北伐 計画
アレスがトロイアの砦に入ってから三週間ほどが経つ。アレスはそこで静観を決め込み、訓練などで軍を動かす以外は特に大きな行動を取らない。対する蛮族もトロイア付近に現れる事はあるが、特に攻め込むような事もなく、膠着状態となっていた。
シオンを連れてアレスは砦の屋上から北方を眺める。
「あっちの方角には海があるんだよね」
「えぇ、草原を越えると北海が広がっています」
「なんとかそこまで欲しいんだけどなぁ」
「アルカディアは内陸国ですから……確かに海岸線を手に入れることができれば大規模な発展につながるでしょう……ですがおおっぴらに行えば」
「当然、目をつけられて没収されるだろうね。海岸線もそして辺境伯領も。『帝国』としては海を得ることはある意味悲願なのだから」
アレスはそう言って笑う。
現在辺境伯領は『未開の地』として殆ど注目を集めてはいない。元々グランツは『呪いの地』と呼ばれる辺境。帝都の人間の印象は獣人が多い未開の地、魔獣や賊が跋扈する『鬼国』、というものだ。治安も悪く、入れば命はないとも言われていた。
「そのため、上に睨まれる事もなく、思う存分開発を進めることができたからね」
多少の密偵が入り込んでいることは知っていた。しかし全部『龍の目』を使い、彼らを消していたのだ。また、逆に彼らを降伏させ、その後雇い、異なる情報を流しもしていた。
しかし現在。少し状況が変わりつつある。
現在辺境伯領には帝室を始め、貴族や教会勢力、さらには他国に至るまで非常に多くの密偵が入り込むようになった。
理由は多くの民が移住した事だ。
帝都から土地の状況把握の為多くの使者が送られてはきている。しかし使者はいずれも治安を理由にグランツまでは入れない。そのためにレドギアで面会を行うが……辺境伯領からの返答は決まって
把握できていない
もしくは
レドギアを含む3国あたりで移住しているのではないか
というものであった。
しかし自分の知らない何かがそこにある……ましてや治めているのは『あの』アレス・シュバルツァー。他の勢力からすれば非常に気になるものである。
そのため、密偵が何度も行方不明になろうとも、繰り返し多くの密偵を送り込んでいるのが現状である。
「まだ、知られる訳にはいかないからね……あと3年。この蛮族の地を平定して憂いを断ち、できれば東大陸を水面下で味方につける事が出来たら……その時始めて大陸中に言おうと思う」
アレスの言葉にシオンは笑う。
「大陸中が大変な事になりますね」
「そうだね。その時は大陸中にケンカを売ることになるだろうな」
そんな会話をしていた時だった。2人の背後に気配を感じたのは。
「ゼッカ。戻ったのかい?」
「はっ。想像以上に時間がかかりましたが」
浮かび上がるように現れたのはゼッカである。
「じゃあ報告を聞こうか。シオン、悪いけど主だった者を集めてくれ」
そう言うとアレスは踵を返し、部屋の中に戻っていくのであった。
◆
アレスは緊急でトロイアの砦にいる主だった者を呼び集めた。
「ゼッカが帰った。その情報を確認次第、今後の戦略を練りたい」
とはアレスの言。召集された者たちもいよいよかと気持ちを引き締めて評議室に向かう。
トロイアの砦に入ったアレスは確かな情報が入るまで全将兵に積極的な活動を控えさせたのだ。
〈正しい情報と正しい思考。それにより正しい決断を行う〉
とはアレスがよく言う言葉だ。
「さて、皆も集まったようだしゼッカから説明してもらおう」
その言葉にゼッカは閉ざしていた口を開いた。
「私がアレス様に指示され、探っていたのは三つ。先日二度襲って来た敵の将について。そしてそれとともにいた異国の戦士について。そして……蛮族の長、蛮人王アムガについてです」
そう言うとゼッカは一呼吸おいて続きを話し出した。
「まずは先日の将についてですが……男の名はバトゥ。風の部族の若き長のようです」
「風の部族の長か……」
そう唸ったのはロランである。風の部族は北の蛮族の中でも鉄の部族と同等の大きな部族である。
英雄ジャムカを産み、族長の位を作ったのも彼らである。
「彼らが鉄の部族に降るとは……信じられん……」
「どうやら数年前に鉄の部族に急襲され風の部族は勢力を弱めた様子。今、彼らは蛮族の中でも最も過酷な戦を行う尖兵として使われているようです」
ゼッカの報告に他の面々は呻く。
「バトゥは族長バハールの嫡男でした。武勇に秀で、多くの部族に対し公正であり人望も厚く将来を嘱目されていた様子。しかし現在は……」
「アムガという男にいいように使われているってところかな?」
「族長バハール他、風の部族の女子供が捕らえられた事がどうやら原因かと。バトゥも仕方なしにリーダーとして皆をまとめ戦っている様子です」
ゼッカの話をまとめると、どうやら数年前に風の部族が住んでいる居住区を鉄の部族が襲いかかったそうだ。鉄の部族の長アムガはバトゥ他風の部族の精鋭達が他の地へ行ったことを見計らって奇襲をかけたらしい。族長バハールの奮戦虚しく、居住区に残っていた風の部族はほぼ壊滅。女子供は人質にされ、その命を救うため今バトゥ他風の部族の男たちは屈辱に耐えながら、アムガに従っているとのことだ。
「ふむ……風の部族にバトゥか……どうやら彼らをなんとかするのが最初の手かもしれないな」
アレスはそう呟くとゼッカに続きを促した。
「アレス様が気になった異国の戦士ですが……名をシュウ・シラヌイと言う男だそうです」
名前を聞き、アレスは少し懐かしそうな顔をした。
「……極東の島国の出身か?」
「はっ。その極東の戦士だったそうです。なんでもバトゥに助けられた経緯をもち、それを恩として彼の元に身を寄せているとの事でした」
その話を黙って聞きながら、心ここに在らずの面持ちでアレスは呟く。
「シラヌイ……不知火か?となると……あの不知火の小僧の子孫という事か??懐かしい……」
「主??」
「アレス様??」
シオンとシグルドが怪訝そうに声をかける。その声にアレスはハッとし、そしてバツが悪そうに笑った。
ゼッカは続ける。
「残念ながら、それ以上の情報はありません。ただ分かっているのは、蛮族達を納得させる武勇を持っている事ぐらいでしょうか?」
「まぁ、そうだろうな。彼とはきっと戦さ場で出会うことになるだろうし、良しとしよう」
アレスはそう言って笑う。
「最後に……蛮人王アムガについてのご報告です」
そう言うとゼッカはアムガという男の情報を語り出すのであった。
◆
「ふむ……まさか『宵闇の蛇』が絡んでいるとは思ってもみなかったよ」
アレスはゼッカの情報を聞き、思わず嘆息をした。
ゼッカの情報は彼らを驚かせるのに十分であった。鉄の部族でも暴れ者で厄介者だったアムガ。なぜ、そんな彼が鉄の部族の長に収まったのか。
ゼッカの情報では、自分と同じく血気盛んな者たちを集めて、前の族長を殺し、力で部族を治めているとの事であった。その後、鉄の部族を率いて次々と他の部族を強襲し従えているらしい。
だが、ただ力があるだけでは短期間で蛮族達をまとめることはできない。ではなぜそれが可能だったのか。
調べていくと、どうやら彼の元で暗躍している人物がいるということが見えてきた。その男が策を考え、時には魔術を使いアムガを輔けているそうである。
その後アレスはゼッカにいくつかの質問をし、その返答を聞いていた。
「大体のことは分かったね。まぁ奴らの裏を返せば蛮族は一枚岩ではない。アムガという男の『力』と、その影で操っている男の『策』と『魔術』で成り立っている。崩しようは幾らでもありそうだ」
アレスはそう言って笑うと皆に向けて宣言する。
「今日のところはこれで解散とする。そして……いつでも戦に出れるように各々準備をしておくように」
アレスの最後の一言でその場の雰囲気が変わる。ハッキリと彼は言ったのだ。戦の準備をしろと。これにより、蛮族との戦が始まる事をその場にいた者達は理解したのだ。
「明日の朝、再び皆を集めようと思う。遅参しないようしっかりと準備をするように」
「「「「「「応」」」」」」
アレスの言葉にその場にいた男達は頷くのであった。
◆
評議室にいるのはアレス、シオン、シグルド、そしてゼッカの4名のみである。アレスは股肱の臣である3人と綿密に蛮族制圧の計画を練っている。
「最初はこの風の部族をなんとかする事。これが先決だね」
アレスの言葉にシオンも頷く。
「蛮族にも人物はいるものです。彼らに楔を入れ、そこから蛮族を切り崩してしまうのが上策かと」
それを聞き、アレスも頷く。
「やはり蛮族は蛮族。幾らでも崩しようはありそうだ。それにしても……」
そう言ってアレスは言葉を発するのをやめる。その様子を見て口を開いたのはシグルドだ。
「気になりますか?異国の戦士が」
「…………」
「アレス様は名を聞いた時、何か知っているようでした。それと関係がありますか?」
シグルドの言葉にアレスは苦笑した。
「まぁね。もし僕の知っているシラヌイなら……中々強敵だと思うよ。本気を出さないと勝てないだろうな」
アレスの言葉にシオンやシグルドも黙り込む。
「まぁ、とりあえず始めてみないとなんとも言えないけどね。シオンはすでに策を考えてるんでしょ?」
「御意。では、説明します……」
シオンの説明を聞くアレスとシグルド、そしてゼッカの3人。こうして蛮族平定への火蓋は切られようとしているのであった。