北伐 その8 〜雄牛の戦士〜
シグルドはガヤグの丘向かいの平地に陣を敷いた。
しかし、その陣は不思議な布陣をしている。
中央の軍団と左翼右翼の軍団の向きが逆なのだ。アムガが率いる鉄の部族の陣に背を向けた形になっている。
中央にはシグルド率いるグランツ軍は丘を背に、陣を敷いている。対して左右のバートルとムカッサ率いる騎遊民の軍は丘に向かって布陣をしている。
そんな中、中央グランツ軍の先頭にシグルドとシオンは馬上の人となっていた。
「珍しいな。お前がこんな前線にいるなんて」
シグルドの言葉にシオンは苦笑する。
「正直言うと自分だってこんなところに出張ったいたくないさ。でも……しょうがないよね。どこも安全とは言えないわけで」
側にいたシグルドの副官アルノルトはそんなやり取りを聞きながら小声でシグルドに話しかける。
「なぁ……シグルド……」
「ん?」
「いいのかよ……」
「何が?」
「いや、軍師をこんな軍の前線にもってきて、さ」
アルノルトはそう言うとチラリとシオンを横目で確認した。シオンはのんびりと遠くを見ながらボーッとしている。
「あぁ、お前は知らないか……と言うか、グランツの人間の殆どは知らないはずだからな」
「……何をさ?」
その言葉を聞き、シグルドはニヤリと笑った。
「あいつはただの頭でっかちな訳ではないんだよ」
と。
◆
丘の上から声が聞こえ始めた。
馬の嗎、兵士の怒声や悲鳴、雄叫び……様々だ。
「上の方は始まったね……じゃあバートルとムカッサに伝えてもらえるかな?」
シオンは、側にいるゼッカ配下の「龍の目」に指示を出す。「龍の目」の密偵は静かに頭を下げると風のように姿を消した。
しばらくした後、両翼の軍勢が動き出す。向かうはアムガが布陣した軍勢の側面。側面からの攻撃を行うためだ。
「まったく……主の配下は本当に優秀だこと……」
そう言ってシオンは笑うとシグルドに声をかけた。
「さて、こっちもそろそろかな?」
視線の先を見れば、数多の魔獣達が砂煙をあげて迫ってきている。
「やるべき事は分かっているよね?」
「あぁ、『魔王の遺物』を持っている敵を討つ」
シグルドの声にシオンは満足そうに頷いた。
「それまで、ここの指揮は僕がするから……シグルドはそっちに集中してくれ」
「わかった……すぐ終わらせるさ」
そう言うと、シグルドは馬上にて槍を構える。
「一応、お前の近くには……古代龍を置くがな……あんまり前に出すぎてくれるな」
「あはは、大丈夫だよ。無理に仕事をするのは自分の主義ではない」
そう言うシオンを横目で見るとシグルドは炎馬ブラドを走らせ、軍の先頭に立つ。シグルドが立ったのを確認した後……シオンは風魔法を操り、全軍に声を届けた。のんびりとした声が全軍の耳に届く。
「あー、全軍に伝える。あれだけ向かいの軍勢が乱れ、騎遊民の兵が動いた事で察しはついてると思うが……今、我らが主、アレス様は敵兵の真ん中に突っ込んでいった」
一呼吸おいて言葉を続ける。
「さぁ、次は我らの出番である。向かいからくる魔獣の軍団。奴らを決して我らが主に近付けるな。命を賭して……とは言わない。いつも通り対魔獣戦法を使えば怖いものはないはず。自信をもってあたれ。時間を稼げば、あとはシグルド将軍がとっととケリをつけてくれるはずだ」
シオンの物言いにシグルドは苦笑をした。多くの兵士達も笑い出す。
自分が頑張れば、偉い将軍が何とかしてくれると言うのだ。そんな戦前の言葉を聞いた事がない。
「逃げるのは恥ではない。個人の命が一番大切だ。まずいと思ったらすぐその場から去ろう……きっと我らが主もそう言ってくれるはずさ。……おや?そうこう言ってるうちに魔獣が近付いてきた……さぁ、皆。頑張ろう!」
そう言うとシオンは静かに手に持っていた鉄扇を前に指し示した。それと同時に古代龍の咆哮が響きわたる。
「なんか……気の抜ける言葉だなぁ」
アルノルトの呆れた声にシグルドは真顔で答えた。
「いや、そうとも言えんぞ。兵の顔を見てみろ」
シグルドの言葉でアルノルトは兵達の顔を見る。そして驚いた。
いずれの兵も顔は笑いながら浮かれず、引き締まった顔をしているのだ。
「不思議なもんだがな。あいつ、あれで凄く兵達に慕われてるんだよ」
シグルドはそう言うとニヤリと笑った。
「さっきの話だけどな。あいつは必ず戦の際は前線に立つんだ。兵が死力を尽くしているのに自分だけ安全なとこにいられない、とね」
そうシグルドの言う通りなのだ。シオンは戦場に出れば必ず前に出る。
剣を扱えるわけでもなく、魔法に長けているわけでもない。
武術はからっきしダメだし、使える魔法は初歩的なものばかり。だが彼は必ず前面に出るのだ。
「戦場で命をかけないものの話を兵は聞きたがりますか?」
とはシオンの言。
「将も兵も命をかけるのは一緒。だからこそ、兵は私の策に従ってくれる……そう思いますよ?」
アルノルトはシグルドの話を聞き、感じ入ったような表情をした。
「本当に帝都の将軍様達に伝えてやりたいものだな」
「まぁ、主もそういう考えだし、だからこそ、我らは強い……というべきか。皆が同じ方向を向いてるからな」
そう言うとシグルドは笑った。
「ただ、本当に死なれては困るから、今回はあぁやってゼファーを置いたわけだ。これで一個師団が来ても怖くないさ。さぁ、戯言はここまで。俺たちは俺たちの仕事をしよう」
シグルドの視線は魔獣の群れの中心だ。
「あの先にいる、この魔獣の親玉。その首を貰いにな」
◆
炎馬ブラドにまたがるシグルドが魔獣の群れをかける。その後ろから彼が率いる精鋭達が続く。彼らが走ら去ったその後には累々たる魔獣の骸が捨てられていた。
「こっちだ。ペンダントはこっちの方を向いている」
先頭を走るシグルドに迷いはない。その手には一定方向を指し示すペンダントが握られていた。
「ギシャァァァァァ!!」
「グバァァァァア!!」
シグルドが槍を振れば、それとともに多くの魔獣達が吹き飛んでいく。炎馬ブラドも多くの魔獣を踏み潰し、ひた走る。
そんな縦横無尽に駆け回っていたシグルドの動きがぴたりと止まった。
「おぃ!シグルド……!!あんまり早く行かれると後ろからついて行けんぞ……!?」
副官のアルノルトが、荒い息をしながら遅れてやってくる。そして気付く。シグルドがある一定の場所を睨みつけていることに。
その視線をアルノルトは辿っていくと……そこに一人の戦士がいた。彼は巨大な亀のような魔獣の背に座っているのが見て取れる。
「おい……あれが……」
アルノルトがシグルドに尋ねようとした矢先に、目の前の戦士が口を開いた。
「先程より我が魔獣達を掻き分けて進んでいたのは汝よな」
その声にアルノルトはビクッと驚き、そしてその男を見据える。
筋肉が発達した、野獣のような身体つきだ。上半身は裸であり、腰にに獣の皮を巻いている。
その手に持っている巨大な大剣は見るものを引きつけるだろう。しかしなによりも。
その顔を見てアルノルトは思わず呟いた。
「顔が黒い牛だと?奴らまさか真獣人か?」
真獣人とは獣人の祖と呼ばれる者たちだ。獣人以上の身体能力を持っていると言われる種である。しかし雄牛の男の返答はアルノルトの予想に反していた。
「はっ!!あんな獣と一緒にされるのは不愉快だ。我は全ての種を超越した者。主ら下等生物とは違う」
そして雄牛の男は再びシグルドに視線を向ける。
「今一つ問おう。主はあの『軍神』の『犬』よな?」
シグルドはそれに答えず、静かに己が魔力を高めていく。シグルドの身体が青く輝き始めた。
「我が問いに答えぬとは……無粋な男よ。まぁよいわ。あの下種な『軍神』の家来なれば手加減はせぬ。ここで死んでもらおう」
その瞬間、強烈な殺気と魔力が大地を駆け巡った。近くにいた魔獣は飛び上がるように消え去り、付いてきた兵士たちも思わずシグルドを見る。
そう、怒っているのだ。彼は。
敬愛する主を侮辱されて。
「汝らに名乗る名はない……ただ一つ言わせてもらおう。生きて帰れると思うなっ!!」
その言葉に雄牛の戦士も反応する。
「くっくっくっ、犬ごときが偉そうに……そっくりそのまま返してくれるわ」
雄牛の戦士がそう言った瞬間。
両雄は恐ろしい勢いでぶつかり合った。
魔獣の群れの真ん中で、人知を超えた戦いが始った。
◆
シグルドの槍と雄牛の戦士の大剣がぶつかった。その瞬間、凄まじいまでの風圧と魔力の波動が同心円上に広がる。
「がぁぁぁぁぁぁあああ!!」
「ぐぅぅぅう!?」
雄牛の男が雄叫びをあげて大剣を振り切ると、シグルドは後方に跳ね飛ばされた。
砂埃を巻き上げ、体勢を崩しながらも足を踏ん張り着地する。
「まだまだぁ!!」
シグルドはそう言って体勢を立て直し、前を向いた瞬間。
「遅いわっ!!」
雄牛の戦士はすでに目の前にいたのだった。
「なんだと!?」
思わず驚きの声をあげるシグルド。そんなシグルドに雄牛の戦士はさらに追い討ちをかけていく。次第にシグルドは防戦一方になっていく。
「おいおい、あのシグルドが押されてるなんて……若やダリウスが相手ではあるまいし……」
アルノルトは信じられないものを見るようにそちらに視線を向けている。
「どうした、『犬』。こんなものか??」
雄牛の戦士は薄ら笑いを浮かべながら次々と大剣を振るった。
「ぐっ!ぐっ!!」
シグルドは時に受け止め、時に躱し、時にいなしながら、防いでいる。しかし誰の目にも防戦一方になっているのはよくわかった。
「ふん、所詮は『犬』か。やはり主人には遠く及ばぬか」
そう言って雄牛の戦士は嘲笑った。
「やれやれ、大した事ない。これなら今回の『軍神』もたかが知れてるな。さて、そろそろトドメを刺させてもらおうか。我もまだやることが……??」
雄牛の男がそう言った瞬間。彼の視線の先にいるシグルドに変化が見られた。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!!!」
青い魔力を纏い輝いていた全身が今度は白く輝き始めたのだ。
そして、槍を薙ぎ払う。それに合わせて雄牛の戦士は後ろに跳び下がり、様子を伺った。
「なんだ……?それは……」
戸惑う雄牛の戦士。
「おいおい、あれって若が使っていたのと同じじゃあ……」
アルノルトもまた呆然とその姿を眺める。
白く輝くシグルドはそんな言葉に応えることもなく、手足を少し動かして、様子を確認した後、再び雄牛の男に向けて構えをとった。
そして独り言のように呟く。
「実戦で魔闘術を纏うのは初めてだからな……どんな結果になるか楽しみだ」
そして雄牛の戦士に向けて大きな声をあげた。
「我が主を馬鹿にした償い、命を持って返させてもらおう」
そう言った後、シグルドの姿が消える。
先程とは比べものにならないスピードで雄牛の戦士に襲いかかったのだ。
「な、なに!?」
突然のことに戸惑う雄牛の戦士。全く反応する事も出来ず、ただ、シグルドが通りすぎるのを目で追うしかなかった。
「一体何を……」
そう言った瞬間、手に握っていた大剣が落ちる。いや……
腕ごと落ちたのである。
「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!!」
それを目で追い、状況が飲み込めると、雄牛の戦士は大声で叫んだ。
しかしシグルドは冷たい瞳でそれを見ると再び襲いかかる。
対する雄牛の戦士は武器もなく、何もできない。
シグルドと雄牛の戦士が一瞬交錯し、そしてシグルドが通り抜けていく。
「ば……か……な……」
雄牛の戦士の口から、青い血がゴボゴボと溢れでる。
「すげぇ……全く見えなかった……」
アルノルトもまた、そう呟くしかできない。
シグルドが通り抜けた雄牛の戦士の胸元……そう、『魔王の遺物』が埋め込まれたその胸元にはポッカリと大きな穴が空いていた。
「き……き……さま……」
「あぁ、最期に言うことがあった」
シグルドはそう言うと、雄牛の戦士に少し近づき、そして口を開いた。
「貴様ら手下がこの程度なら、貴様らの主人も大したことないな」
「貴様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!!」
激昂する雄牛の戦士。その瞬間、シグルドは槍を横に一閃させる。それと同時に雄牛の戦士の首と胴が離れ、首は青い血を吹き上げながら遠くへ飛ばされた。
「やれやれ……思った以上に疲れる戦いだったな」
そう一言呟くとシグルドはアルノルトの方を向き、笑みを見せるのだった。
◆
シグルドが雄牛の戦士を倒したわずか数刻後、魔獣たちは踵を返して後退していく。
「後を追わなくても良い。放っておけ」
そう言ってシグルドは全軍に命じた。
「さぁ、後はアレス様の仕上げだけ……頼みましたよ、アレス様」
そう言って敬愛する主人の勝利を疑うことはなく、真っ直ぐとした視線を丘の上に向けるシグルドであった。




