閑話 〜もう一つの戦い〜 その2
「くそっ!!あの小娘めっ!!」
部屋に通された第一声、ギョロ目男爵ことヴィム・ボッホマン男爵はそう吠える。それを聞き、痩せ型の準男爵……ボタルト準男爵はビクリと震え、スヴェンはその様子を見て溜息をつく。ボッホマン男爵は見た目は40代〜50代に見えるが、まだ20代。己が激高を抑えられない性格であった。
ボッホマン男爵はサイオン率いる派閥の人間だ。
現在帝都は多くの派閥に分かれて権力争いを行なっている。その中でも最大派閥が彼の派閥である。
帝都では第1皇子カルロスの失脚後、激しい派閥争いが繰り広げられていた。現在、最も大きな勢力を持つのはサイオンが率いる派閥である。彼らは宰相までも取り込み、さらに権力を拡大していた。
かつては『雷帝』と恐れられていた皇帝セフィロスも、グランツを制圧してからは不思議と己が家臣の動きを静観している。
それ故に、家臣たちは皇帝に無用な刺激を与えるのを避けつつ、己が権力と地位を守るために日夜争っていたのだ。
そんな飛ぶ鳥を落とす勢いのサイオンが最も気にしているのはアレス・シュバルツァーである。
中央の権力に執着せず、地方に去った大貴族。皇室の姫君を娶り、また多くの大貴族とも繋がっている。大公家の後継としてだけでなく、辺境伯として個人的にも広大な領地を持っている。
領地の大きさだけ言えばシュバルツァー家は最大の広さを誇るであろう。
また辺境伯領が全く情報がないことも彼らにとっては不気味なのだ。
それ故にアレス・シュバルツァーから兵を出させて、少しでも勢力を削り取ること。そしてレドギアより東……未知であるグランツの様子を探ること。それが彼らに任された最大の任務であった。
現在アレス・シュバルツァーは北の蛮族と争っており、不在であると聞く。どうやらその代理の領主は彼の妻であるコーネリアであると聞く。女であるコーネリアなら簡単に言いくるめることができるだろう。そして一度言質を取ればアレスが戻ってきてもその効力は有効であり、強制的に呼べるはずだ。
そうすれば、アレスを駒のように扱う事ができる。宰相はこちらの味方であり、今ならこの西征は自分達主導で進める事ができる。
例え征夷大将軍と言えども、従う以外他なく、対外的に自分達の方が立場が上である事を知らしめる事ができるチャンスなのだ。
だが、コーネリアはボッホマンに惑わされる事はなかった。それどころか、彼らにしっぺ返しを行ってきたのだ。ボッホマンが迂闊だったのは『勅命』という言葉を使ってしまった事だ。事実、今回の命令を伝える事はコーネリアに指摘されるまで勅命であると思っていた。だが、その書状は皇帝の署名がある勅状ではなく、宰相の命令書であることをコーネリアは看破した。これでは『征夷大将軍』としての正当な理由を持ち出されたら何も言うことはできない。
「スヴェン・クノール準男爵っ!!」
ボッホマン男爵は急に同じ命を受けた己が部下を呼びつける。
「はい」
「君は……たしかコーネリア様と古くからの知り合いだと聞いているが?」
「はっ……彼女が幼き頃より顔を知っております」
スヴェンはコーネリアがまだ皇室に上がる前からの顔見知りであった。
彼女と出会ったのは教会に行った時だ。自分と年の近い彼女を見つけ声をかけた時から全てが始まる。
「なら……ちょうど良い。お前がコーネリア様を説得せよ」
「はっ?」
「そして、同時にグランツに行って内情を探ってこい。幼馴染なら悪いようにはしないだろう?」
ボッホマン男爵はそう言うと下卑た笑いを見せる。
その笑いでスヴェンは全てを理解する。
この男は全ての責任を自分になすりつけるつもりだ、と。
「……畏まりました」
しかしスヴェンとしてはそう言うしかなく、静かに頭を下げるのであった。
◆
「久しぶりですね、スヴェン」
コーネリアは少し嬉しそうに、己が幼馴染と向き合っている。左右にはシータとマリアが。
そして、近くにはジョルジュが控えている。
「コーネリア様もお変わりなく」
スヴェンはそう言って頭を下げた。心の中では
嘘だ
と思いながら。
コーネリアは美しくなっていた。そう、自分が知っていたあの時よりも。
帝都にいた時も元々非常に美しく、聡明であったコーネリア。スヴェンが足繁く教会に通っていたのは彼女と会話することが目的だ。そう、彼にとってコーネリアは憧れの麗人であると同時に初恋の人でもあるのだ。
シータもマリアもそんな淡い気持ちにその表情を見て気付いたのかもしれない。少し面白そうな顔をしている。女性とは……そんなものだ。
「ありがとう、スヴェン。で、今回私に用があると聞きましたが何かしら?」
コーネリアは表情を崩さない。だが……おそらく全てを知っているのだろう。非常に賢い人だったから。
「それは……」
「コーネリア様個人を知っているという縁故からの出兵の依頼とグランツの内情を偵察、と言ったところでしょうか?」
スヴェンが言う前にジョルジュはその先を全て言ってしまった。そして続ける。
「そして貴方は、失敗した際の全責任を被る……そんなシナリオですかな?」
スヴェンはそれを聞き黙る。そう、その通りなのだ。この金髪の男は全てを言い当ててくる。
スヴェンは大きく呼吸をした後、笑顔を見せた。
「仰る通りです。そして……僕がどうこう言っても何も変わらない事もよく分かっています」
「なるほど。ではどうしますか?」
「今からボッホマン男爵達と帝都に戻り全責任を被って処罰を受けます」
このまま何もできず帰って、何もなければ他に示しがつかない。おそらく、何かしらの理由をつけて自分に処罰を与えることだろう。
そしてそれは他の貴族に対する見せしめとなる。彼らは下級貴族が一人いなくなろうと痛くも痒くもないが、その当人からすればたまったものではない。だが……どうしようもないのだ。
「貴方に責任は無いのに?」
「仕方ありません。元々ボッホマン男爵が僕を連れてきたのは、そのためなのですから」
準男爵という下級貴族の辛いところだ。上の命令は絶対であり、聞かなければならない。
「妻をはじめ……家族には別れを告げてきたので覚悟はできています」
スヴェンには老いた母と妹、そして先日結婚したばかりの妻がいる。自分がいなくなる事でおそらく妹の未来の伴侶がその名を継ぐだろう。だが妻も母もそれまで苦労をするに違いない。
その事を思い、スヴェンは唇を噛み締めた。
「……どうですか?ジョルジュ」
「見事な覚悟ですな。コーネリア様の言った通り信に足る御仁でしょう」
ジョルジュの言葉を聞いて頷いた後、コーネリアはスヴェンを見つめ、そして口を開いた。
「スヴェン……私たちに考えがあります。どうかそれを聞き届けてくれませんか?」
コーネリアの提案は……スヴェンを大いに驚かせるものであった。
◆
「ふむ……で、結局クロール準男爵も帰ってこなかった……と」
「はい……責任をおってグランツに潜り込んだようですが……やはり現地にて命を落としたのでしょう」
痛ましそうな顔を取り繕うボッホマン男爵。その顔を見ながらサイオンは不満そうな顔を隠さない。
このヒキガエルににた男の浅知恵など全てお見通しである。恐らく上手く交渉がいかなかったために全てをクノール準男爵に責任を負わせ、そして消したのだろう。
それにしても……と、サイオンは思う。
またしても一人の貴族がグランツを視察しようとして……行方不明になった。これはいつもの事である。
治安が悪いから……と聞けば納得はできる。確かにグランツは蛮族の住まう地であり、魔獣も多い。
だが……それでは何故、多くの民が彼の地を目指して移住を行うのか。
それを探りに言ったものは使者である貴族、はたまた密偵、いずれも生きて帰ってくる事はなかった。遺体が帰って来たこともあれば、そのまま行方不明として片付けられる事もあった。
それ故に、サイオンをしても彼の国の様子がわからない。
「一体奴は何を隠している……??」
『あの』アレス・シュバルツァーがこの状態を何もせずに放っておくわけがない。必ず手を打っており、それを頑なに隠しているのではないだろうか??
事実、これだけ治安が悪い、魔獣の棲家と言いながら……反乱一つ起こっていないのだ。
「やはりあの男は危ない……早々と手を打たねば大変な事となる……」
サイオンはそう呟くと、再び思考の海に沈んでいくのであった。
◆
「上手くいったみたいですね」
「いつものように、帝都には行方不明と知らせておきました」
そう言うのはジョルジュである。そしてその横には……
「家族も間もなく到着する予定だそうですよ?スヴェン」
帝都での噂の人、スヴェンがそこに立っていたのである。
コーネリアが彼に伝えた事、それは帝都には行方不明という届け出を出し、そのままグランツに残る、と言うことである。
スヴェンが最も驚いた事はそうやってこのグランツに残り、働いている人間が多数いた事である。
いずれも有能な官司達。そして貴族から疎まれていたもの達である。
取り分け、スヴェンが最も驚いたのは帝都では多くの貴族から『氷の短剣』と恐れられ、また疎んじられていたやり手の監察官マリウス・ベルトラムまでいた事だ。
確か彼もまた査察でグランツに入り、そのまま魔獣の群れに襲われて命を落としたと知らされている。
多くの欲深な貴族達が大喜びをしていたのだから間違いないだろう。
「マリウスは今、この領地ではなくてはならない人材ですからな。彼のような有能な方が来てくださり、非常に助かりました。彼自身も帝都よりここの方がやりやすいと言っておりますし」
ジョルジュはそう言って説明をしていた。
グランツに入り……スヴェンは驚く。蛮族の地だの魔獣が巣食う魔窟だの、色々と言われていたが……
帝都よりも遥かに進んだ『国』である事に。治安も文化も帝都以上ではなかろうか?と。
ただ……同時に思う。
これは絶対に帝都に知られるわけにはいかない、と。
ありとあらゆる種族が平等に暮らしているだけで、教会から睨まれるであろう。
これだけ栄えていれば、欲深い貴族があの手この手で近づいてくるはず、もしくは妨害してくるはずである。
これは何が何でも隠さなければならない。
「この地の発展のために、よろしく頼みますね、スヴェン」
「はっ!!」
スヴェンは思う。
自分は才があるわけでもない。だが、縁を得てこの素晴らしい地で働く事となったのだ。それならば……ここで精一杯働くことが自分のコーネリアへの思いの伝え方であり、そして感謝を表すものなのだろう……と。




