閑話 〜もう一つの戦い〜 その1
ちょっと話は変わります……
ジョルジュは政務室にて様々な書類を恐るべきスピードで捌いていく。
だが近くを見渡すと、彼の周りには過労で倒れた役人たちが多数いる。
「仕事を……仕事を減らしてくれ……」
「帰りたい……お家に帰りたいよう……」
そんな声に対しジョルジュは
「何を言ってるんですか。主を始め多くの者たちが今北の大地で命を張って戦っています。そんな腑抜けた事を言っては彼らに申し訳がたちませんよ?」
と返答し、彼らの前に更なる書類の山を置く。
「さぁ、それが終わったら今度はこれですよ?怠けてる暇はありません。今は猫の手も借りたいほどの忙しさなのですから」
(あ……死んだな、俺)
虚ろな目をする役人たち。
ジョルジュが自分の席に戻ろうとしたその時だった。彼の元に連絡が入ったのは。
「ジョルジュ様、報告です!!どうやら帝都より3名の使者が派遣された様子。そのためコーネリア様がジョルジュ様のご意見を聞きたいと」
「あぁ……またきましたか。ではコチラも動かないといけないですかねぇ……」
ジョルジュはそう呟いて立ち上がる。
「さて、皆さん。私は今からコーネリア様のところに行ってきます。もしかしたら、これから数日……下手をすると一週間ほど帰ってこないかもしれませんが……」
(あっ、これは休める……)
役人たちの目に微かな希望の灯がともる。
「それまでにここにある書類全てと、向こうの部屋にある書類全てを捌いておいてください。よろしく」
役人たちの視線はゆっくりと隣の部屋に向かい……そしてそこにある惨状を見て……瞳の希望の灯が消えていく。
そこにはこの部屋以上に山と積まれた書類が積んであったからだ。
(俺は……もう死ぬかもしれない)
絶望に打ちひしがれた役人たちはそう心の中で思いながらその場に次々と崩れ落ちていくのであった。
◆
「帝都から使者が来たそうです」
コーネリアはそう言ってジョルジュの方を見る。
「恐らく数日後にはレドギアに入る事でしょう」
アレス不在の時はここシュバルツァー辺境伯領の領主代行は全てコーネリアに一任されている。
アレスも思い切った事をする、と多くの者が思ったものだ。確かに政務の実務は全てジョルジュが取り仕切っており、コーネリアには最終権限しかない。言わば、命令書にサインをするだけ。しかし、それでもこの辺境伯領の最高責任者には変わりない。
多くの者が驚きをもってそれを迎えた。しかし……時が経つにつれ、少しずつアレスがなぜコーネリアに全てを任せたのか納得するようになる。
「皇室出身の彼女なら対外的にもよく見えるし、何より……為政者として非常に高い実力とバランスを兼ね備えているからね」
とはアレスの言。
そしてジョルジュも政務に関して相談にあがる度に、その見識の深さと決断の早さには舌を巻く事が多かった。最終的なサインのみとはいえ、コーネリアは必ず全ての書類に目を通し、確認していた。そして時に的確な質問をしたり、間違いを指摘したりと、今の辺境伯領の政務を行うにあたり必要不可欠な人となっていたのだ。
「これは主よりもよっぽど仕事ができますねぇ……あの人は逃げますから……」
そう言ってジョルジュは舌をまく。
と同時に、なぜ彼女に政務を一任しているのか、そのアレスの人を見る目に驚かされたものだ。
コーネリアの前に上がったジョルジュは
「まぁ、依頼は想像つきますがね」
と言って二本の指を立てた。
「一つ目はトラキアへの出兵命令でしょうな。まぁ、とうとうきたか、という感じです」
一年前よりアルカディアとトラキアは、国境線で小競り合いが続いていた。どうやはセフィロスはそれについて家臣達に言及したらしい。
「元々父上の狙いは東方の併呑でしたから……グランツを手に入れて背後の憂いを断ち、レドギアから東方に攻めのぼる……それに手がかかっている背後から、ちょっかいを出すトラキアに腹を立てたのかもしれません」
「トラキアとしてもここでアルカディアが東方を併呑したらば大陸のパワーバランスが崩れる事を理解しています。何が何でも阻止せねばなりませんからなぁ」
ジョルジュはそう言って笑う。
「でも、そればかりではありますまい。おそらくこの戦を利用して自分の立場を有利なものにしようとする輩の策でしょうな。トラキアとの戦は陛下はあまり乗り気ではないという情報もあります。もしかしたら、どっかの誰かが陛下を上手く丸め込んで、大袈裟に兵を集めているだけかもしれません」
「……やはりそうですか……」
コーネリアはそう言ってふぅ、と一息ため息をついた。
「二つ目はやはり……」
「えぇ。いつもの通り、こちらの内情を探るためでしょうな」
アルカディア帝国の貴族達はグランツ内で何が行われているのか……全く理解できていないのが現状だ。使者を送れどレドギアで止められる。何名かはグランツ国内に入ったものの……いずれも帰路に行方不明になるのだ。
それらについて詰問しても、グランツ国内には魔獣も多く……と治安の悪さを毎回理由にはぐらかされる。
密偵を送ってもいずれも帰ってはこない。
どうやら今回使者として選ばれたうちの1人にはコーネリアに近い者がいるという。その人選もまた様々な思惑があるのだろう。
「とりあえず、私がレドギアまで出向いてお相手をしましょう。ジョルジュ殿、一緒に来てくださいますか?」
「御意」
頭を下げるジョルジュ。
「『あれ』が完成していればレドギアまであっという間に着くのですが……」
「『あれ』はまだまだ実験段階です。今回は龍に乗っていきます」
そう言ってコーネリアは立ち上がる。
「私、空を飛んでみたかったんです。少し自分の楽しみを入れてもいいですよね」
そうやってジョルジュの方を見ていたずらっ子のような笑みを見せるコーネリアであった。
◆
「コーネリア様にはお変わりなく……」
等々と続く長い言葉。帝室の儀礼なのかもしれないが……コーネリアの横に侍しているシータは欠伸を噛み殺してそれを聞いている。向こうのマリアを見ると目と目があった。マリアもまた同じような顔をしているという事は……自分と同じ気持ちだろう。
コーネリアから突然呼び出されたのは2日前。
「信頼できる方が側にいてほしいんです。どうか来てもらえませんか?」
と、彼女のたっての頼みでシータとマリアが側仕えとして一緒について行くことになった。
シータがいれば万が一にも応対に粗相はないし、マリアがいれば護衛としても役に立つ。そして彼女達は自分と同じくアレスの妻。妻達が仲良くやっている事を対外的に知らしめる事も良いことだ。隙があれば、どこにでも楔を打とうとするのが貴族というものだから。
シャロン達も行きたがってはいたが、彼女達は彼女達の仕事が山のようにある。残念ながら今回は見送られた。
「……で、グランツ領からも当然出兵を願いたく。これは『征夷大将軍』としての辺境伯閣下の責務でもあります」
急遽、本題に切り込んで来たのを聞き、シータの意識は現実に戻る。そっと顔を伺えばコーネリアはいつものような穏やかな笑みでなく、少し厳しい顔をしている。
使者は3人。真ん中にいるのは、いかにもこの使者の筆頭大使らしく、尊大な態度の男だ。肥えた体に大きめの服を纏い、いくつもの宝石を着飾っている。薄い髪に大きなギョロ目と口……まるで蛙のような顔をしている。対して右側の男は痩せ型の神経質そうな男。茶色の髪を巻いており、先程から忙しなくキョロキョロと視線を動かしている。そして……
「あなたも来ていたのですね?スヴェン」
「はい。コーネリア様もお変わりなく……」
コーネリアはギョロ目男爵の返答には答えず、左側にいるその男、スヴェンに声をかけた。彼が口を開いた瞬間、コーネリアは少し柔らかい表情になる。
黒髪の美少年だ。すこし不健康そうな青白い肌が印象的で、吹いたら飛ばされそうなくらい細い体をしている。
「……オホン。コーネリア様、申し訳ありませぬが、今回は私が筆頭大使を務めております。私的な発言はお控え下さい」
真ん中の尊大な男はそう言うとそのギョロ目をギラリとスヴェンに向ける。スヴェンはビクっと震えて慌てて下を向いた。
「で、コーネリア様。ご返答をお願いします」
ギョロ目がそう急かすとコーネリアは表情を厳しいものに変え静かに言った。
「派遣できかねます」
「なんとっ!!これは勅命ですぞ!?」
「勅命?貴方達はこの書状を確認しましたか?」
そう言ってコーネリアは書状をギョロ目男爵に渡す。
ギョロ目男爵はその書状を読み進め……ワナワナと震えだした。
「……そんな!?そんな事は聞いていない……」
「そう、この書状には陛下の名前も印もありません。これは勅状ではなく、勅命ではないのです」
コーネリアは畳み掛けるように言葉を投げかけていく。
「あなた達が持ってきたこの書状……最後の名前が帝国宰相とローゼンハイム大公の連名になっております。となれば、ただの宰相閣下からの協力要請と変わりはありません。となると、言わば辺境で起きた小競り合いに対する出兵と同じ。貴方が仰っていた、『征夷大将軍』としての責務は関係ありません」
「されど……この戦に関しては宰相閣下に一任されておられますので……その命令は陛下の命令と同意義と……」
その言葉を遮るように、コーネリアは厳しい口調で口を開いた。
「今回、宰相閣下が総指揮をとるにあたり、彼の指示は絶対かもしれません。されど我が夫、アレス・シュバルツァーは現在北の蛮族を征伐するために出征中です。多くの将軍達もそれに従っております。それは『陛下から命じられた征夷大将軍』としての責務でもあります。宰相閣下の命令であれ、陛下から任ぜられた職務を放棄するわけには参りません」
ギョロ目の大使がそれを聞き黙り込む。しかし、その顔は不満そうである。
「残っている残存の兵もグランツの治安維持のため出すことは不可能です……この地は『蛮族の住まう地』のため、治安維持も困難で……」
続けて口を開いたのはジョルジュである。しかしその言葉を聞き、ギョロ目の大使は急に激高した。
「黙れぃ!陪臣風情が。お前ごときが口を開くなっ!!」
おそらく何も言い返せないため、誰かに当たりたかったのかもしれない。しかし、コーネリアはその様子を見て冷ややかに口を開いた。
「あら?ジョルジュはこの地の政務の全権を握っている者。彼の言はグランツにとってアレス様に匹敵するほど重要なものなのですけどね」
ますます口ごもるギョロ目男爵。
「し……しかし……」
「もう良いです」
コーネリアは何か言おうとしているギョロ目の言葉をピシャリと遮った。
「宰相閣下に申し上げて下さい。申し訳ありませぬが現在辺境伯領では兵を送る事は出来かねると。そのかわり、物資を送るとお伝えください。あぁ、父上には私から別に使者をたて、改めて送りますので」
そう言うとコーネリアは笑顔を見せる。対して皇帝に使者を、という一言を聞き、ギョロ目男爵は青い顔をした。
「では、私は本日は他に用がありますのでこれで失礼いたします」
「お待ちください、まだ聞きたい事が……グランツの様子について……」
「それはいつも言ってるはずですが?治安維持も困難な未開の地であると」
コーネリアはそう言うと立ち上がる。
慌ててギョロ目男爵はそれを遮る様に質問を続けた。
「しかしっ!!多くの使者は帰って来ず、その実態が未だに分かりません!!まずは使者を受け入れて……」
「いつも使者は受け入れていますが?」
くるりと振り向き、コーネリアは口を開いた。
「しかしっ!!」
「それなら、貴方が一緒にハインツまで行きますか??」
「…………」
「私は構いませんが?ただ、命の保証だけはありません。それはお覚悟をお願いします」
その言葉に青くなる大使。
「使者の方が行方不明になる……それは残念ながらそれだけの治安という事。今回、是非とも代理として私を、と貴方が申したので私はここまで参りましたが……これで戻る際、私に何かあったら貴方の責任問題になります。その覚悟はよろしいですか?」
そう言い残してコーネリアは退室する。
その様子を見届けて、ジョルジュが今度は彼らと向き直る。
「それでは……物資についてご相談いたしましょう」
青い顔をした大使はその後、ジョルジュに散々やり込められる事となるのであった……




