないと起こらないですよ。いや、本当に。
◆
はい、これ。コルロースの内臓の煮付け。え、内臓なんて食えるのかって??馬鹿言っちゃいけませんよ。今この店の名物ですよ?って言っても、これもミルク隊長……いや、もう普通に言いましょうかね。アレス様が教えてくれたんですけどねぇ。
作り方?他の店には言うのはダメですよ?
……これはね、完全に血抜きされたコルロースが必要なんですよ。
鶏でもいいんですけどね、やはりコルロースの方がうまい。味の深みが全然違うんですよ。
よくアレス様は自分で仕留めたコルロースを見事に血抜きして持ってきてくれたもんでさ。
それで、肝臓と心臓以外は全部煮込むんですよ。え?肝臓と心臓?あぁ、そこは別の料理に使うんでね。それは後で出しますよ。
んでね、この腸や胃は中のものを綺麗に洗って、他の内臓はそのまま小さく切って煮込むんです。何度もアクが出るからそれを丁寧に取り除くのがコツ。
結構長い時間煮込むんですよ。そうするとゴムのように固い内臓が柔らかくなるんです。不思議でしょう?
そして器にとって薬味をかける。さぁ、ほら食べてみてください。美味いでしょう?
そしてこっちは肝臓。これは生で食べるんです。タレをかけて食べてみてください。美味いでしょう?でもな、これは貴重なんですぜ?新鮮な奴じゃないとできないからねぇ。少しでもおくともうダメ。だから自分でもやろうとか思っちゃダメですよ?
心臓は焼いて食べる。コリコリしててこれもイケるでしょう?
これがこの店の人気メニュー。まぁ、全てあの人が教えてくれたんですけどねぇ。
……何度も言うけど、絶対誰にも言わないでくださいよ?
◆
ーールナードの街 南部 屋台の店主の話ーー
アレス様の話?んな事聞いてどうするんだよ。
あ?アレス様のことを新聞で特集?あぁ最近領都で広まっている大衆向けの号外みたいな奴か……
ならまぁいいか。
いいから黙ってこれを食ってみろ……ん?これは何かって?これはな、芋の「油茹で」だ。
ん?「油茹で」を知らない?へぇ、帝都では「油茹で」はないのかい。「領都」の方にはあるらしいけどな……あぁ、お前さん最近移住してきたばかりか。じゃあとりあえず食え。
……美味いだろ?これはお前さんが聞きたがってるアレス様もお気に入りだったんだ。
この地方では寒さに強いビーツと呼ばれる植物があってな。この実を絞ると油ができるんだよ。だから、俺たちはこいつの事を「油花」と呼んでいる。
皇帝陛下がいる帝都では獣の油やオーブの実を使うらしいから、油は割と貴重らしいけどさ、この地方は油花の油を使うから別に高いものではない。だから、この油をふんだんに使って料理をするのさ。
アレス様はよくここに来ては、この「油茹で」を食べて帰っていかれたよ。これは癖になるってよく言ってたなぁ。そこにメニューがあるだろ?魚の切り身や肉……それも「油茹で」にするのさ。まぁ芋でなく魚や肉も……と考えたのが……あんたが聞きたがっていたアレス様さ。
あの人は本当に食に興味があるらしく……知らないものを進んで食べては感動していたよ。まったく……面白いよな。
そういや油花の育成に熱心だったから、そのうち帝都の方でも「油茹で」の店の支店が出るんじゃないか?
◆
ルナードの街 南部 大衆酒場 店主の話
おう、夜までお疲れさん。え?アレス様の話が聞きたい?なんでまたあの人について聞きたいのかね?まぁいいや、とりあえずエールを一杯飲んでからにしな!
おっ!いい飲みっぷりだね。美味いだろ。え?キンキンに冷えているって?そりゃそうさ。一応ここは北の街だからね。えぇ?そうじゃなくてグラスが?あぁ、これはな、エールを上手くする工夫だとさ。確かに帝都では木のコップで飲むんだよな。あれはダメだ。最悪だよ。本当のエールの旨さを分からなくさせてしまう。
エールはやはりキンキンに冷やさないと。グラスも一緒にね。
これを夏に飲んだら最高だぜ?もう、どんな疲れも吹き飛ぶぐらいさ。
ま、これを考えたのがアレス様さ。だからこのルナードの街……だけでなくシュバルツァー領のすべてで、このような飲み方をしてると思うぜ。
え?どうやってこれを作るかって?お前さん、シュバルツァー領に最近来たんだろう?割と有名だぜ?あそこに箱が見えるだろう?あれには冷却の魔力が宿る魔石が収まってるんだよ。あの箱を使ってエールをグラスごと冷やすのさ。
ええ?このグラスも面白い?これはな実はグラスと呼ばないんだよ。エール専用のグラスでな。ジョッキと言うんだ。まぁ、とりあえずもう一杯いくか?
夏はこれに限るよな。いくら北の地だって夏は暑いんだからさ。これがないと……力がでねぇよ。
この箱を考えたのがアレス様さ。本当にあの人様様だよな。
◆
英雄皇アレスは様々なものに興味をもち、自ら研究に没頭していたと言われる。そんな中で、彼が力を入れていたのが「食」についてである。
食文化はその地の文明が解る
とは彼の言。
様々な調理法、食材を研究し、優秀な料理人達とともに様々な食文化を豊かにしたと伝えられている。




