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5.防腐の地下水路

 翌朝――。

 ベルグ・シェイラ・カートの三人は、【地下水道】に向けて歩を進めていた。

 空には久方ぶりにぶ厚い雲がかかり、湿り気を帯びた風が草木を撫でつけてゆく。


(やはり、妙に胸騒ぎがする……)


 それは、ベルグの心に渦まく不安そのもののようでもあった。

 昨晩……いや、地下水道の話を聞いてから、何かよからぬ事が起きそうな気がしてならない。

 その夜は、シェイラと馬小屋で眠っていたのだが、寝藁の上で――無意識の内に、彼女に抱きついてしまうほどであった。

 幼い頃のベルグは、不安な夜はシェイラに抱きついて眠っていたため、それがつい出てしまったようだ。

 しかし……“弟”は眠れたのに対し、当の“姉”はあまり良く眠れていない。


(ま、まま、まぁっ、いざと言う時は、やっぱり“お姉ちゃん”だよねっ!)


 事情を知らぬ“姉”は、真っ暗闇に“女”を煽られてしまった。

 初めての迷宮探索を終え、興奮状態が続いていたのもあったが、闇で“姉”と“女”が葛藤していたのだ。

 しかし、ベルグがどこか不安を感じている事も、何となくであるが気づいていた。

 普段は生意気で、大人ぶっているな“弟”であるが、いざという時は“姉”を頼ってくれる――シェイラにはそれが嬉しくなった。

 昔のようにすうすうと寝息を立てる、可愛い“弟”の頭を撫でながら、


(ふふふ、レオノーラさんより、やっぱり私の方が上じゃないの!)


 と、妙な優越感と多幸感を持っていた。

 その自信が、今度はベルグにも伝わり、彼の不安を和らげていたのかもしれない。

 おかげで、ベルグは昨晩ほどの胸騒ぎはしていないものの、完全に払しょくされたわけではなかった。

 引き返すべきだ――と、獣の第六感が告げている。


(しかし、ここで引き返せば、シェイラの借金返済のメドが立たなくなってしまう。

 あのカジノに居た女たち……絶対に、シェイラを、あのような目に合わせるわけにはいかん)


 と、ぐっと奥歯を噛みしめ、グルル……と喉を鳴らす。

 かつて、シェイラの一家は《ワーウルフ》の存亡の危機を救った――。

 実際は、人間に集落を追われ、落ち延びた先が、たまたまシェイラの一家が治める村だっただけである。

 ただそれだけであるのだが、《ワーウルフ》にとって、その恩は何があっても忘れえぬ物であり、群れにいる全ての者が、シェイラの家族に感謝の念を抱いているのだ。


(もし、シェイラが金貸しに連れ去られようものなら――。

 まず、【裁きの間】での斬首は免れんな……まぁ最後なら、そこの石像を四つぐらい壊してやるか。

 カートもレオノーラも居るし、どちらかがシェイラを保護してくれるだろうしな)


――“断罪者”のルールなぞクソ喰らえ。


 そう思えば、気持ちも楽になる。

 一体何を弱気になっていたのか、と硬く握られた手の甲に、何やら温かく柔らかい物が感じられた。


「……ん?」

「何か、昔もこーやって歩いたなーって」


 ベルグの握り拳の上に、シェイラの手がそっと重ねられている。

 柔らかい風が草を揺らす広い平原――言われれば確かに、とベルグは思い出した。

 握った手を緩め、その手を重ね合わせる。

 マメだらけであるが、その温もりは思い出のままであった。


「うむ。確かに」

「……戻るのかな。あの頃みたいに……」

「戻るのか、ではない、戻すのだ」


 それは、己に言い聞かす言葉でもあった。

 うむ、良い事いった、とベルグはワフワフ笑うと、シェイラも物憂げな表情から顔をほころばせている。


(やっぱり、スリーラインはこうでなくっちゃっ!)


 昨晩の自信が蘇る。

 その姿は、背伸びした“姉”ではなく、自然な“姉”としてのシェイラである事に、本人はおろか誰も気づいていない。


(やっぱり、レオノーラさんじゃこうはいかないよね。うんうんっ)


 ベルグが絡んだ場合のレオノーラは、教官ではなく“ライバル”だった。

 “泥棒猫 vs 姉”のような、不毛な争いは昨日のカジノでも行われ、若返ると言われている石を賭けたルーレットに敗北したのもあってか、シェイラは余計に躍起になっていた。

 一方、そのレオノーラは妹に捕まり、強制的に宿の手伝いをさせられているようだ。


 そんな二人の後ろ姿を眺めなから、ザッザッ……と、草木を踏み歩いているカートが口を開いた。


「――で、犬っころ。本当に大丈夫なのか?」

「うむ。聞けば、ほぼ一本道であるようだし、問題はなかろう」


 テアも同じく宿屋に残るため、入口で待機、および非常事態の閉鎖の役目はカートが担う事となった。

 シェイラだけは、何がなんでも帰すつもりであるが、その後の……“水路の再閉鎖”を行えるのは、カートしか居ないのである。

 完全に外部であるテアが行えば、全員からの遺恨を買ってしまう。

 レオノーラやローズは、重い責任に耐えられぬ――。

 非常事態においての冷徹さ、犠牲を“利”と見い出せられるのは、“悪の道”を歩む者だけだ、と。


「――“選択”を迫ってしまうかもしれんが」

「俺はシェイラほど甘ちゃんじゃねェぞ?」


 ベルグにとって、この言葉は非常に力づけられる物である。

 三時間経過して戻らねば、否応なく門を閉じる――と、告げた。


 ・

 ・

 ・


 目的の“ハサミ”が眠っていると言われる、【防腐の地下水路】――。

 そこの重厚で強固な扉は、地下水路に設けるような代物ではなかった。

 何やら“口のない人間”の絵が刻みこまれている窪みがあり、そこにテアの母親から貰った、“ハンマー”の絵のレリーフをはめ込み、開錠する魔法扉――。

 そこまでする必要がある場所なのか、とベルグは疑問に感じていた。


 中は真っ暗であったが、テアから貰ったエルフのランタンのような物が、その周囲を明るく照らしていた。頭上から照らす魔法の明かりとは違い、手持ち式である。

 そのため、多少面倒ではあるものの、縦長の石が真っ白に輝くそれは昼間のように眩い。

 迷宮に|生<<む>>しているヒカリゴケのような物が見当たらない。“防腐”と呼ばれるだけあってか、この地下水道から“清潔感”のような物すら感じられた。

 それに、迷宮内を漂う腐臭と排泄物混じりのような、独特の悪臭も一切しない。分かるのは、どこかツンとした消毒液の臭いが薄くするだけだ。


「何か、昨日の迷宮とは全然違うね。普通のトンネル、みたい」

「うむ。水の流れのおかげであろうか」


 川と呼ぶには狭く、水路と呼ぶには大きな水の通り道は、さらさらと音をたててどこかに流れてゆく。

 澄んだコバルトブルーのそれに目を奪われ、シェイラは『綺麗な水』と言いながら、その水を覗き込むと――


「キャアァァァッッ――!?」

「どうした!」

「み、みみ水の中に、し、死体っ……」


 へなり……と、腰を抜かしたように倒れたシェイラが指差した先には、水底に沈む多くの死者が水面を見つめていた。どこも朽ちていない遺体が、より恐怖を掻き立ててくる。

 ベルグでもゾっとするようなのを、シェイラはまともに見・死者と目を合わせたのだろう、腰を抜かしたように水路脇にへたり込み、わなわなと震えてが止まらないようだ。

 “弟”はそれに、心配そうな顔からイタズラな顔へと変わる。


「――“チビシェイラ”になってないか?」

「な、ない……よっ! 何でそんな事まで覚えてるのっ!?」


 先ほど、シェイラが故郷を思い出す、と言ったためであった。

 イノシシか何かの死骸を見て、シェイラは驚いてチビった――と、ベルグは思い出していたのである。

 当然、流れ出た物を知っていたベルグであったが、わざと『それは何だ?』と聞けば、『水をこぼしたの!』と必死になって隠していたのだ。

 シェイラは、気づかれないように股に手をやったが、その心配は無かったようだ。

 その時ふと、当時を懐かしんでいるであろうベルグの耳が、左右に広がりピクピクと動き始めた。


「ど、どうしたの?」

「向こうの方で何やら音がする……」

「ひッ……!? も、もう怖がらせないでよ……」

「……」


 狼の耳には、水路の奥からヒタ……ヒタ……と歩く音が、確かに聞こえていた。

 水のせせらぐ音以外はしないため、それ以外の音がすればそれは目立つ。

 いくら清潔とは言え、裸足で石畳の上を歩いていれば、なおさらである。


「シェイラ――念のため、いつでも“宣言”できるようにしておけ」

「ほ、本当なの……?」

「あの母親は何かを隠している、と思っていたが――これの事か。

 裸足で徘徊しており、足取りは……ゾンビのようなそれではないが、ややバランスが悪いようだ。

 警戒を怠らないようにしておけ」

「う、うん……」


 ベルグは背中から斧を構え、左手にはエルフのカンテラを持った。

 “天秤”はシェイラが持ち、いざとなれば“裁量”も行う態勢でいる。

 ベルグは耳に集中しながら、ゆっくりと歩を進め、シェイラも周りに神経をとがらせながら、その後ろを追いかける。


「……足音が遠のいた、が……」


 ふぅ、と一つ息を吐いた。

 水路の奥に行けば行くほど、空気がより一層冷たくなる。

 形状はアーチ状のそれであるが、脇にあった進入路の中は広い建物内のようであるらしい。

 各所にベッドが並ぶ――病室のようなそれは、先ほどまで誰かが使っていたような、毛布が持ちあがった状態が保たれている。


「な、何かここ……病院?」

「恐らくそうだろう。患者の日記もある。

 なになに……『先生は左脚を褒めてくれた。微妙だけど褒めてくれるのは嬉しかった』?」

「退院して忘れていったのかな?」


 ベルグは、他の日記のページを読んでみたが、どうしても退院できるようなそれではない。

 治らぬ病に、悲壮感と諦めの記述がズラズラと書き並べられており、シェイラも同じのを見つけ読み上げた。


「えっと、こっちは……『先生は右肩を褒めてくれた。剛球を投げる自慢の肩だから当然だろう』……?」

「医者は、人間の部分フェチ……か?」

「男女問わず、って色んな意味で怖いよ……」

「フェチとはそのようなものだが、うーむ……?」

「その……す、スリーラインは、どこが好き?」

「――シェイラのおっぱいと尻」

「え、え、えぇぇぇぇっ!?」

「嘘だ」

「も、もうッ、ばかッ!」


 顔を赤くしたシェイラを見て、ベルグはワフワフと笑った。

 病室のいくらかを回ったのだが、残された日記を読むだけでも、必ずどこかの部位を褒める記述が残されている。

 部屋から部屋へ……診察室のような部屋に行き着いた二人は、その部屋の異様さに眉をしかめた。

 部屋の四隅にそれぞれ、目・口・手・頭の無い像が一つずつ置かれていたからだ。


「どれも、どこかの部位が欠損しているのか」

「あっちは目が、こっちは口、こっちは手、あれは頭がない――」

「む、これは……?」


 擦り切れたノートが置かれ、その中をパラりとめくったベルグは思わず目を見開いてしまった。


「患者の部位リスト……?」

「もしかして、お医者さんは変態さん……だったの?」

「かもしれんが、しかし何だこの設計図のような物は? 解剖図とは違うし、これはまるで――」


 各所に何度も書き直してあるが、それぞれが人の名前が書かれている。

 “とんでもない事”がベルグの頭をよぎり、顔をブルブルと振った。

 その後ろで、室内を調べていたシェイラが声にならない小さな悲鳴をあげた。


「す、スリーラインッ……こ、ここ、これ……」


 シェイラが、キィ……と開いた扉の向こうに、赤い床の上に多数の死体が転がっている。

 その脇には、剣や槍――床に足を踏み入れれば、ぴちゃっ……と水音が鳴った。

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