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1.新米教官

 コッパーの町では、新たに配属される職員の話で持ちきりであった。

 誰かが喋ったわけではない。まことしやかに噂が流れ始め、花散らしの風に乗って町中に広まっているようなのである。


「――隣町でも噂されているようだねぇ。

 新人らしいけど、剣の腕前は相当なものだって」


 これを聞いた女将も、どこか嬉しそうにしながらカートとシェイラに話していた。


「新人でも形さえありゃそれで良い。

 後はうちの組織を使って裏で噂流せば、訓練場の悪評は払拭できるだろうよ」

「そ、そんな不正ダメだよっ! ちゃんと真っ当に――」

「あァ? 不正でも自作自演でも、世の中やったもん勝ちなんだよ。

 今はとにかく人集めが先決。訓練場通いなんて、適当にやってりゃ卒業できるんだからよ」


 シェイラは『真面目にやっても卒業できないんだけど……』と言おうとしたが、更に怒られそうなので口を閉じた。

 冒険者は星の数ほど居るが、世の中は一部の成功者だけにしか目を向けない――。

 カートはそれを知っているため、多くの卒業者で誤魔化しながら、組織の力を使って架空の成功者(ゴースト)を作りあげようと画策していたのである。



 ◆ ◆ ◆



 だが、訓練場の門の前に立つ二人の姉妹が、その企みを阻もうとしている。

 姉は背が高く、白と緑の腕や脛部、胸部を守るハーフプレートの鎧を纏い、腰には100㎝ほどの長剣が携えられている。

 片や妹は背が低く、ふわふわとした薄紫色のゴシックドレスに、同色のベレー帽をかぶっていた。


「わー、いかにも何か出そうっ!」


 桃色の短いツインテールをした妹の言葉に、姉はジロリとキツい目を向けた。


「……じょ、冗談だって」

「ふん。何が出ようが、私が叩き斬ってやる」


 垂れ目を泳がせる妹に、姉は金糸のような長い髪をかきあげながら、ふんっと鼻を鳴らした。


(《ゴースト》は斬れないくせに……。“教官”が、お化け嫌いってどうなのよ)


 剣の柄に手をかけた姉の姿に、妹は深いため息をつく。

 ()の家の中でも、随一の剣の腕を持つ姉は、一つの訓練場を任される事に大喜びし、今か今かと心待ちにしていたのである。

 この見た目も性格も対照的な姉妹が、今回新たに配属される“教官と職員”だった。


(青天の霹靂――。一国一城の主になれる以上の申し出も届いていたんだし、お姉ちゃんのはやる気持ちも、まぁ分からなくはないんだけどさ……)


 その就任日は、まだ三週間も後の話――。

 妹も覚悟はしていたものの、予想していた以上に早く『予定を前倒しする』と言い出したため、まだ何の準備・連絡も出来ていない内に来てしまったのだ。

 事前準備をキッチリ整えてから事を進めたい妹は、思い立ったら吉日の姉に、常々不満を抱いていた。


(こんな早いと、宿舎とかも準備出来てないだろうし……。

 陽が暮れる前に、宿屋とか決めとかなきゃいけないじゃない……)


 周囲を見渡すも、その目に映るのは木と草が生い茂ったあぜ道だけだ。

 道を尋ねられそうな人など当然おらず、そこには物言わぬ木々しか立ってない。


(一体何なの、このクソ田舎……。本当に人住んでんの?)


 辺鄙な田舎だと聞いていたが、自分たち以外に誰もいないのではないか、と思えるほど人の気配がしなかった。

 横で妄想を捗らせている姉は頼りにならないため、書類の中にあった町の地図で宿屋を確認しようと、カバンの中をガサガサと漁り始めた時……


「あっ――!」


 ごうっと吹いた風に、一枚の紙が花びらのように宙を舞った。

 それは、実家の印が記された請状(うけじょう)――今回の就任にあたって、必ず必要となるものだ。


「請状がっ!? ちょ、ちょっとまっ――」

「な、何だとっ!?」


 風に乗ってひらひらと舞うそれは、花びら落ちる砂利道に落ち、駆けよった姉妹が手を伸ばせば、また花びらと共に空を舞う……。

 運動が苦手な妹は、脚がもつれ小さな悲鳴をあげた。姉には振り返っている余裕がなく、手を伸ばして一心不乱に紙を追いかけ続けている。

 万が一、請状を失おうものなら……と、姉の心は焦燥で一杯であった。


「う、くそっ――も、もう少しっ!」


 その視線は上に、紙だけに集中しているせいで周りが見えていない。

 そのため、目の前に居た《ワーウルフ》――買い物かごを持つ、ベルグの存在に気が付いていなかった。駆ける女は、ただひたすら真っ直ぐ、ベルグに向かって突っ込んでゆく。

 シェイラにお使いを頼まれた帰りのベルグは、はしっと飛んできた紙を掴むと、買い物かごを投げ捨て即座に女を抱きとめた。


「わぶっ――!?」


 抱きとめられ、もふっと獣の胸に顔をうずめる事になった女には、何が起こっているのか分かっていない。ただ、毛布のようなマットにぶつかった、程度にしか考えていなかった。


(何とあたたかい……まるで、春の陽気に温められたマットのようだ……)


 “女”はその温もりに、我が身の全てを委ねたくなる……そんな気持ちで満たされていた。

 他に何も聞こえない。血が巡る音とうねる音だけが、耳鳴りのように響き続ける。

 背を抱かれベルグの腕に包まれた女は、まるで舞う花びらが止まったかのような、時の永さを感じていた。


(しかし、毛布にしてはごわごわであるし、どこか獣臭い。これは一体――)


 耳に飛び込んできた風の音に、女はハッと我に返った。

 そこで初めて、目の前の“(ベルグ)”の存在に気づいたのである。

 顔だけではなく耳まで真っ赤にしているが、それは激昂か、それとも湧き上がって来た情の火照りなのか分からない。


「う、《ウェアウルフ》かッ!? こ、この破廉恥な犬がっ!」

「む? どうして俺が、あんな薄汚い犬と間違えられる。まぁ待て待て――」

「う、うるさいっ!!」


 女は反射的にベルグを突き飛ばし、真っ赤な顔のまま拳を振り上げる。

 しかし、ぶんっと音を立てた拳は空を切り、上背を反らせた獣を捉える事は出来なかった。

 並みの男であれば、その一撃でノックアウトさせられていたであろう。

 それでも女は間髪入れず、左……右……と、鋭い拳を繰り出し続けるが、獣は顎や背を左右に、後ろに反らせるだけで全て回避されている。

 そして、最も力を込められた女の右拳を、ベルグは左手でガシリと掴んだ。


「ぐッ――くぅぅッ!」


 女は顔をしかめ、悔しさを露わにしている。

 渾身の一撃であったはずなのに、それが容易く受け止められたのだから無理もない。

 それでなくとも、こうも簡単に攻撃を躱された事など、今まで無かったのである。


「まぁ落ち着け。お前は、この紙を追っていたのではなかったのか?」

「はっ!? そ、そうだった――ぐッ、それを盾にとるとは……」

「……何か盛大な勘違いをしているかもしれんが、俺は悪いモンスターじゃないぞ?」


 と、ベルグは耳を立て、口をブルルっと鳴らした。

 女には突然の事で気が動転し、目の前の《ワーウルフ》を敵だと思い込んでしまっているため、状況の整理が出来ていない。


「これはお前のだろう? えぇっと、【ローズ・バルディア】で良いのか?」

「それは妹の名だ」

「じゃあ、こっちか――【レオノーラ・バルディア】?」

「あぁ……そうだ」

「で、お前は走ってこれを追いかけていたのだろう?」

「うむ……そうだ」

「――で、俺は買い物に(つか)わされていただろう?」

「それは知らない」


 パシリに行かされた不満を知って貰えなかった、とベルグはブフッと口を鳴らす。

 しかし、姐・レオノーラは順を追って説明されると、次第に冷静さが戻り――


「あっ、そ、そうか……そのっ、もっ申し訳ないっ!!」


 全て自分に落ち度がある――それに気づいたレオノーラは、深く頭を下げた。


「俺はお使い犬ではないのだ。それに、何度も買う物を説明するのだから……まったく」


 しかし、ベルグはパシリにされた不満に気づいて貰えた方だと勘違いしていた。

 とにかく誰かに、不満を聞いてもらいたかったのである。


「俺とて、ジャガイモと里芋の見分けぐらい付くと言うのだ!

 なのに、現物を取り出してまで説明し始めるのだから……我が“姉”は……」

「は、はぁ……」


 ベルグは投げ捨てた買い物かごを拾うと、ぶつくさと文句を言いながら、宿屋の方へ足を向けた。

 取り残されたレオノーラは、ただ呆然と立ち尽くし、風に乗った花びらが円を描いて飛び去ってゆくのを眺めているしかできなかった。

 獣の背中を見送り終えた頃、薄紫色のドレスを土で汚した妹・ローズがようやく追いついたようだ。ぜーぜーと肩で大きく息をし、その目は疲労で一杯になっていた。


「お、お姉ちゃんっ、は、はぁ……あ、あの、いい、犬の人っ……!」

「ん? あ、あぁ……友好的なのは、ここにも居るのだな……」

「違うよっ、あ、あの人が、“断罪者”なんじゃ――!?」

「え……」


 その言葉に、レオノーラは固まってしまう。

 町に“断罪者”が居る事は聞いていた。それどころか、彼女がここに赴任した理由――それは、『“断罪者”・ベルグに会うこと』と言っても過言ではなかった。

 この町に来る前、前任の“断罪者”とも面会までしているのである。


「ベルグ・“スリーライン”・ミュート……」

「そうっ、その人だよっ!」

「あの方が……私の、“夫”となる――」


 レオノーラの身体は、先ほどの“温もり”を思い出した――。

 どっ……どっ……と、高鳴る胸の鼓動が耳の中で響き続けている。

 吹き付ける春風はまだ冷たいものの、彼女の内から湧き上がる熱を冷ますには、少し温かすぎるようだ。


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